「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
人生には時々、大きな悲劇がおこります。しかし、それは誰のせいでもありません。
あの人が死に、この人が生き残った理由は誰にも解りません。「生存者の罪悪感」
と呼ばれるものがありますが、その罪悪感は論理的な根拠を欠いているのが普通で
す。恐怖体験をしながら生き残った人が、「何故自分だけ助かってしまったのか」
と悩む気持ちは理解できますが、それは答えの無い問いにはまり込んでしまった悩
みであり、そう問うこと自体がある意味で傲慢な態度であることに、当人は気づい
ていません。その理由を問うことは、人間の範疇を超えているからです。それは、
神または宇宙の配慮に関わる出来事なのです。
罪悪感という心理は、自己の判断に根ざしています。自分が何か悪い事をしてしまっ
たという意識です。それは自己の信念体系に抵触したと感じた時に生じる、内側に
向かう怒りです。多くの場合、この不幸な判断の基準は、幼児期に受けた教育によっ
て形成されたものです。私たちは、アイデンティティを強化するよりも、他者の
願望実現の為に専念するのがいい子であると教えられてきたからです。
ある程度、自責の念を持つことは必要です。それが無ければ、社会は秩序を失って
しまうでしょう。ただ、罪悪感には「そこまで」という赤信号が無いことが問題な
のです。罪悪感という信号の無い道を、どんどん突っ走ってしまうのです。
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大きな事故や犯罪にまつわる罪悪感・・・あの時、私と交代していなければ・・とか、私
が運転していれば・・とか、私が誘ったばっかりに・・・とか、私的な体験以外にも、小説や
テレビドラマの中にも同じような「後悔」をいつまでも引きずる場面が多々あります。
そのような答えの無い堂々巡りの問いをキュブラーロスは「傲慢な態度」だとしています。
なぜなら、それは神や宇宙の範疇に関る事だからと。一人間が自分の責任として感じる
事自体が傲慢だと・・・。
些細な事による罪悪感もたくさんありますよね。こんな事言って傷つけたんじゃないか?
ならば言わなければ良かった。ひどく興奮して怒った後に、後味の悪い空気を感じたり・・。
私的には、酔っ払って起こした言動・行動など頻繁に後悔やら罪悪感を感じてしまいます(笑
落ち込む。凹む。というわけですね。ただ、翌日、相手に聞いてみると、ぜんぜん気にして
なかったりという温度差もありますけれど。
「私たちは、アイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に専念するのがいい
子であると教えられてきた」とありますが、キュブラーロスは、スイスで生まれ、その後、
30過ぎにアメリカへ渡っています。日本ならばともかく、欧米でもこのような教育だったので
しょうか?今の、欧米に対する私的な認識からだと、個人個人のアイデンティティはとても強く、
そう教育されているように思うのですが・・・?