つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

白に白

2013-09-23 00:05:29 | 日記
今度は展覧会ではなくて、書道教室の授業の中での創作としてマーシーの「手紙」を書くことにした。
マーシーの、セピア色の絵本みたいな独特の世界観の歌。
自分がそれを紙に書くと、マーシーが考えていたことの中に入れるような気がする。

背骨で聞いている ハチミツの雨
ヒマワリ畑で ラジオが歌うよ

手紙を書いたなら 空に飛ばすんだ
風が運ぶだろう 君のところまで

青空の下 怪獣退治 ギターを片手に
輝いている 夜明け前は もう春だ


この柔らかに照れ臭い質感と空気感。
マーシーの静かな曲は、ファンタジーに溢れていて、それは異世界なのにすんなりすっかり溶け込むことができる。

コピーバンドはできないけれど、「コピー書道」がもっとしたい。
彼らが思っていたことを想像して、エネルギーが溜まって、それを紙に書く。
「私のオリジナル」も書いては見たいけれど、それよりも今は「コピー書道」がしたい。

丸ごと、書きたい。
こんなにも、こんなにも、好きで好きで。


テレビ東京でやっている「たべるダケ」というドラマの録画を見せてもらった。
食べ物をとてもおいしそうに無心で食べる不思議な女の子が、何人かの人のもとに現れて、食べるダケの姿で彼らに生きる勇気や気づきを与えて行くという話。

これはすごい。
すごいロック。
ものすごく官能的。
いやはや、これはすごい。

欲望とそれへの目覚め。
目覚めない人も惹きつけられる人間の根底の欲望。
それを「たべるダケ」ということで表している。

後藤まりこという人を私は初めて知ったけれど、おそらく彼女でないとできないのではないかというくらいの適役。
「いただきます」「ごちそうさま」としか言葉を発しないのだけれど、大口開けて奥歯まで見せて食べる映像というのは息を止めて見てしまうくらいに凝視してしまうのである。
もう一言、井上和香が出てくる回で、井上和香が食べるところを見て「きれい」と発するのだが、「本当においしそうに食べている姿」に対してそれを言うのである。

食べる、ということは生きることであり、同時にとてつもなく性的なものになるときがある。
そして味覚というのはとても個人的なもので、人間の欲望の大きなひとつであり、それによる衝撃からの自分の思考行動指針が変化していく、というのはロックンロールに近しいというか、ロックンロールなのだ。

第一話で3度の離婚歴がある冴えない男が、「たべるダケさま」に会って衝撃を受け、「生きてるーーーーーー」と言って猛ダッシュするシーンがある。
こういうことなのである。

後藤まりこ本人のライブ映像をYou Tubeで観て、友達に私の興奮を直接連絡する。
誰かに伝えたいというのは、闇雲には思えないけれど、伝えたいと思う人がいることはとてもうれしいことだなと思う。

聞いてくれる人がいるのなら、「うれしかったよ!!!」とか「すごかったよ!!!」とか、ついでにたぶんものすごい勢いでそれを勧めてしまうとは思うけど、まずはただただそんな喜びを。