TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 443

2023年08月06日 | エッセイ
 この原稿を書いている間に沖縄に大きな台風が上陸し、全ての空の便が欠航して殆どの観光客が帰れなくなったニュースを連日テレビ・ニュースで観ていた。

 マダガスカルへの出張を繰り返しているときのことだった。アンタナナリブからモーリシャスに着き、クアラルンプール行きの便に乗るべく、トランジット・カウンターに行くと「サイクロン(この地域では台風をサイクロンと云う)で、全ての便は欠航です。再開の予定は立っていません」と云われた。再開の予定が立ったら、ホテルに連絡を致しますと云われたが、今まで泊ったことのあるホテルは全て満室のために断られた。他のホテルにも電話したが、同じ状態だった。空港の職員に相談すると、海岸に面した高級なホテルは全て満室と思われます。内陸の二流、三流のホテルに行くしかありません。但し、空港からの連絡を受ける装置がないところが殆どですので、お泊りのホテルから空港に定期的に電話を頂くしかありませんと云われた。

 電話帳を調べて良さそうなホテルに電話したが、応対はすべてフランス語だった。泊まりたい旨を英語で伝えると、面倒になったのか電話が一方的に切られてしまった。どのホテルも同じ扱いだった。空港の職員に予約の電話をお願いしたが、忙しいので後にしてくれと相手にしてくれなかった。

 欠航と決ったので、預けたスーツ・ケースは全て引き取るように云われた。空港のアナウンスはフランス語が優先され、付け足しのような英語のアナウンスを聞き逃してしまったのだろうが、スーツ・ケースが手元に残って良かった。そして、学生時代にフランス語をもっと真剣に学んでいたらと悔やんだが、手遅れだった。こうなったら自分で何とかするしかない。税関を抜けるとタクシーの運転手が大勢寄ってきた。その中から人のよさそうな運転手を指名した。「オテル?」(ホテル?)と聞かれたので、「ウィ」(イエス)と答えた。着いたホテルはさびれていたが、ホテルはホテルだと考え、チェックインをした。フロントの話だと、高級ホテルから客が埋まっていったらしい。運転手は気を利かせて英語の通じるホテルに連れて行ってくれたのだ。まぁ、まぁの部屋だったが困ったことに予想はしていたが、空港からのニュースが直接入る設備がなかった。何とかなるだろうと気楽に考え、食事をし、シャワーを浴びた。あとは果報を待って寝るだけだった。

 朝食を済ませ、チェックアウトをすると、料金はシャンドラニ・ホテルの1/3にも満たなかった。呼んで貰ったタクシーで取敢えず空港に行ってみた。空港のロビーには昨夜から動けずにいた旅行客が大勢いた。床にじかに座ったり寝転んだりしている多くの観光客の姿があった。私を見ると、何か食べ物はないかと中年のご婦人に聞かれた。気の毒だったが、食料は持っていなかった。

 いつ運航が再開されるのか全く見当がつかなかった。レ・ユニオンの空港で知り合ったモーリシャス人の名刺にあったアラビア系のラフィック・アリマモッド氏に電話をしてみた。彼は心配してくれ、「私の家に来て下さい」と云ってくれた。タクシーの運転手に直接道順を聞いて貰い、彼のお宅に向った。ウィークデーだったが、個人で仕事をしているので時間は自由になるらしい。とにかく運航が再開するまでラフィック・アリマモッド氏に頼るしかない。彼には私の双子の娘とほぼ同じ年の双子の娘がいることをお互いに知り、遠慮の壁が取れたような気がした。この件については、2014年8月18日付のTDYマダガスカル編の33をご参照願いたい。

 以下の写真は何年か前の8月の昭和記念公園の写真である。連日の暑さで写真を撮りに行けず、古い写真で申し訳なく思っている。















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