北国街道の宿場町としてにぎわいを見せた「海野宿」を探索して来ました。寛永二年に開設された頃には旅籠が二十三軒、伝馬屋敷が五軒もありにぎわったとされている宿場町は、今でも道路中央の用水路には透きとおった水が流れ、柳並木が静かになびいています。まるで時代の変化を忘れてしまったような建物が多数残されています。
看板をみていると・・・
「うだつ」江戸時代に建物の両側を屋根より一段高くした防火壁「本うだつ」
明治時代からは装飾性の要素が強い「袖うだつ」が主流に、家の財力の象徴的なシンボルであり「うだつが上がらない奴」とは、この「うだつ」が語源とされているとの話て自分に重ねると頭が痛い思いに駆られる。
日本の伝統建築物が末永く生活と共に保存されて行く事を願い海野宿を後にした。
PowerShotG10にて9月16日(金)に撮影
看板をみていると・・・
「うだつ」江戸時代に建物の両側を屋根より一段高くした防火壁「本うだつ」
明治時代からは装飾性の要素が強い「袖うだつ」が主流に、家の財力の象徴的なシンボルであり「うだつが上がらない奴」とは、この「うだつ」が語源とされているとの話て自分に重ねると頭が痛い思いに駆られる。
日本の伝統建築物が末永く生活と共に保存されて行く事を願い海野宿を後にした。
PowerShotG10にて9月16日(金)に撮影
そして、うだつがただの美しい飾りではなく実用的な防火壁になっているとは
なかなか賢い造りだと思いました。
道がとても広いのもあるいは防火に関係が有るのかもしれませんね。
これほどの町並みが良く残っていると関心してしまいました。
やはり木造建築の欠点は、火に弱く火事になったら大変ですよね。
うだつは美濃方面でも古い建物で見かけているので当時としては、
メジャーな防災方法だったのかも知れません。