つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

苗字と駅名

2015-01-05 20:22:20 | 日記
カフェ習慣のない私だけれど、最近は仕事でカフェをよく使う。
おしゃれカフェではなく、ルノアールやらスターバックスやら。

ルノアールが仕事がしやすい、というのはよく言われることだと思うし、店側もそういう客をターゲットにしているだろうけれども、本当に仕事がしやすい。
席はゆったりしているし、席のみでなく店自体も広く開放感があるし、いつ行ってもたいてい入れるし、飲み物だけの注文でも温かいお茶が出てくるし。
若い客がいないのは良いが、年配の団体が多い場合にはうるさいにはうるさい。
あと喫煙・禁煙は別れてはいるものの、店全体が煙草臭いので気になる人は気になるであろう。
私はあまり気にならない。

今日は、ビジネスホテルではあるまいし、と思いつつもアイフォンの充電が切れそうで、あるなし半々の気持ちで聞いてみると、「ありますよ」との即答。
コンセントの差し口のある席に移動させてもらって充電器をお借りする。
テザリングって案外電気を食うのである。

コンセプトとサービスの充実って大事だな、と思う。


書道に加え、ペン字を人に教えるようにもしばらく経つ。
書道よりもペン字の方が需要が断然大きいのは、レッスン会場がカフェでもできるからというのもあるし、ペン字の方が「実用的」で普通の生活では「実用性」が求められているのだろう。

別に私はペン字を特別に習ったということはない。
もちろん一通り書道教室でもやってはいるものの。

ただ、私の字好きは中学校の頃の漢字練習から本格的に始まっていて、「きれいな字」とは何かを自分で追求していた。
何がそうさせたのか知らないが、板書は字を書くためにしていたし、家に転がっている筆ペンは1日でなくなってしまうほどだった。

まあでも私は「字は記号」であり、「読めればいい」と思っているので、普段そんなにきれいに書いたりはしない。
そしてもっぱら書道の創作にはまるようになってからはあまりペン字の鍛錬をすることもなくなったのだけれど、教え始めてからは必要に駆られてよくペン字も書いている。

上手いっぽく見せるコツとか、バランスのとり方とか、そういうことはだいたい分かるので、ペン字を教え始めてから私はペン字が上手くなった気がする。
手の運動が付いてくるかどうかは、日々やるだけ、ということだ。

正直なところ、最近で言えばあまりペン字には興味がないと思ってたのだけれど、教えていることで気付くことも本当に多く、ちょっと面白くなってきた。
私が思う「上手いっぽく見せるコツ」というのをやってもらうと、本当に「上手いっぽく」見えるのだなと改めて私が知ることができているからだ。

そのコツは、普段無意識に字を書いているのでは到底気づけないような小さなちいさなコツ。
でもその小さなちいさなコツたちは、字の雰囲気、ニュアンスを司り、また意外と汎用性があったりして、それを覚えておけばあの字もあの字も上手いっぽく書ける、といったことが起こる。
だから私はレッスンのときに「汎用性」という言葉を非常に多用する。

しかし教えられることはその汎用性のあるコツたちだけで、それを体得するかどうかはそれをやる本人にのみかかっている。
そのやる気を引き出す、ということでいけばもう少し別のやり方があるのかもしれないけれど、私はそれを考え教えることは今後もない気がする。

時々、私が書いたお手本通りに上手に書いてくる人がいて、そういうものを目の当たりにすると私はいささか恐縮する。
自分の字が他人によって体現されたとなると、私は自分を覗かれたような気分になるのである。
それに、私のコピーなどしてほしいわけではないので、ちょっと引いてしまうということもある。
きっちり臨書できるというのは、もちろん技術的に素晴らしいことなのだけれども。

できれば私は「あなたの字」が見たいのです、と思う。
矯正のようなことをしておいて、勝手ではあるものの。

良いレッスンとは何か、コンセプトとサービスの充実を基軸に考えてみたりもする。


煌めいた理想のマニキュア冬銀河