つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

群青色の喧嘩

2015-01-09 18:28:24 | 日記
たまに、筆ペンなどを誰かが持っているとき、不意に「書いてよ」と言われることがある。
これ、本当にやめてほしい。
筆であっても不意に振られるのは困ってしまうけど、まだ全然筆の方がいいし、何せ筆ペンで何かを書くというのはギタリストがベースを弾くようなものだと思う。

筆ペンにも種類があるが、決まって穂先が開かず柔軟性に欠けるので、線の太細が非常に付けづらい。
あと単純に慣れていないので力の入れ加減がわからない。

昨日もそんな機会があって、分からないように草書で書いてみたり色々誤魔化してみたけれど、私は昨日の自分の不出来と、それを見られたことに、結構大きなショックを今日まで引きづっている。
何がそんなにダメなんてたぶんあの場にいた人たち全員がほとんど分からなかったであろうが、本当になんだかなあというものを書いてしまったのだった。
書いたあのノートを奪って燃やしてしまいたい。

人に教えている手前、いつでもどこでもまあまあ書けます、という状態は必要であろうが、条件が整わないことにおけるプライドもまあまあ重要なような気がする。
私はパフォーマンス書道をしているわけではないから、その場のパフォーマンスが自分の納得がいかないならやらなければいい。
しかし、それでもそういうことは機会として訪れるだろうし、断るのも「それほどのものかよ」という気がするのでそれも選べない。
ならば筆ペンの練習とかした方が良いのだろうか。

というか、私は人前で何かをするのが、何であれ、非常に苦手なのである。
会話、は問題なくできるけれど、自分に視線が向けられています、ということが酷くひどく苦手だ。
プレゼンだって、会議の進行役だって、本当にほんとうに苦手だ。
普通の打合せで何かを報告するのも、4人以上いたら緊張する。

これを書いていて思ったけれど、私が鍛えねばならないのは筆ペンではなくて、そのことなのかもしれない。
おそらく「自分が及び得る最高のパフォーマンスが人前でできないこと」や「自分の考えに自信がない、他人から批判されたり軽んじられたり誤解されたりすること」を極度に恥ずかしい、と思っているから緊張するのだと思う。

そして私の緊張しいはとても顕著に体に現れる。
手が冷たくなったり、震えたりする。
鼓動はバクバクだし、深く息を吸うことができなくなって、喉が渇く。
なぜか顔には体の反応ほどは出ず、わりに飄々として見えるらしいのだが。
人に見られることが快感、という人も絶対にいると思うけれど、私はとてもとてもそんなことは言えない。

しかし、自分が感じている他人の評価の大半が、私自身が生み出した幻想だ。
私は極めて、独りよがりの妄想屋だ。

しかし、それが分かったところでどうやったらそれが消えるのだろうか。
消えないまでも、落ち着くだろうか。

要は、「自分に対する自信」が十分に持てるか、ということになるであろう。
自分に対して偽りなく、謙虚さを持たないということでもなく、自信が持てたら、たぶんそれほどまでにビビりはしないだろう。
体力と知力の限り、というほど大げさでなくても、でもそれくらいやり尽くしたものならば、きっとそれほどまでに緊張したりもしないだろう。

と、あとは「慣れ」もあるだろう。
ショック療法的に恥ずかしい思いをして、研鑽を重ね、そしてまた恥ずかしい思いをするしかないのだろうなと思う。

話は戻るが、筆ペンの練習か・・と思うわけだけれど、ペン字の練習か・・と思っていたのもつい先日までの事実で、やってみると案外楽しいのかもしれない。
いやでも、だったら細筆を墨を持ち歩いた方が良いくらいにも思えてくる。

まあなんていうか、単純な意味で、落ち込んでいる。


爪の色塗り替えタイプ初仕事