つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

女子がそれなら

2013-09-17 22:53:26 | 日記
ふとお昼に入ったお店で、Tahiti80が流れていた。
Tahiti80の甘くて爽やかなサイダーみたいな音楽は私のちょっとした思い出を想起させる。
それが私にとって、ちょっとしたことかどうかは、今の私がそう言いたいだけなのかもしれない。

もっとも、Tahiti80のフジロックで生を聴いた曲たちは、もっと荒っぽいロックな感じもあったから色々な曲があるのだとは思うけれど。

大きなどぶのような用水路に投げ捨てたiPod nanoは、汚い水の中で一瞬だけ光を取り戻して、その後すぐにすぅっと夜のどぶ水に吸い込まれて見えなくなった。
これにまつわる今でもくっきりとした輪郭のカラーの思い出は、私の心に襞をたくさんもたらしたと思う。

私自身はこのことに対する複雑さは持っていなくて、別に難しくはない。
そう思えば、ちょっとしたことで、ちょっとしたとてつもなく大きなことだったのだと思う。
これについては、私は無理やりに前に進むことはできないし、少なくとも今は全く頑張るという気は起きない。
当たり前だけれど、代わりのきかないものだったし、唯一としての認識が強かった。
私にとって良いものが他にないという意味ではなくて。

別にそれ以上のことは私には何も語ることはできない。
それだけ自分がそのようなことが苦手だということに目をやると、そういうふうには自分で認めていなかったことをしかと認識させられてしまった。
こういうことは、言えば言うほど、暗示にかかるのであまり連発して言ったりしないようにしたいと思う。

部屋が広くなって本当に良かったと、未だにしみじみ感じる。
書道をするためだけでなくて、自由に体を伸ばせるのは快適である。
旧居は部屋に占めるベッドの割合が大きすぎて、よくベッドフレームに足やら腕やらをぶつけていた。
部屋は狭い方が掃除もしやすいし、物も手に届きやすくていい、ということも一理あるけれど、やっぱりある程度広い方がいい。

前々からずっと欲しかった、モロッコの大き目のクッションであるプフを買う。
外の革のカバーのみなので、中には季節ものの服や古いタオル、夏用の布団などをパンパンに入れて使うらしい。
試しに要らないクッションや夏の肌掛け布団、要らないマキシ丈のスカートなど入れてみたけれど、その収納力は半端ではなくて、薄い布団であれば4枚くらいかもっと入りそうである。
そんなに入れるものがない。

買ったのはもう何週間か前なのだけれど、山羊革で作られたそれはとてもとても獣臭くて、何日か日干ししてから使ってくださいとHPにも記載があった。
日干しできる日を待ち望んでいたのだけれど、なかなかスカッと晴れる日がなくて、仕方なく部屋干ししていた。
部屋の空気の一画が獣臭に満ちていた。

台風一過、スカッと晴天の今日の朝、5階の屋上まで上ってプフを干す。
明日も晴天、という予報だから、明日いっぱいまで干しておこう。

しかし、この匂いは干しても少しは残るらしく、気になる人は気になりますという記載もあったから、私はだめかもしれない。
革の風合いも、刺繍のデザインも大好きなのだけれど、匂いには勝てない。
それに、収納になるのは一石二鳥と思いたいが、収納したものが臭くなってしまっては収納の用途を成さない。

秋の風に吹かれて、唇が乾燥する。
新しく使っている化粧品がどうも肌に合わないらしい。