多摩川の程近くに住んでいる友人と「ピクニックをしよう」ということで土手を下りたところで小さな簡易テントを立ててお昼を食べる。
バケットサンド、ショートパスタ、にんじんとベビーリーフのサラダ、マジックで顔が書かれたゆで卵、生ハム、チーズ、オリーブ、ワイン、ペリエ。
重たいフォークに紙ナプキン。
そんな美味しそうで楽しげなものたちを、ピクニックなバスケットに詰めて。
バスケットの取っ手は実の付いたフルーツのようなもので飾り付けられている。
彼女はとても料理が上手で、それだけでなくて彼女は全てをひとつの絵にしてしまうような世界観を持っている。
何にしても、それを完成されたそれっぽく見せる、ということは案外難しいように思う。
昔から、彼女はいとも簡単そうに何でも、それを完成されたそれっぽく見せる。
そうなるともう、それは“それっぽい”のではなく、確立された“それ”になる。
彼女の創り出すものを見ていると、私は川内倫子さんの写真を思い出す。
それはテイストや雰囲気が似ているということではなくて、何気ないそれを1枚のそれとして成り立たせる、ということにおいて。
川内倫子さんのブログの写真は、いつもそれ1枚で成り立つ。
すごいなあと思う。
野球少年たちがほんの2メートル横で腹筋やら背筋を行っているを横目に、お姉さんたちはワインを開け、空ける。
ペリエの緑の瓶がなぜか素敵に思えてとても贅沢なレモン風味の炭酸水。
生のトマトやピーマンが良い塩梅で、それを挟むバケットは美味しいパン屋さんに限る。
とろんとした生ハムが当たり前のように赤ワインとマリアージュ。
チーズのアソートメントの一つひとつが良くできていてちょうど良い。
この辺りに出向くと、多摩川のおかげでものすごく開放感があり空が広くて気持ちが良い。
いっそのことこの辺りに私も住んでしまいたい、と一瞬そう思ったりもするけれど、私はそれをも蹴散らせるくらい渋谷が苦手である。
東急線沿いは、私が探すような物件がたくさん出てくるのだけれど。
先日、心が折れかけていたマーシーのギターソロ。
レッスンでキーの音と、所謂普通の音階を教わったのでその考えを元に耳コピで音を探ってみる。
その時私は携帯を家に忘れてしまってソロの部分をその場で聞いてもらうことができなかったこともあり、やっぱりそのまま教えてくださいとは言い出せず、理論的なことを教えてもらった。
何日か経過してやってみると、おそらく教わった10%くらいのことしか理解はできていないのだと分かったけれど、それでも何とか完全な迷子にならずには済んで、「月の爆撃機」のワンフレーズの音を拾うことができた。
人が聞いたらどこの部分をやっているのかわからないほど、それはそれはたどたどしく。
となると、やはりマーシーが出しているような音が出したいのであって、でもどのつまみを回してもそうはならないようだから、これはアンプのせいなのだろうか。
弾き方にも問題があるのだろうか。
何かを趣味で始めるとき、それに初めて触れて初めてできたという興奮がある。
でもその先は、止められないくらいの衝動が続かない限りは、ある程度“できる”ところまで努力で進めないと面白くならない。
それが越えられなければ、たぶんそれを手放してしまうことになる。
手放してはいけないなんてことは全然ないし、でも、越えればきっととても面白いということも容易に想像がつく。
まだ、ある程度“できる”ところまでは全然行けない。
バケットサンド、ショートパスタ、にんじんとベビーリーフのサラダ、マジックで顔が書かれたゆで卵、生ハム、チーズ、オリーブ、ワイン、ペリエ。
重たいフォークに紙ナプキン。
そんな美味しそうで楽しげなものたちを、ピクニックなバスケットに詰めて。
バスケットの取っ手は実の付いたフルーツのようなもので飾り付けられている。
彼女はとても料理が上手で、それだけでなくて彼女は全てをひとつの絵にしてしまうような世界観を持っている。
何にしても、それを完成されたそれっぽく見せる、ということは案外難しいように思う。
昔から、彼女はいとも簡単そうに何でも、それを完成されたそれっぽく見せる。
そうなるともう、それは“それっぽい”のではなく、確立された“それ”になる。
彼女の創り出すものを見ていると、私は川内倫子さんの写真を思い出す。
それはテイストや雰囲気が似ているということではなくて、何気ないそれを1枚のそれとして成り立たせる、ということにおいて。
川内倫子さんのブログの写真は、いつもそれ1枚で成り立つ。
すごいなあと思う。
野球少年たちがほんの2メートル横で腹筋やら背筋を行っているを横目に、お姉さんたちはワインを開け、空ける。
ペリエの緑の瓶がなぜか素敵に思えてとても贅沢なレモン風味の炭酸水。
生のトマトやピーマンが良い塩梅で、それを挟むバケットは美味しいパン屋さんに限る。
とろんとした生ハムが当たり前のように赤ワインとマリアージュ。
チーズのアソートメントの一つひとつが良くできていてちょうど良い。
この辺りに出向くと、多摩川のおかげでものすごく開放感があり空が広くて気持ちが良い。
いっそのことこの辺りに私も住んでしまいたい、と一瞬そう思ったりもするけれど、私はそれをも蹴散らせるくらい渋谷が苦手である。
東急線沿いは、私が探すような物件がたくさん出てくるのだけれど。
先日、心が折れかけていたマーシーのギターソロ。
レッスンでキーの音と、所謂普通の音階を教わったのでその考えを元に耳コピで音を探ってみる。
その時私は携帯を家に忘れてしまってソロの部分をその場で聞いてもらうことができなかったこともあり、やっぱりそのまま教えてくださいとは言い出せず、理論的なことを教えてもらった。
何日か経過してやってみると、おそらく教わった10%くらいのことしか理解はできていないのだと分かったけれど、それでも何とか完全な迷子にならずには済んで、「月の爆撃機」のワンフレーズの音を拾うことができた。
人が聞いたらどこの部分をやっているのかわからないほど、それはそれはたどたどしく。
となると、やはりマーシーが出しているような音が出したいのであって、でもどのつまみを回してもそうはならないようだから、これはアンプのせいなのだろうか。
弾き方にも問題があるのだろうか。
何かを趣味で始めるとき、それに初めて触れて初めてできたという興奮がある。
でもその先は、止められないくらいの衝動が続かない限りは、ある程度“できる”ところまで努力で進めないと面白くならない。
それが越えられなければ、たぶんそれを手放してしまうことになる。
手放してはいけないなんてことは全然ないし、でも、越えればきっととても面白いということも容易に想像がつく。
まだ、ある程度“できる”ところまでは全然行けない。
