個人事業主が「忙しい」と口にした場合、それは確かに喜ばしいことなのかも知れない。
しかしその忙しさの責任を一手に負っているのだから、本人の状況としては当然、どうなんだろう、という点は残る。
と言うのも、年明けから教えている方のお仕事の新規体験レッスン数が半端なく、私はそれだけを仕事にしているわけではないので、既に仕事量としては私が思うところの限界の7割、8割に達している。
この状況よりもたぶん何倍もの状況になって既に受付不可能となっているという話を他の講師職をやっている方から聞いたばかりだけれど、私の状況の原因は、主に事務局側が広告を全開に打っていること、ユーキャンがテレビCMでペン字について大々的にやっていることが挙げられる。
生徒数が増える初期の段階では、例えば「儲かる」ということを取り出してみると、「さして儲からない」という点もその他の講師さんが言っていたことで、また同様である。
往々にして、初回は無料であったり、半額であったりと「お試し」であることがほとんどだ。
お金云々じゃない部分もあれど、お金云々ですという部分だって当然あるのは他のどんな仕事だって同じことだ。
もちろん、選んでやっているわけだし、扱っていることも大好きなことだ。
生徒さんにはできる限り「良くなってほしい」というのも本当だ。
だから自ずと他の好まない仕事よりも気合いが入ってしまうというのもあり、当たり前ながらエネルギーを消費する。
悠長なことを言っている場合でないのだけれど、何を取って、何を捨てるのか、きちんと舵取りをせねばならない。
ところで、会社勤めをしていたときは、新しい人と会ったり、営業したりすることを仕事で避け続けてきた私であるが、今はそういうことに関してはあまり気にはならない。
時々、女性の生徒さんに「こういうお仕事ってちょっと不安だったり怖かったりしませんか?」と聞かれるのだけれど、正直に言って私は全然そういうふうには捉えていない。
「新しい出会い」というのは何であれ、何かしらお互いにとって良いものでありますように、という淡い期待も混じる。
確かに、いろんなタイプの人がいて、いろんな職業の人がいる。
向こうからすれば、私の職業の方が懐疑的というか、見えづらいというのもあるだろうけれど、なんにせよ、対人間と出会うときにはまずフラットで良いと思うので、とりあえず「怖い」ということはない。
精進せねばと自分を恥じたり、身につまされる思いをすることはあるけれど。
多くの人と会っていると、データベース的に共通点が非常に多い人もいてびっくりすることがある。
大学が同じ、というのは別にとてもよくあることだけれど、それでも近しさを感じる共通点の一つだろう。
地元が近い、というのもそういう類の話である。
最近、それのもっと局所的バージョンが立て続けにある。
いもうとが勤めている会社が同じ、誕生日が同じ、大学の学部・専修・年齢まで同じ、挙げ句いもうとが住んでいるマンションにお住いの方まで現れて、お互い少々気恥ずかしいことを知ってしまった感じがした。
データベース的共通点というのは、ただそれがそれである、というだけの話ではあるものの、それが局所的であればあるほど最初は盛り上がる。
菌友になりましょうよと言っていた生徒さんから、椎茸の栽培キットが届いた。
椎茸を送りますと聞いていたものの、私はてっきり、収穫した椎茸を送って下さるのかと思っていたら、原木が届いたのでちょっと度肝を抜かれた。
送ってくれた生徒さんに、ありがとうございます、といくつかの質問をする。
原木からはすでにうっすらと椎茸の香りがする。
キットの説明通りに、原木を洗って霧吹きで水をかける。
透明なプラスチックのドーム型の入れ物に表面がごつごつした切り株のような感じのもの。
なんだか、家に見慣れないものが増えた。
たっぷり愛でたい。
飽きたらず、『カイジ』語録シリーズ。
元日に背を向け跳ねる雪兎
しかしその忙しさの責任を一手に負っているのだから、本人の状況としては当然、どうなんだろう、という点は残る。
と言うのも、年明けから教えている方のお仕事の新規体験レッスン数が半端なく、私はそれだけを仕事にしているわけではないので、既に仕事量としては私が思うところの限界の7割、8割に達している。
この状況よりもたぶん何倍もの状況になって既に受付不可能となっているという話を他の講師職をやっている方から聞いたばかりだけれど、私の状況の原因は、主に事務局側が広告を全開に打っていること、ユーキャンがテレビCMでペン字について大々的にやっていることが挙げられる。
生徒数が増える初期の段階では、例えば「儲かる」ということを取り出してみると、「さして儲からない」という点もその他の講師さんが言っていたことで、また同様である。
往々にして、初回は無料であったり、半額であったりと「お試し」であることがほとんどだ。
お金云々じゃない部分もあれど、お金云々ですという部分だって当然あるのは他のどんな仕事だって同じことだ。
もちろん、選んでやっているわけだし、扱っていることも大好きなことだ。
生徒さんにはできる限り「良くなってほしい」というのも本当だ。
だから自ずと他の好まない仕事よりも気合いが入ってしまうというのもあり、当たり前ながらエネルギーを消費する。
悠長なことを言っている場合でないのだけれど、何を取って、何を捨てるのか、きちんと舵取りをせねばならない。
ところで、会社勤めをしていたときは、新しい人と会ったり、営業したりすることを仕事で避け続けてきた私であるが、今はそういうことに関してはあまり気にはならない。
時々、女性の生徒さんに「こういうお仕事ってちょっと不安だったり怖かったりしませんか?」と聞かれるのだけれど、正直に言って私は全然そういうふうには捉えていない。
「新しい出会い」というのは何であれ、何かしらお互いにとって良いものでありますように、という淡い期待も混じる。
確かに、いろんなタイプの人がいて、いろんな職業の人がいる。
向こうからすれば、私の職業の方が懐疑的というか、見えづらいというのもあるだろうけれど、なんにせよ、対人間と出会うときにはまずフラットで良いと思うので、とりあえず「怖い」ということはない。
精進せねばと自分を恥じたり、身につまされる思いをすることはあるけれど。
多くの人と会っていると、データベース的に共通点が非常に多い人もいてびっくりすることがある。
大学が同じ、というのは別にとてもよくあることだけれど、それでも近しさを感じる共通点の一つだろう。
地元が近い、というのもそういう類の話である。
最近、それのもっと局所的バージョンが立て続けにある。
いもうとが勤めている会社が同じ、誕生日が同じ、大学の学部・専修・年齢まで同じ、挙げ句いもうとが住んでいるマンションにお住いの方まで現れて、お互い少々気恥ずかしいことを知ってしまった感じがした。
データベース的共通点というのは、ただそれがそれである、というだけの話ではあるものの、それが局所的であればあるほど最初は盛り上がる。
菌友になりましょうよと言っていた生徒さんから、椎茸の栽培キットが届いた。
椎茸を送りますと聞いていたものの、私はてっきり、収穫した椎茸を送って下さるのかと思っていたら、原木が届いたのでちょっと度肝を抜かれた。
送ってくれた生徒さんに、ありがとうございます、といくつかの質問をする。
原木からはすでにうっすらと椎茸の香りがする。
キットの説明通りに、原木を洗って霧吹きで水をかける。
透明なプラスチックのドーム型の入れ物に表面がごつごつした切り株のような感じのもの。
なんだか、家に見慣れないものが増えた。
たっぷり愛でたい。
飽きたらず、『カイジ』語録シリーズ。
元日に背を向け跳ねる雪兎