《コントラタック2015》
◆ 傍聴に来ていただいたみなさま、ありがとうございます。
(岸田静枝さんから)*************************
今日の「君が代」修正処分裁判第9回ロ頭弁論は、岸田本人の尋問です。
前回のロ頭弁論で、10人裁判に続いて意見書を書いてくださった奈良基督教会の井田泉司祭の証人申請が却下され、証人尋問が実現されなかったのは、返す返すも残念です。
この決して諦められない残念な思いを、目に見える形で示そうと、人権委員会の友人が、日本聖公会管区や東京教区で出された声明文を集めてくれました。証拠で提出します。
これら幾つかの声明文は私も知っていましたが、初めて見る決議や記録もありました。1995年の宣教協議会では、戦争責任告白と反省に立ち、『「元号」「日の丸」「君が代」の使用、町内会費の神社への寄与分の支払いなどの天皇制を支えることを拒否』することを決定しています。
天皇制を考える委員会も設置されていました。それなのになぜ、当時の私の教会には聞こえてこなかったのでしょうか。情報は流れてきただろうし、文書も掲示されていたと思います。そう思いたい。
しかし、「日の丸・君が代」の話題は教会の外でやってください、というような雰囲気でした。声明文や決議は、キリスト教の教義に基づいているものの、教義そのものではありません。それでもその存在を知っていると、教会の内に招き入れられるような気持ちになります。
本人尋問の打ち合わぜや準備で再確認したことは、たくさんあります。高橋弁護士さんから、「退職の日は、どのような気持ちでしたか」と聞かれたけれど、他の日と同じと言えば同じだし、違うと言えば違うし、つまりは日常の連続でした。4月からは、あえて言えば、昼間の拘束時間が無くなった分、在宅介護を続けていた要介護5の母親と過ごす時間が増えましたが、私の気持ちに大きな変化はありませんでした。
けれど、だからと言って、教員最後の3月31日を停職処分の一日にしてしまった、そしてさらに、2年半後には「減給処分に修正されているのだから」と、すでに執行した停職処分を、始めからなかったことにした相手への怒り、悔しさは、じわじわと湧き出て、ますます深く強くなっています。
退職後5年経った今も裁判を続けていると、時間に逆流してその場面に辿り着くことが数えきれないほどあるのですが、辿り着いて平気な時もあるけれど、辛くて辛くて、帰りたくて逃げたくなってしまう時もあります。それでもなぜ裁判を止めないでいるのか、原点と原動力を改めて考えています。
私に「君が代」の伴奏を強いること、「日の丸」に向かい、立って「君が代」を歌えと強いること、私に強いられたことを、私が子どもたちに強いるとは、私という個人を認めないことです。子どもたち一人一人を私が認めないことです。私から自由を奪い、子どもたち一人一人から自由を奪うことです。「君が代」裁判は、個人を尊重することを取り戻し、自由を大切にしてゆくことを取り戻す裁判でもあると思っています。
千代田区一ツ橋2-6-2 TEL 03-5276-1311
◆ 傍聴に来ていただいたみなさま、ありがとうございます。
(岸田静枝さんから)*************************
今日の「君が代」修正処分裁判第9回ロ頭弁論は、岸田本人の尋問です。
前回のロ頭弁論で、10人裁判に続いて意見書を書いてくださった奈良基督教会の井田泉司祭の証人申請が却下され、証人尋問が実現されなかったのは、返す返すも残念です。
この決して諦められない残念な思いを、目に見える形で示そうと、人権委員会の友人が、日本聖公会管区や東京教区で出された声明文を集めてくれました。証拠で提出します。
これら幾つかの声明文は私も知っていましたが、初めて見る決議や記録もありました。1995年の宣教協議会では、戦争責任告白と反省に立ち、『「元号」「日の丸」「君が代」の使用、町内会費の神社への寄与分の支払いなどの天皇制を支えることを拒否』することを決定しています。
天皇制を考える委員会も設置されていました。それなのになぜ、当時の私の教会には聞こえてこなかったのでしょうか。情報は流れてきただろうし、文書も掲示されていたと思います。そう思いたい。
しかし、「日の丸・君が代」の話題は教会の外でやってください、というような雰囲気でした。声明文や決議は、キリスト教の教義に基づいているものの、教義そのものではありません。それでもその存在を知っていると、教会の内に招き入れられるような気持ちになります。
本人尋問の打ち合わぜや準備で再確認したことは、たくさんあります。高橋弁護士さんから、「退職の日は、どのような気持ちでしたか」と聞かれたけれど、他の日と同じと言えば同じだし、違うと言えば違うし、つまりは日常の連続でした。4月からは、あえて言えば、昼間の拘束時間が無くなった分、在宅介護を続けていた要介護5の母親と過ごす時間が増えましたが、私の気持ちに大きな変化はありませんでした。
けれど、だからと言って、教員最後の3月31日を停職処分の一日にしてしまった、そしてさらに、2年半後には「減給処分に修正されているのだから」と、すでに執行した停職処分を、始めからなかったことにした相手への怒り、悔しさは、じわじわと湧き出て、ますます深く強くなっています。
退職後5年経った今も裁判を続けていると、時間に逆流してその場面に辿り着くことが数えきれないほどあるのですが、辿り着いて平気な時もあるけれど、辛くて辛くて、帰りたくて逃げたくなってしまう時もあります。それでもなぜ裁判を止めないでいるのか、原点と原動力を改めて考えています。
私に「君が代」の伴奏を強いること、「日の丸」に向かい、立って「君が代」を歌えと強いること、私に強いられたことを、私が子どもたちに強いるとは、私という個人を認めないことです。子どもたち一人一人を私が認めないことです。私から自由を奪い、子どもたち一人一人から自由を奪うことです。「君が代」裁判は、個人を尊重することを取り戻し、自由を大切にしてゆくことを取り戻す裁判でもあると思っています。
※2014年12月15日提出の岸田さんの陳述書〈35ページ〉から抜粋「君が代」不当処分撤回を求める会(事務局;東京都公立学校教職員組合内)
自分の言葉と表現にない「音楽」を強いられることは、私にとっては、音楽への冒涜です。宗教としてのキリスト教ではなく、キリスト教の信仰を守る私の生き方にも抵触します。私の宗教が脅かされてもわたしは生きていくことができますが、信仰が脅かされると、私は生きていく事ができなくなります。信仰とは、そのようなことなのです。天皇制の存続を願い天皇を賛美するウタ、「君が代」を歌う、ピアノで伴奏するとは、私の信仰を脅かす何物でもありません。このことを是非ご理解くださるよう切にお願いします。
千代田区一ツ橋2-6-2 TEL 03-5276-1311
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