つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

何を避ける

2015-01-01 23:40:14 | 日記
ギターを背負って帰宅してまもなく、年が明けた。

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

大晦日の昨日、ギターもドラムもベースもできるという方が、一緒にスタジオに行ってくれるというものだから嬉々として渋谷に向かった。
いささか、というか結構緊張もしていたけれど。

私のようなレベルの人がスタジオに行きたいというときは、誰か1人でも私を支え、私に付いてきてくれる上手な人が必要である。
テンポがずれがちな私に何食わぬ顔で合わせてくれて、私が恥ずかしくないように自分は音に乗って演奏し引っ張ってくれて、私の失敗に少しうんざりしながらも根気よくアドバイスをくれて、前奏も間奏もよく分かっていない私を尻目に曲全体を成り立たせてくれて、そんな、私のわがままと至らなさを一挙に引き受けて尚、前に進んでくれる頼りがいがある人。
そして私が指定した曲ばかりをやってくれる心が広い人。

今回もそんな人が付き合ってくださって、「ラブレター」「日曜日よりの使者」「夕暮れ」「アンダルシアに憧れて」「トレイントレイン」「To be with you」「リンダリンダ」「Don't look back in anger」
如何せん私のギターとボーカルに余裕がなさすぎるので、やってくれていたギターやベースやドラムについて、ほとんどお任せ状態で聞くことができなかったのは少し後悔している。
が、そのときにそれに気付いてもやはり、余裕がないので聞けなかったとは思う。

ただその人の演奏スタイルとして、ひとつだけとても伝わってきたことがあって、それは「気持ちを音に乗せているのだ」ということだった。
割と長い間知り合いである方だけれど、あぁこの人はこういうことで音楽をやっているのだ、ととても腑に落ちた気がした。
演奏姿はほとんど見ていなかったけれど、そのことだけは音だけで十分すぎるくらい伝わってきていた。

レベルが低すぎるけれど、私は曲が前奏からエンディングまで全部やれてそれっぽく終わるだけで、すごいな、と思ってしまったりする。
未だ「音楽に乗って演奏する」ということが体感できない私だけれど、でもやっぱり音楽は誰かと一緒にやると楽しい。

それは本当に、全幅の信頼を置かせてもらえて、引っ張ってくれる人あってこそだ。
と同時に、なんだか私みたいなのに付きあわせてしまったことを申し訳なくも思った。

ありがとうございます、すみませんでした、ありがとうございました、もし嫌でなければ・・また・・・是非・・・。
という、そんな心持ち。

私は、自分で生む音にさっぱり自信がない。
何かを見るとき、聞くとき、それが写真や曲など、出来上がった完成品であれば、自分にとっての良いか悪いかはなんとなく判断できる。

けれど、自分の生む音であったり、旋律でないギター単品の音やドラムのリズムだけについて、「良い」ということがどういうことなのかの自分なりの尺度さえも持ち合わせていない。
音楽に対する自分の見聞きが圧倒的に少ない、ということもあるだろうが、物事の判断基準の基本となる「自分が良いと思うものが良い」ということさえもよく分からないのである。
「その曲いいね」と言えても、「そのギターの音いいね」と言えないのである。
文脈以外の見方の、音楽における「良い」が自分でよく分からないから。
ちなみに、「ダメな音」として聞こえるギターなど私にはなくて、全部「良い音」に聞こえる。

このことがまさに私の音楽のコンプレックスなんだな、と思う。
何はさておき、「自分が良いと思うものが良い」という判断は別にどの段階で、どんな稚拙な意見であっても持つことだけはできるはずだ。
それなのにそれができないということは、目を背け過ぎということに他ならない。

そんなことで「音楽に乗る」、何であれ「音楽を使って表現をする」なんてことができるはずはない。
音楽は私にとってあまりにも巨像だけれど、ちょっとでも、近づけるといいな、と小さな心で思うのだった。

大晦日の渋谷は、全然お店が空いていなかった。
お店を覗けども覗けども、まっくらか大掃除中か「準備中」か。
コンビニは年中無休、世界でも明かりが消えない街東京であるはずなのに、大晦日の居酒屋はほとんどやっていない。

やっと入れたチェーンの居酒屋も2時間制。
行く場のない人たちが次々と入ってくる。

2時間で追い出されてしまったので、コーヒーを飲もうと思っても当然難民と化す。
スタバなどのカフェも店じまい。
ホテルのラウンジなら、とエクセル東急は空いていた。
最初からここにすれば良かったと思うほど、空いてもいるし居心地も良い。

今後大晦日に渋谷に来ることがあったらここは使えると覚えておこう。

家に着いて年が明けて林檎をかじって、できなかった「To be with you」のソロパートを練習する。
改めてiTunesから曲を聴いてみると、随分と明確な音で強く弾いていた。

一生懸命10時半に置き、乾きにくい布団カバーを洗濯して、2時間に1本しかないひかりに乗るべく着々と準備。

新幹線の中で仕事が少しでもできればいいのになと思ったのに、終始考え事をしていた。

実家に着くと、「みんながおるで仏さんまいるか」とおじいちゃんが言う。
浄土真宗のお経をなんとなく、私は読むことができる。


息白し障子に染みた羊さん