つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

パワーオブスペース

2012-07-14 22:57:45 | 日記
お気遣いでハーゲンダッツをいただく。
どこでも買えて手軽にあげられる好きなものを伝えてあるのは、こちらも嬉しいしあげる側も容易いからいいのではないかと思う。
そういえばある人が自分のメールアドレスを「バームクーヘンNO.1****」というアドレスにしていて、その理由を尋ねると、「好きだから。あとこの意味について聞かれることが多いからバームクーヘンのいただきものが今までに5回くらいあった。そろそろ「松坂牛NO.1」とかに変えようかと思う」と言っていた。
関心する話ではないが面白い。

「ハーゲンダッツ クリーミーミント」
私はミント味というのはどうしても歯磨き粉を食べているような気分になってしまうので、あまり好きではないのだけど。

ハーゲンダッツの魅力はその濃さであるので、基本的に清涼感は必要ないと思っている。
ソルベは今あるのか知らないが、明らかな失敗作であったように思う。
これはどうだろうと思って食べてみると、名の通り確かにクリーミーだ。
少しだけ苦みとミント特有の清涼感が口に残る。
アイスのせいだけではなく、お腹の中までスース―するような感じがして涼しい。

うだるような暑さのときにはおそらくガリガリ君のようなシャーベット系アイスの方がいいだろうし、寒い日の炬燵の中で、お腹まで涼しくなるアイスクリームは考え物だ。
食べるシチュエーションが難しい味なのではないだろうか。

いや、いただきものなので美味しくいただく。

延期になっていたエレファントカシマシのライブ。
ヒロトとマーシーを見ておきたかったのと一緒で、宮本さんも現存するバンドとしての生を一度は見ておきたかったし聞いておきたかった。
ヒロトとは違って、どちらかというと内なるものが溢れてしまうタイプで、それを長い間持ち続けている人なのではないかと思う。
ヒロトは人間らしいなあと思うとすると、宮本さんは男らしいなあと思う。

エレファントカシマシが何人のバンドかさえもやっぱり知らなかったのだけど、ギターかベースのイシくんという人の演奏姿は、表現の思うまま、という様がとてもかっこよかった。
突っ切れた行動と努力が成すかっこよさ。
それは本当に本当に羨ましいことだ。
ちなみに私はギターとベースの区別がつかない。

濃い靄の中で歌う宮本さんは、いつものように髪をもみくちゃにしながらほぼMCも笑顔さえも見せずに、熱くロックを叫び続けた。
きれいなフォルムの白いシャツを着た宮本さんはバンドメンバーを煽りながら、一生懸命だった。

出来得る限りの一生懸命、なんてそうそうできるものではない。
音も歌詞も置いておいて、汗をかいて熱狂するって気持ちいいんだぜ、とヒロトもそう言っているような、そんな様相。

知っている曲が3分の2くらい。
アンコールの「ガストロンジャー」で私はぷつんといった。
意識はあるのだけど、もはやコントロールできていない。
何が何だかわからなくなるくらいの音に身体が埋め尽くされて、激しさが異空間へ誘う。
ああ、気持ちがいい。

仕組まれていたのかなんなのか、アンコールが4回もあったのは本当に幸いだった。
たぶん仕組まれたことではなくて宮本さんが「決まらねえ」と呟いていたので、そういうことだったのだと思う。

スタンディングかなり近い位置。
音を浴びるのが近いのは重要だった。
息遣いや目遣いがどんな風になっているのかはぷつんといくのに重要だ。

次はヒロトを近くで見たい。
これをやらずして…と、また過剰なのだがそれでいい。

会場を出て、会場の中のように靄がかかってこの上ない湿度だったけど、余韻としてのそれは随分長い間ぼわんと恍惚を長引かせた。
帰らなくていいのであれば空気の中に溶け出ていける気さえした。

今でよかった、こんな体験。

実家に寄って、久しぶりに二階に上がってみる。
自分の居場所しか掃除をしないという我が家は、もはや誰も足を踏み入れることがなくなった二階はまさに廃屋と化していて、誰の部屋も埃まみれだった。
自分の部屋で引き出しを開けると、中学校の頃の競書会でクラスの金賞を取ったときの硬筆作品が出てきた。
この頃私は、所謂楷書にはまっていて異様にきれいにノートを取っていた、というか授業と関係なく字の練習をしていた。

父の書斎に入るとそこは本に埋め尽くされた廃屋だった。
酷く暑くて、埃の匂いに紛れて父の匂いがした気がした。
ぶわっと目の前が滲む。

泣いたことがばれないように階下に降りて、スイカを食べる。
「真ん中の一番いいところがあんたのだでね」
「塩はいらんよ」

携帯で撮った妹の子供をおじいちゃんとおばあちゃんに見せる。
「8月にはこっち来るでひ孫が見れるね」
「まあわしゃ、孫がいいだ」

今日も足早に実家を出る。
大きな百合が庭に咲いていたので写真を撮って。

椎名林檎の丸の内サディスティックを聴きながらかつての通学路を行く。
寄り道する名古屋は、東京と京都の線上、求心の場所。