久しぶりに姪に会いに行く。
横浜は、なんていうか、遠い。
グラマシーニューヨークのケーキが美味しかったと言われて、横浜駅の高島屋でケーキを調達する。
大きくて煌びやかで派手でパッとしたケーキたちを、私はるんるんと選ぶ。
オレンジピール入のチョコレートケーキ、キャラメルチーズケーキ、アップルパイタルト。
染み込んでくる優しい系の味ではなくて、ダイレクト刺激物系の味。
アップルパイのりんごがとてもジューシーでとても美味しかった。
バナナが大好きな姪には、高級バナナを一本。
一本で189円という、すべすべして太くて形の良いバナナ。
食いしん坊の姪が3つくらい喋れる言葉のうち、ひとつは「ななな」
「ななな」と言いながら指をさして、「ん!」と主張する。
「このなななはもうちょっと熟れた方が美味しいから寝かせておくよ。安いなななにしよう」
と言いながら、おやつは既にさつまいもとカボチャを蒸かしたものと牛乳と決まっていて、「ななな」が好きでも執着力のない姪は、美味しそうにさつまいもとカボチャを頬張っていた。
姪はごはんが大好きだ。
まだ味付けをほとんどしていない素材だけのごはんも、止まることなく、こぼすことなく、大きな口を開けてもぐもぐしていく。
もぐもぐ、が好きで、終わってしまうと泣いて怒る。
でもあまり執着力のない姪は、ごはんが終わって他のことで気を紛らせると、すぐにそっちに行く。
「はい、どうぞ」というのが流行りらしくて、何でも手渡してくれる。
「ありがとう」と言うと、にこっと笑って「どういたしまして」のお辞儀をする。
何かの入れ物を頭にかぶって手を広げてポーズを取ると、お父さんとお母さんが喜んだから、得意になって何度もそれを繰り返す。
「おとうさんおかあさん、見て!ほら!」かわいくにこにこした顔で、何度も繰り返す。
「アンパンマン」と「お母さんといっしょ」は子どもにとってアドレナリンが出るような何かが仕組まれている、というのが母親界の中では通説らしい。
姪ももれなく、「アンパンマン」と「お母さんといっしょ」をテレビで流すと吸い込まれるように寄って行って、食い入るように見ている。
私といもうとが大きな声で会話をしていても別に怒らないし、それでも画面にへばりついて見ているから映像や色に惹きつけられているのだろう。
ちなみに、そのあとでリアルタイムにやっていた「ちびまる子ちゃん」にはまるで興味を示さなかった。
姪は保育園に行っているが、何かを人と取り合うことも、また家ではその相手もいないため、自分に過剰に注意を引かせるというような行動をしない。
愛情も一心に受けられ、満足なほどに目線を与えられて。
安心しています、という姪の顔を見ていると、私は不意に泣きそうになる。
いっぱい愛情もらって、心の根底に敷き詰めるんだよ。
1歳の誕生日に、いもうと夫妻と一緒に真ん中に写った姪に、どうしてだか私は父の面影を見てしまった。
父は姪の祖父にあたるわけだし、親族なのだから似ていてもおかしくはないのだけれど、顔というか雰囲気がどことなく父のようだった。
姪のところには、良くも悪くも、私の心の中に巣食っているまだ形がなくて矛盾した、とてつもなく巨大で、もしかしたら空虚な、そんなものがたくさんある。
それは姪本人にはほとんど関係がなくて、私がそれらに思いを馳せるきっかけに過ぎない。
私は確かに、1週間も姪と一緒の生活はできないだろうし、あのかわいさもその場で本気でかわいいなあ、と思うこと以上には何もないのだ。
引っ越して暴風大雨は初めてで、案外音がよく響く。
ベランダもなく、窓一枚で外なのだから当然と言えば当然である。
旧居は建物の作りがしっかりしていて、その上、ベランダや共用部の廊下もあったため、外の天気がほとんどわからなかった。
どちらがいいとか悪いとか特段ないけれど。
展覧会前の最後の創作。
「リンダリンダ」は何度書いても、思いは乗る。
だって本当に、私の一番大事なことのひとつだから。
だが結局、書作的に何かを壊すことはできなかった、それなりには、私なりには、壊した、でも私が思うようには壊せなかった。
私の技術と発想の無さは存分に露呈することとなった。
11月末に展覧会があるものの、これが飾られる確率はどちらかというと低い。
入選して且つ、出品する自分の作品のうち一番出来が良くないといけない。
ただ、またヒロトの詞を書いてみて思うのは、私はこれをすることによって、もっと彼らの精神に触れたいということだった。
今のところ私が彼らの精神に触れられそうなのは書道以外にはないから、そうするけれど、他の方法でそれができるなら是非それもやりたい。
11月、友人がヒロトがゲストで来るというライブのチケットを取ってくれた。
私も30回くらいは電話をかけたけれど、全然つながらなかった。
よかった、本当によかった、友人にありがとう。
「リンダリンダ」のバンドスコアを見つけて、ギターも弾く。
ギターは今のところ、精神に触れる以前の基礎的なところに辿りつけないから、楽しみながらやりたい。
近くのTSUTAYAへ。
近所にあって便利だうれしい、と思っていたのになかなか行けず、行ってみたら16日で閉店すると書かれている。
なんてことだ。
とりあえず、「グレイズアナトミー」「デスパレートな妻たち」「最強のふたり」
「最強のふたり」はフランス映画らしい空気感のある映画だった。
銃殺も爆発も派手な罵り合いすらもないけれど、しみじみ丁寧、良い映画だった。
横浜は、なんていうか、遠い。
グラマシーニューヨークのケーキが美味しかったと言われて、横浜駅の高島屋でケーキを調達する。
大きくて煌びやかで派手でパッとしたケーキたちを、私はるんるんと選ぶ。
オレンジピール入のチョコレートケーキ、キャラメルチーズケーキ、アップルパイタルト。
染み込んでくる優しい系の味ではなくて、ダイレクト刺激物系の味。
アップルパイのりんごがとてもジューシーでとても美味しかった。
バナナが大好きな姪には、高級バナナを一本。
一本で189円という、すべすべして太くて形の良いバナナ。
食いしん坊の姪が3つくらい喋れる言葉のうち、ひとつは「ななな」
「ななな」と言いながら指をさして、「ん!」と主張する。
「このなななはもうちょっと熟れた方が美味しいから寝かせておくよ。安いなななにしよう」
と言いながら、おやつは既にさつまいもとカボチャを蒸かしたものと牛乳と決まっていて、「ななな」が好きでも執着力のない姪は、美味しそうにさつまいもとカボチャを頬張っていた。
姪はごはんが大好きだ。
まだ味付けをほとんどしていない素材だけのごはんも、止まることなく、こぼすことなく、大きな口を開けてもぐもぐしていく。
もぐもぐ、が好きで、終わってしまうと泣いて怒る。
でもあまり執着力のない姪は、ごはんが終わって他のことで気を紛らせると、すぐにそっちに行く。
「はい、どうぞ」というのが流行りらしくて、何でも手渡してくれる。
「ありがとう」と言うと、にこっと笑って「どういたしまして」のお辞儀をする。
何かの入れ物を頭にかぶって手を広げてポーズを取ると、お父さんとお母さんが喜んだから、得意になって何度もそれを繰り返す。
「おとうさんおかあさん、見て!ほら!」かわいくにこにこした顔で、何度も繰り返す。
「アンパンマン」と「お母さんといっしょ」は子どもにとってアドレナリンが出るような何かが仕組まれている、というのが母親界の中では通説らしい。
姪ももれなく、「アンパンマン」と「お母さんといっしょ」をテレビで流すと吸い込まれるように寄って行って、食い入るように見ている。
私といもうとが大きな声で会話をしていても別に怒らないし、それでも画面にへばりついて見ているから映像や色に惹きつけられているのだろう。
ちなみに、そのあとでリアルタイムにやっていた「ちびまる子ちゃん」にはまるで興味を示さなかった。
姪は保育園に行っているが、何かを人と取り合うことも、また家ではその相手もいないため、自分に過剰に注意を引かせるというような行動をしない。
愛情も一心に受けられ、満足なほどに目線を与えられて。
安心しています、という姪の顔を見ていると、私は不意に泣きそうになる。
いっぱい愛情もらって、心の根底に敷き詰めるんだよ。
1歳の誕生日に、いもうと夫妻と一緒に真ん中に写った姪に、どうしてだか私は父の面影を見てしまった。
父は姪の祖父にあたるわけだし、親族なのだから似ていてもおかしくはないのだけれど、顔というか雰囲気がどことなく父のようだった。
姪のところには、良くも悪くも、私の心の中に巣食っているまだ形がなくて矛盾した、とてつもなく巨大で、もしかしたら空虚な、そんなものがたくさんある。
それは姪本人にはほとんど関係がなくて、私がそれらに思いを馳せるきっかけに過ぎない。
私は確かに、1週間も姪と一緒の生活はできないだろうし、あのかわいさもその場で本気でかわいいなあ、と思うこと以上には何もないのだ。
引っ越して暴風大雨は初めてで、案外音がよく響く。
ベランダもなく、窓一枚で外なのだから当然と言えば当然である。
旧居は建物の作りがしっかりしていて、その上、ベランダや共用部の廊下もあったため、外の天気がほとんどわからなかった。
どちらがいいとか悪いとか特段ないけれど。
展覧会前の最後の創作。
「リンダリンダ」は何度書いても、思いは乗る。
だって本当に、私の一番大事なことのひとつだから。
だが結局、書作的に何かを壊すことはできなかった、それなりには、私なりには、壊した、でも私が思うようには壊せなかった。
私の技術と発想の無さは存分に露呈することとなった。
11月末に展覧会があるものの、これが飾られる確率はどちらかというと低い。
入選して且つ、出品する自分の作品のうち一番出来が良くないといけない。
ただ、またヒロトの詞を書いてみて思うのは、私はこれをすることによって、もっと彼らの精神に触れたいということだった。
今のところ私が彼らの精神に触れられそうなのは書道以外にはないから、そうするけれど、他の方法でそれができるなら是非それもやりたい。
11月、友人がヒロトがゲストで来るというライブのチケットを取ってくれた。
私も30回くらいは電話をかけたけれど、全然つながらなかった。
よかった、本当によかった、友人にありがとう。
「リンダリンダ」のバンドスコアを見つけて、ギターも弾く。
ギターは今のところ、精神に触れる以前の基礎的なところに辿りつけないから、楽しみながらやりたい。
近くのTSUTAYAへ。
近所にあって便利だうれしい、と思っていたのになかなか行けず、行ってみたら16日で閉店すると書かれている。
なんてことだ。
とりあえず、「グレイズアナトミー」「デスパレートな妻たち」「最強のふたり」
「最強のふたり」はフランス映画らしい空気感のある映画だった。
銃殺も爆発も派手な罵り合いすらもないけれど、しみじみ丁寧、良い映画だった。
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