「10のフモレスケ」として作曲された「子供の不思議な角笛」1892年版は、「フモレスケ」の名の通り「ユーモアを持った曲」として構想された。「あの世の生活」も「神 or 王 系」として作曲された、と言うよりは「面白おかしさ 系」で作曲されたと推察。(「10のフモレスケ」だからね!)だが、出版計画が長引く内に「神 or 王 系」作品としての魅力を自分自身で発見し、700編を超える「子供の不思議な角笛」から「あの世の生活」に比肩する内容を原題とは無関係に捜索した。
マーラー「子供の不思議な角笛 神 or 王 系」原題&改題相違一覧
「Verspätung 手遅れ」 → 「この世の暮らし Das irdische Leben」
「Rheinischer Bundesring ラインの指輪同盟、Mitgetheilt von Frau von Pattberg パットベルクの女の伝えること」 → 「ラインの伝説 Rheinlegendchen」
「Armer Kinder Bettlerlied 哀れな子供の乞食の歌」 → 「三人の天使がやさしい歌を歌ってた Es sungen drei Engel einen süßen Gesang」
「あの世の生活」を作曲した時、マーラーは交響曲第1番「巨人」の原型5楽章版の交響詩ブダペスト稿(1888年版)と後の交響曲第2番「復活」第1楽章となる交響曲ハ短調「葬礼」第1楽章1888年版(現行版と展開部と再現部が全く異なると言って良い)しか、管弦楽曲は手元に無かった。3年以上続きを書けないまま、「子供の不思議な角笛」1892年版=「10のフモレスケ」をピアノ版と併せてオーケストラ版も作曲した。ベートーヴェン「第9」のように高らかに「神」を歌い上げて終曲する「大交響曲」構想を持つ。これがまさに「角笛交響曲の理念」である。「あの世の生活」が交響曲ハ短調「葬礼」の中間楽章になるか?終楽章になるか? は確信が持てないままに「神 or 王 系」の原詩を700余の「子供の不思議な角笛」から探し漁った。「神 or 王 系」4曲目の「パドヴァのアントニウス 魚へお説教」ピアノ版を書いた瞬間に、それまで4年以上凍てついていたマーラーの「角笛交響曲への道」がパーッと開けた。「パドヴァのアントニウス 魚へお説教」のオーケストラ版を作曲する前に、交響曲第2番「復活」の中間楽章版(相当に拡大されていて歌手不要の管弦楽曲)が作曲された。その後に「パドヴァのアントニウス 魚へお説教」オーケストラ版も(オマケのように)作曲された。交響曲「葬礼」と同じハ短調の曲。現行版は第3楽章だが、作曲当時は第2楽章として作曲された。現行楽譜の「練習通し番号」は第1楽章と第3楽章が(第2楽章を飛び越して)28 → 29 に受け渡されている!
アルマ・シントラー と出会う前の歌曲は「シュトラスブルクの砦の上 Zu Straßburg auf der Schanz'」1曲を除き全てが全て「女声のための曲」だった!
ことをここに記す。現在はバリトン用歌曲と信じられている「さすらう若人の歌」さえ、「作曲当時のマーラーが恋するソプラノ歌手 = ハンナ・リヒター」に捧げたことをここに特記したい。「歌詞」は男声を想起させる上、音域も「中声」に感じる人が大多数(私高本でさえ中声に感じる!)もソプラノ歌手」に捧げたのである。(ハンナ・リヒター は、歌ってくれたのだろうか? 資料が存在しない!)
「角笛交響曲 = 交響曲第2番-第4番」は女声ソロの交響曲
である。「さすらう若人の歌」さえ、ソプラノ歌手に捧げたマーラー。「塔に囚われて迫害を受けし者の歌」も当時首ったけだっただろう「わたしの愛するホフマン・ニーナに」とピアノ版自筆楽譜に明記されている。この曲女声だけでなく、男声も(短いが)出現する曲だが。
「角笛交響曲」が何曲になるかは、マーラー自身も(開始時は)全くわかっていなかった。但し、「何となく」2曲以上になる予感がしていた様子が伺える資料が数多く残されている。