つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

どうして私が

2013-05-13 22:49:28 | 日記
今日も牛肉に打ちのめされている。
体が牛肉に支配されているようだ。

体に拒否されることはしてはいけないとわかりつつ、いい肉なんて食べてしまったものだからその倦怠感といったらない。
肉を食べると元気になる、というのはたぶんそうなのだと思うけれど、私に限っては良い牛肉を食べると翌日の生気を奪われる。
早くこの倦怠感から抜けたいのだけど、なにせ体と相性の悪いものだから消化にも時間がかかる。
焼肉は、牛ではなくて、豚か鶏にしたい。


また新しく全然知らない人たちが演奏するジャズバーに行く。
ピアノ、ドラム、ウッドベース、サックス、トロンボーン、トランペット。
全員が女性のバンド。

私は聴いている間、なんだか弱い、と思っていた。
私には未だに演奏技術についてや、“良い音”とかそういうことが全然分からないのだけど、自分の中で「あぁいいね」かそうでないかの判断はできる。
私は元々とてもうるさい音が好きだし、単純に音が小さいとか、場所が少し広いとか、そういう演奏者が出す音以外の要因なのかと思っていた。
いやでも、やっぱり私の中に入り込んでくるのは、単純に音が小さくても、場所が広くても、そんなことに関わらずあるものなのだとは思う。

ジャズバーを後にして、一緒にいた方の感想は「パンチがない」だった。
おそらく私の1000倍くらいジャズを聴いている方だから、私が感じたことは間違ってなかったのだなと思う。
ついでに、“良い音”は出しているんだけどね、と言っていた。

本当は、人がどうこうではないし、音が小さいとか、場所が広いとかそういうことも込みで、自分が「良かった」と思うかを感じればいいだけだ。
今回私が、なんだか弱い、と思ったのは私にとってただそれだけで成立することなのだ。
でも、自分が精通していないジャンルに関して、精通している人の意見というのは、安心感があるものだなあと思ったりもする。

また、一緒にいた方は、演奏を終えた演奏者たちに「最高だった」と言った。
その方が演奏者たちのやる気が高まるから、次により良い演奏が聴ける、と言っていた。

それもそうかもしれないけど、私はあまりそういうことを言わない。
思っていないことを口にすることが得意ではない。
そういうふうにした方が良い場面、特に仕事などでは、多々あると思うし、そのときに瞬間的にこのことを考えることがあるのだが、やはり思っていないことは言えない。
思っていることを言わない、ことでぎりぎりの失礼さになっているのだろうけれど。

本当に良いものに出会ったときに、本当に素晴らしいです、と心から言いたい。
特に、自分の感動を起こすような対象のことについては。
それが綺麗事だと言われても。