シューマンピアノ協奏曲op.54は、誰を手本に作曲され、誰が手本にしたのか?
いろいろな解説を読んだが、シューマンピアノ協奏曲op.54の第2楽章と第3楽章が メンデルスゾーンピアノ協奏曲第1番の演奏に影響を受けたことは明記されているが、第1楽章についてのお手本の記載は書かれていないことが多い。ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」と同じように冒頭にピアノソロが配置されていることを指摘することが多いが、本当か?
ベートーヴェン「皇帝」第1楽章は「協奏曲的ソナタ形式」で呈示されるが、シューマンピアノ協奏曲op.54は「ソナタ形式」で呈示されるので違和感大
なのである。「皇帝」冒頭は ff で開始されるが、シューマンは f で序奏が鳴るが、第1主題は p でそっと奏でられる
確かに「カデンツァが確定している」「ピアノパートのデュナーミクを書き込んでいる」などの共通点を重視する人の目には手本にしたように見えるんだろう。
形式的には、シューベルト「さすらい人」幻想曲作品15D760が第1楽章単体でも、全3楽章でも手本
音響的には、モーツァルトピアノ協奏曲(但し短調作品K.466 & 491 を除く)が手本
となっている。モーツァルトピアノ協奏曲では第23番イ長調K.488 などが手本になった可能性が高い。「オーボエとクラリネットが揃っているから」と言って第24番ハ短調D491 を手本にした、と考えるのは違う、と感じる。
モーツァルトピアノ協奏曲のピアノソロパートはわずかな例外を除いて、デュナーミクが全く書かれていない。第17番K.453以降は、「木管楽器とピアノの掛け合いが印象的」なのだが、シューマンピアノ協奏曲は冒頭からオーボエとピアノの対話がしっとりと第1主題を囁き合う。
シューマンは学生時代の18才で既にシューベルト「さすらい人」幻想曲を弾きこなしていた。「循環ソナタ形式」原理を学び習得し、この傑作で花開くこととなったのだ。(ウィーンで引いた訳ではないが、シューベルト生前!)
グリーグピアノ協奏曲イ短調op.16 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は正しい
調性も同じ、響きも似ているし、「ソナタ形式」の第1楽章も瓜二つ!!!
ブラームスピアノ協奏曲第1番op.15 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は誤り
解説本に「ブラームスがシューマンを手本にした」といくつも目にしたが、あり得ない><
◎ブラームス交響曲第1番ハ短調op.68 = ベートーヴェン交響曲第10番 との評が初演直後からあった。手本はベートーヴェン交響曲!
ピアノ協奏曲でも、ベートーヴェン「皇帝]の後継者 = ベートーヴェンピアノ協奏曲第6番 と呼んで欲しかった><
ベートーヴェンと同じ「協奏曲風ソナタ形式」で書かれており、響きもぶ厚い。ブラームスもクララも「ロベルトのピアノ協奏曲の後継者」と語った、の文章は1度も見たことない。何でこんなバカな解説するのだろうか? 耳ある???
シューマンが「クララのために書いた曲」は以下の4曲
クララ・ヴィークの主題に拠る即興曲op.5
謝肉祭第12曲「Chiriana」op.9
ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章(第1稿第4楽章、第2稿第2楽章、第3稿第3楽章)
ピアノ協奏曲イ短調op.54
この内、最初の即興曲は、クララが編集した『ブライトコプフ旧シューマン全集ピアノソロ巻』では第2巻までには収録されなくて、(恋敵のエルテスティーネ関連で外された「交響的練習曲」op.13や大嫌いなリストに献呈された「幻想曲」op.17と並んで)第3巻に廻された><
「謝肉祭 Chiriana」も「ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章」もピアノ協奏曲第1楽章展開部冒頭部も全部「変イ長調」!
であり、クララがロベルトに感謝した! こと間違い無し。しかも冒頭が「C-H♭-A♭ーA♭」だったのだ!!!