去年も行ったスカビルジャパン。
今年は去年と違う友人と一緒に行く。
久しぶりに生の演奏を聞いたけれど、一番良かったことは、友人と話ができたことだった。
既に連絡済みであった「たべるダケ」を猛烈に勧める。
他にも、あれは違う、これは違う、でもこれはそうで、もうすごいそういうこと、というようなことを激烈に話していく。
良い日を過ごせば過ごすほど、やりたくないことがやれなくなってくる。
欲しいものがなかなか手に入らないイライラではない、ものすごく単純なイラつきに襲われていて、それは大方自分のせいであることが更に腹立たしい。
やりたいことへのイライラではなくて、やりたくないことのイライラは、情けなくて泣きたくなる。
かつて欲しいような気がしていた所謂帰属意識も、今は全然欲しくない。
できることなら全部見ないことにしたいのだけど、そういうわけにもいかないから自分に落ち着けと言い聞かせる。
これについては自分が2年前と言っていることがものすごく変わってしまっているので周囲に迷惑をかけていることは重々承知している。
しかしながら、前の私の考えには戻れないし、結局のところ当時だって自分の言動に責任を持ってなかったのだ。
これ以上には、私は口を閉ざすしかなくて、だってこれは私が変わってしまったことだから。
閉ざすとか言って中途半端に力任せに口を開くものだから、私の他人にとって必要以上に熱せられた鉄球は、相手に火傷を負わせることすらもできないまま自分に跳ね返ってくる。
自分の鉄球で自分がケガを負ってしまう。
近しそうで、もしかしたら一番遠いかもしれないこと。
そのことは私を悲しくさせる。
気が重いのを取り外す思考だってあるはずだと、深呼吸してみる。
9月までに使わないと消失してしまう有給を取って、体力があって眠くない状態で好きなことをする。
ギターを弾く。
いつもは気持ちいいコードしか弾かないけれど、今日は時間も気力もあるのでA♭dimも練習するし、C♯7のハイポジションも考えてみる。
このサイトに載っているC♯mは確かに要素はC♯mだけれども、ルート音が違うじゃないかと気付いてみる。
確かに、ここにもBのコードはあるけれど、やっぱりこのサウンドではしっくりこないとか思ってみたりする。
コードの一番低い音が音色の主体になるし、コードの一番高い音が主旋律のように聞こえてしまうので、コードを展開して不協和音に鳴らなかったとしても何か違う、ということになる。
と言っても、全然まったく自在に展開することはできないので、ひとつずつ音の要素を考えて書き出し、ギターの弦に戻って数えながらその音を探していく。
この作業は全然好きではないし非常に面倒くさい。
しかしこういうことがもう一段階大きなレイヤーのことと結び付けば、応用できることも増えると思うのでたまに面倒も買う。
プリングとチョーキングとハンマリングとスライド。
まだ上手くできないけれど、そういうふうに使っていたのかという実感は得られた。
先日久しぶりにギター教室に行って、たぶん先生は私がなぜそんな考えればすぐに分かることを聞くのだろうかと思うくらいの質問をしていたと思う。
しかしその渦中にいるとギターという楽器の前では基本形が迷子状態なのでひとつの法則を手に入れても多くても1展開くらいしかできず、たくさんの方向から法則を覚えて徐々にじょじょに既存の法則と繋げられるものを繋げていくしかないのである。
だから先生はなぜそんなことがわからないのかと疑問に思っているかもしれないが、それでも私に小さな法則を丁寧に教えてくれる。
結局のところ、自分の出したい音が出ればどんな押さえ方でもどんな弾き方でもいい。
これはすごく高度な話だと思うけど、そういうことだ。
そのやり方で、気の済むまでやればいい。
いやしかし、「青空」のバンドスコアでマーシーのギターをなぞってみるのだけれど、やっぱりソロの部分がわからない。
タブ譜があってもわからない。
「KAMINOGE」という雑誌が届いた。
プロレスの雑誌ということを知らずに、ヒロトのインタビューが見たくて買った。
雑誌などの取材インタビューでは怒っている感じが誌面ですら伝わってくるヒロトだけれど、このインタビューは楽しそうな会話をしている饒舌なヒロトだった。
ヒロトは最高にロックンロールだけれど、でもロックを受けるだけではなくて、自分の中で本当によく咀嚼して考えている。
たくさんのものを観て読んで、そして自分で考え尽くしているのだと思う。
考えるだけにとどまらず、それを言葉にできるくらいまで落とし込んでいるのだ。
それでもアンコントローラブルな心や興奮が愛おしくてたまらないのだろう。
「ロックンロールで破壊活動をしてるからさ。でも、これも変な哲学的な話になっちゃうけどさ、僕が「世界をぶっ壊す」っていうその“世界”っていうのは自分の中にあるんだよ?こんな話をしてもつまんないかもしんないし、「また、よくある話ですね」って言われるかもしんない話だけど“世界”っていうのは自分の中にあるんです」
そして、「世界は素晴らしい」と言う。
そう、世界は素晴らしい。
なぜだろう、別に新しく触れた概念でもなんでもないのだけれど、この類の話をしたり読んだりしているだけで、目頭が熱くなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/65/38750fdd9e18ef70abbfdac65da2541f.jpg)
今年は去年と違う友人と一緒に行く。
久しぶりに生の演奏を聞いたけれど、一番良かったことは、友人と話ができたことだった。
既に連絡済みであった「たべるダケ」を猛烈に勧める。
他にも、あれは違う、これは違う、でもこれはそうで、もうすごいそういうこと、というようなことを激烈に話していく。
良い日を過ごせば過ごすほど、やりたくないことがやれなくなってくる。
欲しいものがなかなか手に入らないイライラではない、ものすごく単純なイラつきに襲われていて、それは大方自分のせいであることが更に腹立たしい。
やりたいことへのイライラではなくて、やりたくないことのイライラは、情けなくて泣きたくなる。
かつて欲しいような気がしていた所謂帰属意識も、今は全然欲しくない。
できることなら全部見ないことにしたいのだけど、そういうわけにもいかないから自分に落ち着けと言い聞かせる。
これについては自分が2年前と言っていることがものすごく変わってしまっているので周囲に迷惑をかけていることは重々承知している。
しかしながら、前の私の考えには戻れないし、結局のところ当時だって自分の言動に責任を持ってなかったのだ。
これ以上には、私は口を閉ざすしかなくて、だってこれは私が変わってしまったことだから。
閉ざすとか言って中途半端に力任せに口を開くものだから、私の他人にとって必要以上に熱せられた鉄球は、相手に火傷を負わせることすらもできないまま自分に跳ね返ってくる。
自分の鉄球で自分がケガを負ってしまう。
近しそうで、もしかしたら一番遠いかもしれないこと。
そのことは私を悲しくさせる。
気が重いのを取り外す思考だってあるはずだと、深呼吸してみる。
9月までに使わないと消失してしまう有給を取って、体力があって眠くない状態で好きなことをする。
ギターを弾く。
いつもは気持ちいいコードしか弾かないけれど、今日は時間も気力もあるのでA♭dimも練習するし、C♯7のハイポジションも考えてみる。
このサイトに載っているC♯mは確かに要素はC♯mだけれども、ルート音が違うじゃないかと気付いてみる。
確かに、ここにもBのコードはあるけれど、やっぱりこのサウンドではしっくりこないとか思ってみたりする。
コードの一番低い音が音色の主体になるし、コードの一番高い音が主旋律のように聞こえてしまうので、コードを展開して不協和音に鳴らなかったとしても何か違う、ということになる。
と言っても、全然まったく自在に展開することはできないので、ひとつずつ音の要素を考えて書き出し、ギターの弦に戻って数えながらその音を探していく。
この作業は全然好きではないし非常に面倒くさい。
しかしこういうことがもう一段階大きなレイヤーのことと結び付けば、応用できることも増えると思うのでたまに面倒も買う。
プリングとチョーキングとハンマリングとスライド。
まだ上手くできないけれど、そういうふうに使っていたのかという実感は得られた。
先日久しぶりにギター教室に行って、たぶん先生は私がなぜそんな考えればすぐに分かることを聞くのだろうかと思うくらいの質問をしていたと思う。
しかしその渦中にいるとギターという楽器の前では基本形が迷子状態なのでひとつの法則を手に入れても多くても1展開くらいしかできず、たくさんの方向から法則を覚えて徐々にじょじょに既存の法則と繋げられるものを繋げていくしかないのである。
だから先生はなぜそんなことがわからないのかと疑問に思っているかもしれないが、それでも私に小さな法則を丁寧に教えてくれる。
結局のところ、自分の出したい音が出ればどんな押さえ方でもどんな弾き方でもいい。
これはすごく高度な話だと思うけど、そういうことだ。
そのやり方で、気の済むまでやればいい。
いやしかし、「青空」のバンドスコアでマーシーのギターをなぞってみるのだけれど、やっぱりソロの部分がわからない。
タブ譜があってもわからない。
「KAMINOGE」という雑誌が届いた。
プロレスの雑誌ということを知らずに、ヒロトのインタビューが見たくて買った。
雑誌などの取材インタビューでは怒っている感じが誌面ですら伝わってくるヒロトだけれど、このインタビューは楽しそうな会話をしている饒舌なヒロトだった。
ヒロトは最高にロックンロールだけれど、でもロックを受けるだけではなくて、自分の中で本当によく咀嚼して考えている。
たくさんのものを観て読んで、そして自分で考え尽くしているのだと思う。
考えるだけにとどまらず、それを言葉にできるくらいまで落とし込んでいるのだ。
それでもアンコントローラブルな心や興奮が愛おしくてたまらないのだろう。
「ロックンロールで破壊活動をしてるからさ。でも、これも変な哲学的な話になっちゃうけどさ、僕が「世界をぶっ壊す」っていうその“世界”っていうのは自分の中にあるんだよ?こんな話をしてもつまんないかもしんないし、「また、よくある話ですね」って言われるかもしんない話だけど“世界”っていうのは自分の中にあるんです」
そして、「世界は素晴らしい」と言う。
そう、世界は素晴らしい。
なぜだろう、別に新しく触れた概念でもなんでもないのだけれど、この類の話をしたり読んだりしているだけで、目頭が熱くなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/65/38750fdd9e18ef70abbfdac65da2541f.jpg)