福島県立美術館。
けいこが伊藤若冲さんの絵が観たいということで前泊は私の新居にして、土曜日に一緒に出かける。
東日本大震災の復興応援のような形で、所有権を持っているアメリカの方が東北地方の美術館に貸してくれているらしい。
東北新幹線やまびこ。
私は新幹線のヘビーユーザーだ。
でも私にとっての新幹線とは東海道新幹線のことで、東北や長野新幹線ももちろん新幹線であることに時々はっとすることがある。
確かに、当たり前に新幹線なのだけど。
そしてこのはっと感はつい先日越後湯沢に行ったときも感じているのだけれど。
けいこもよく言うけれど、東京より東あるいは北にほとんど所縁がなくて地理感覚や名所名物などもさっぱりわからない。
東海道新幹線と違って、東北新幹線には観光客と思しき年配者が多い。
東海道新幹線はスーツのサラリーマンが多い。
福島県立美術館は山に迫られたところにあって、レンガ色のとても広々とした立派な建物だった。
敷地内の庭園には、「芝生は除染を完了しております」や「線量が高いところがありますのでこれより先には立ち入らないようお願い致します」といった立て看板があった。
若冲さん以外にも、若冲さんのお弟子さんの作品や、コレクターであるアメリカ人のプライスさんの所持品などもあって、東京の美術館の半額くらいの値段で、非常にたくさんの作品が観られた。
私はあまり日本画に何かを感じたことはない。
というか、私が何となくでも他人の説明や意見なしに美術作品を観られるようになったのは本当にここ1~2年程度なので、日本画はほとんど鑑賞したことがない」というのが正しい。
よく絵に対して「紙から飛び出てきそうな」とか「今にも動き出しそうな」とかそういう躍動感・臨場感を表現する場合があると思うが、ようやく今回それを2,3点の作品に対して体感することができた。
しかしそれは単に、描かれている動物の動きの途中を切り取ったというようなことや、ギロッと目が鋭いというようなことだけでそう思えるのかもしれない。
展示物の隣にある説明書きには、若冲さんの技法についてたくさん書かれていた。
絵についてはさっぱりの私だけれど、その技術は非常に優れていたらしい。
風景が写実から飛び出したとき、画家の頭と心と手を通って再構築される。
“本当”ってなんだろう、と思う。
芸術家に「なぜこういうふうにしたのか」と聞くことは時にとても野暮なことだとは想像がつくけれど、創り手の思いが知りたくなってしまう。
それについて創り手と喋りたくなってしまう。
「別に本当に意味なんてないんだ」という回答でも、それはそれでとても納得する。
心が震えるような、という感じではないけれど、楽しい美術館であった。
作品があまりに多いので、休憩スペースで私は居眠りをしてしまったけれど。
けいこはもう一回観てくると、私がうつらうつらしているところ、展示室に戻って行った。
若冲さんのトラの絵のポスターと、ピカソの画集、ルオーのポストカードを買う。
夜ごはんに入った小さなイタリアンレストランの何気ない料理が優しくてとてもおいしかった。
やさしい生ホウレンソウとカリカリベーコンのサラダ、玉ねぎソースをお好きなだけ。
やさしい半熟オムレツ、トマトソースがけ。
やさしいボンゴレビアンコ、あさりいっぱい。
やさしい熱々フレンチトースト、たっぷり生クリームと冷え冷えアイスクリーム添え。
先日私の言う「脳天を突っ切るような」というのは、旨い!甘い!辛い!とかの味覚における強めの刺激のことをいっていたような気がする。
それらはひと口めの感動で勝負をするもので、総じて油分が多いものが多い。
脳がおいしいと思う、快感物質が出る類のもの。
それも確かな、「おいしい」という経験。
ただ、そうではなくて、素材そのものが少しの調味料によってその旨みを増したりとか、他の素材との組み合わせで引き立てあったりとかしておいしくなるもの。
調味料は最小限で、限りなく素材の力に頼れるもの。
たぶん料理として作るのはこちらの方が難しい。
身体に染み込むような、等身大のおいしさ。
脳天突っ切るような料理も好きだけれど、そもそもがこっちだった、と思い出す。
ホテルに帰ってまたよく寝る。
22時に寝てしまってそのまま朝9時。
普段の私の睡眠時間は6~7時間程度だが、これだと慢性的に睡眠不足らしい。
上野駅に着いて、即刻iPodをつなぐ。
けいこが伊藤若冲さんの絵が観たいということで前泊は私の新居にして、土曜日に一緒に出かける。
東日本大震災の復興応援のような形で、所有権を持っているアメリカの方が東北地方の美術館に貸してくれているらしい。
東北新幹線やまびこ。
私は新幹線のヘビーユーザーだ。
でも私にとっての新幹線とは東海道新幹線のことで、東北や長野新幹線ももちろん新幹線であることに時々はっとすることがある。
確かに、当たり前に新幹線なのだけど。
そしてこのはっと感はつい先日越後湯沢に行ったときも感じているのだけれど。
けいこもよく言うけれど、東京より東あるいは北にほとんど所縁がなくて地理感覚や名所名物などもさっぱりわからない。
東海道新幹線と違って、東北新幹線には観光客と思しき年配者が多い。
東海道新幹線はスーツのサラリーマンが多い。
福島県立美術館は山に迫られたところにあって、レンガ色のとても広々とした立派な建物だった。
敷地内の庭園には、「芝生は除染を完了しております」や「線量が高いところがありますのでこれより先には立ち入らないようお願い致します」といった立て看板があった。
若冲さん以外にも、若冲さんのお弟子さんの作品や、コレクターであるアメリカ人のプライスさんの所持品などもあって、東京の美術館の半額くらいの値段で、非常にたくさんの作品が観られた。
私はあまり日本画に何かを感じたことはない。
というか、私が何となくでも他人の説明や意見なしに美術作品を観られるようになったのは本当にここ1~2年程度なので、日本画はほとんど鑑賞したことがない」というのが正しい。
よく絵に対して「紙から飛び出てきそうな」とか「今にも動き出しそうな」とかそういう躍動感・臨場感を表現する場合があると思うが、ようやく今回それを2,3点の作品に対して体感することができた。
しかしそれは単に、描かれている動物の動きの途中を切り取ったというようなことや、ギロッと目が鋭いというようなことだけでそう思えるのかもしれない。
展示物の隣にある説明書きには、若冲さんの技法についてたくさん書かれていた。
絵についてはさっぱりの私だけれど、その技術は非常に優れていたらしい。
風景が写実から飛び出したとき、画家の頭と心と手を通って再構築される。
“本当”ってなんだろう、と思う。
芸術家に「なぜこういうふうにしたのか」と聞くことは時にとても野暮なことだとは想像がつくけれど、創り手の思いが知りたくなってしまう。
それについて創り手と喋りたくなってしまう。
「別に本当に意味なんてないんだ」という回答でも、それはそれでとても納得する。
心が震えるような、という感じではないけれど、楽しい美術館であった。
作品があまりに多いので、休憩スペースで私は居眠りをしてしまったけれど。
けいこはもう一回観てくると、私がうつらうつらしているところ、展示室に戻って行った。
若冲さんのトラの絵のポスターと、ピカソの画集、ルオーのポストカードを買う。
夜ごはんに入った小さなイタリアンレストランの何気ない料理が優しくてとてもおいしかった。
やさしい生ホウレンソウとカリカリベーコンのサラダ、玉ねぎソースをお好きなだけ。
やさしい半熟オムレツ、トマトソースがけ。
やさしいボンゴレビアンコ、あさりいっぱい。
やさしい熱々フレンチトースト、たっぷり生クリームと冷え冷えアイスクリーム添え。
先日私の言う「脳天を突っ切るような」というのは、旨い!甘い!辛い!とかの味覚における強めの刺激のことをいっていたような気がする。
それらはひと口めの感動で勝負をするもので、総じて油分が多いものが多い。
脳がおいしいと思う、快感物質が出る類のもの。
それも確かな、「おいしい」という経験。
ただ、そうではなくて、素材そのものが少しの調味料によってその旨みを増したりとか、他の素材との組み合わせで引き立てあったりとかしておいしくなるもの。
調味料は最小限で、限りなく素材の力に頼れるもの。
たぶん料理として作るのはこちらの方が難しい。
身体に染み込むような、等身大のおいしさ。
脳天突っ切るような料理も好きだけれど、そもそもがこっちだった、と思い出す。
ホテルに帰ってまたよく寝る。
22時に寝てしまってそのまま朝9時。
普段の私の睡眠時間は6~7時間程度だが、これだと慢性的に睡眠不足らしい。
上野駅に着いて、即刻iPodをつなぐ。