「命名」の色紙を書いて、ペコちゃん焼きをもってはるばる初姪に会いに行く。
この世に降り立ったばかりの赤ちゃんは、健やかそのもので、子猫みたいにふわふわ柔らかくて。
もう少し変な表現をすると、粉のついた大福みたいな手触り。
足や手を持ち上げると、柔らかさが私の手にふんわりと重みをもっておりてくる。
人間がひとり、この世で息を吸い始め、意思を持ち始めた。
家族、が苦手とか、案外私の家族は思ってないのかもしれない。
珠のように美しいこの子が産まれたことは、やっぱりよかったことでしかない。
妹はおかあさんになって、母はおばあちゃんになって、私はおばさんになった。
なんだか、ひとつの時代が終わった気がした。
良いも悪いも、もう前の時代には戻れない、新しいステージ。
そういうもの。
海外にいる兄から100本のバラの花束が届いていた。
こんな贅沢な花束はないと、珠のように美しい姪をそっちのけに私はまた写真を撮った。
人は、自分以外みんな他人だけど、他人にいっぱい愛されるんだよ。
素敵と思えることを、満足と思えることをいっぱい知るんだよ。
妹宅を後にしてフジロックの打ち合わせという名目で友人を家に招く。
彼女が最近買ったというブルーハーツのドキュメントDVD。
私は、それを彼女と一緒に見たかったから持ってきてもらった。
打ち合わせどころではなくなることを想定内に、私は家に着くなり彼女にDVDを出させDVDプレーヤーにセットしていた。
2時間、食い入るように観た。
トイレも我慢して、彼女の飲み物がなくなっていることも知りつつ。
途中彼女おすすめのシーンやもう一度観たいところやモザイクシーンを巻き戻しながら。
大好きだ、という恍惚のため息を漏らしながら。
ああだこうだと、DVDを見ながら話すと、DVDから流れるブルーハーツの声と映像に引っ張られてうまく喋れなくなる。
何度も、何度でも、ぶち抜かれてしまう。
ブルーハーツが結成された1985年、私たちの生まれた年。
ヒロトの誕生日が3月17日。
私たちが早生まれなのはここに意味があったのだと、私の誕生日が1月17日で彼女の誕生日が3月11日、ここにも所縁が!などと意味付けには程遠い理由を並べてはげらげら笑う。
初期のヒロトとマーシーはそれこそ魂剥き出しで顔つきも違う。
いつかマーシーが言っていた「ロックに痺れちゃったんだよね」という言葉の体現がまさしく全身に表れている。
青くて青くて、だからブルーハーツだったんだ。
基本的に繊細で優しいけど、あの頃だけは、パンクロックに取り憑かれたアウトオブコントロールな彼らがいた。
私が最初にYouTubeでぶち抜かれたときの「リンダリンダ」と、「トレイントレイン」もこの頃のライブ映像だった。
あんなことを大声で歌えるのはヒロトとマーシーくらいしかいなくて、彼らが貫き通した青すぎる本当のことは、約25年もの歳月を経て私にも届いた。
年を取ったクロマニヨンズのヒロトとマーシーも十分に素敵だったけど、あの初期の青さや危うさはあのときだけのものだ。
その後の彼らがやっていることはある程度浄化を終えて、ロックを体現する伝える、という職業でありアートであるのだと思う。
「パンクロック」も「ラブレター」のPVもマーシーのソロ活動も、私の知らなかった彼らの作品は量も質もまだまだありそうだ。
全く同じDVDを買おうかと思ったけど、レストランで一緒にいる人と一緒のメニューを頼まないのと同じ精神で、違うDVDを買った。
マーシーのソロも借りてみる。
今度は彼女の家で観よう。と勝手に決める。
曲に乗りながら見てもいい音楽DVDを、あんなに凝視して動けずに見入ってしまう。
青く危ういものに釘づけだなんて、観ているこちら側が青くて危ういことに他ならないのだけど、それでもなんでも好きなものがあるということは、なんて貴いことなんだろう。
今日も彼女にありがとう。
フジロックは何とかなるさで何とかしよう。
私の出品した書作展に、大学の先生が見に行かれたらしい。
まあそれなりと思っていた作品も、実際に行かれるとは思っていなかったということもあり想像以上に恥ずかしい。
展覧会など、見られてこそ作品ではあるものの、やはり恥ずかしい。
その恥ずかしさは「お手本のあった先生の作品」ではなく「私から出たもの」であるからということが大きい。
これが私の書いた詩であったらもっと恥ずかしいのだろう。
自身のなさと吹っ切れなさと。
恥ずかしいことをやり抜いたかっこよさ、なんて、まだまだまだまだ、持てない。
この世に降り立ったばかりの赤ちゃんは、健やかそのもので、子猫みたいにふわふわ柔らかくて。
もう少し変な表現をすると、粉のついた大福みたいな手触り。
足や手を持ち上げると、柔らかさが私の手にふんわりと重みをもっておりてくる。
人間がひとり、この世で息を吸い始め、意思を持ち始めた。
家族、が苦手とか、案外私の家族は思ってないのかもしれない。
珠のように美しいこの子が産まれたことは、やっぱりよかったことでしかない。
妹はおかあさんになって、母はおばあちゃんになって、私はおばさんになった。
なんだか、ひとつの時代が終わった気がした。
良いも悪いも、もう前の時代には戻れない、新しいステージ。
そういうもの。
海外にいる兄から100本のバラの花束が届いていた。
こんな贅沢な花束はないと、珠のように美しい姪をそっちのけに私はまた写真を撮った。
人は、自分以外みんな他人だけど、他人にいっぱい愛されるんだよ。
素敵と思えることを、満足と思えることをいっぱい知るんだよ。
妹宅を後にしてフジロックの打ち合わせという名目で友人を家に招く。
彼女が最近買ったというブルーハーツのドキュメントDVD。
私は、それを彼女と一緒に見たかったから持ってきてもらった。
打ち合わせどころではなくなることを想定内に、私は家に着くなり彼女にDVDを出させDVDプレーヤーにセットしていた。
2時間、食い入るように観た。
トイレも我慢して、彼女の飲み物がなくなっていることも知りつつ。
途中彼女おすすめのシーンやもう一度観たいところやモザイクシーンを巻き戻しながら。
大好きだ、という恍惚のため息を漏らしながら。
ああだこうだと、DVDを見ながら話すと、DVDから流れるブルーハーツの声と映像に引っ張られてうまく喋れなくなる。
何度も、何度でも、ぶち抜かれてしまう。
ブルーハーツが結成された1985年、私たちの生まれた年。
ヒロトの誕生日が3月17日。
私たちが早生まれなのはここに意味があったのだと、私の誕生日が1月17日で彼女の誕生日が3月11日、ここにも所縁が!などと意味付けには程遠い理由を並べてはげらげら笑う。
初期のヒロトとマーシーはそれこそ魂剥き出しで顔つきも違う。
いつかマーシーが言っていた「ロックに痺れちゃったんだよね」という言葉の体現がまさしく全身に表れている。
青くて青くて、だからブルーハーツだったんだ。
基本的に繊細で優しいけど、あの頃だけは、パンクロックに取り憑かれたアウトオブコントロールな彼らがいた。
私が最初にYouTubeでぶち抜かれたときの「リンダリンダ」と、「トレイントレイン」もこの頃のライブ映像だった。
あんなことを大声で歌えるのはヒロトとマーシーくらいしかいなくて、彼らが貫き通した青すぎる本当のことは、約25年もの歳月を経て私にも届いた。
年を取ったクロマニヨンズのヒロトとマーシーも十分に素敵だったけど、あの初期の青さや危うさはあのときだけのものだ。
その後の彼らがやっていることはある程度浄化を終えて、ロックを体現する伝える、という職業でありアートであるのだと思う。
「パンクロック」も「ラブレター」のPVもマーシーのソロ活動も、私の知らなかった彼らの作品は量も質もまだまだありそうだ。
全く同じDVDを買おうかと思ったけど、レストランで一緒にいる人と一緒のメニューを頼まないのと同じ精神で、違うDVDを買った。
マーシーのソロも借りてみる。
今度は彼女の家で観よう。と勝手に決める。
曲に乗りながら見てもいい音楽DVDを、あんなに凝視して動けずに見入ってしまう。
青く危ういものに釘づけだなんて、観ているこちら側が青くて危ういことに他ならないのだけど、それでもなんでも好きなものがあるということは、なんて貴いことなんだろう。
今日も彼女にありがとう。
フジロックは何とかなるさで何とかしよう。
私の出品した書作展に、大学の先生が見に行かれたらしい。
まあそれなりと思っていた作品も、実際に行かれるとは思っていなかったということもあり想像以上に恥ずかしい。
展覧会など、見られてこそ作品ではあるものの、やはり恥ずかしい。
その恥ずかしさは「お手本のあった先生の作品」ではなく「私から出たもの」であるからということが大きい。
これが私の書いた詩であったらもっと恥ずかしいのだろう。
自身のなさと吹っ切れなさと。
恥ずかしいことをやり抜いたかっこよさ、なんて、まだまだまだまだ、持てない。