『モーツァルト時代通りの響きの再現』に全勢力を注ぐ 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ
第2点の続きである。
小倉貴久子は『詰め込んでも最大席数 約100名 の東京オペラシティ近江楽堂でシリーズを通す』が最大の魅力だろう!
実際に第1回を聴きにいらっしゃった方ならば私高本の意見に納得してもらえる、と思う。
「近江楽堂の小倉貴久子」は、「モーツァルト姉弟が王侯貴族のすぐそばで演奏している『風景そのもの』であると同時に『響きの再現』を感じさせた!
からである。
「東京のソロリサイタル会場として最高!」と賞賛されている「東京文化会館 小ホール」でも得られなかった『濃密な 小倉貴久子 の響き』が味わえた!
ここで、誤解無きように正確に記しておく。「モダンピアノ」であれば、東京文化会館小ホールは、一流ピアニストであれば、全員が「充分な響きが得られるホール」である。最も近い例では「上野優子のモーツァルト」でも響きは充分素晴らしかった。だが、「小倉貴久子 のフォルテピアノ」だと、容積が大き過ぎるのである > 東京文化会館小ホール
違う側面から考えてみたい。
「フォルテピアノのCD」は私高本が知っている限り、「録音が良い」と言われているモノは『近接マイクによるオンマイク録音』
である。「オフマイクでホールトーンを録音した素晴らしいフォルテピアノCD」は、寡聞にして1枚も知らない。
理由は「フォルテピアノの細やかなニュアンス表現」は「ごく近くの聴き手」にしか伝わらないから
である。「王侯貴族 が お客様」だったからこそ、できた技かも知れない。(モーツァルト作品でも「オペラ」はもっと大雑把な感じがある。例えば「後宮からの誘拐」K.384 とか。3点Es をコンスタンツェにたっぷり張り上げて欲しいし、、、)
また違う側面から迫ろう。
「フォルテピアノ で 最善の音響座席」は「モダンピアノ では阿鼻叫喚の大音量地獄の位置!」
フォルテピアノ だと「可能な限り楽器に近い座席」が最善の席である。だが、モダンピアノでは(私高本くらいモダンピアノの響きが好きなヤツでさえ)楽器のすぐ脇では聴きたく無い。もちろん「佐伯周子リサイタル の マイクセッティング」の時は聴く。(オンマイク録音が好きな方だから、「サブ」は必ず「オンマイク」で録音してある。)ちなみに「マイク設定 = -10dB」の上、レコーダーレベルは(最大10で)「2台」である。これでも録音レベルが「設定最大」を越して、使い物にならなかったことが数回ある(爆涙
いろいろなタイプのフォルテピアノを使用することが「売り」の1つになっている > 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ
第3点である。この点は、私高本の「趣味の問題」の可能性も秘めているので慎重に書く。私高本は「最善の楽器で演奏して欲しい!」タイプ。ホロヴィッツ や グールド に向かって「ベーゼンドルファー弾いて欲しい」とかは決して言わない。「ニューヨークスタインウェイで弾いて下さい!」タイプ。
だが、どうも『フォルテピアノ ファン』は全く様相が違うようだ。作曲家が違うが「ハイドン」で見ると、「視点の相違」が(モーツァルト以上に)顕著だ。
HMVの「ハイドン、ピアノ、ベストセラー」の検索結果はここ(爆
驚異の順位がこれ!
ショルンスハイム「ソロ曲全集」
オールト「小品全集」
コーエン「ピアノトリオ」
となっており
ブラウティハム も シュタイアー も ソロでは「上位100位」にさえ入らない(泣
が「オリジナル楽器界の常識」だからである。唖然。
ブラウティハム & シュタイアー > ショルンスハイム & オールト & コーエン が聴いて分からない人たちが「オリジナル楽器」聴き手の中心層? これは、ヒドい!
これには「心が曇ってしまった」が偽らざる心境。あまりにも悲しい。
私高本 は
「小倉貴久子 = ブラウティハム & シュタイアー」クラスの大ピアニスト! に感じる
理由は「聴いた直感」である。ピアニズム はもちろん、ブラウティハム とも シュタイアー とも違う。もっと「旋律線の歌い方」に重心を置いた方向。それでいて「会場の全ての皆様に芳醇な響き」を堪能して頂く! を実行して、(全部の席で聴いた訳ではないので断言は誰もが不可能だが)演奏直後の反応からすれば、大成功に終わった! と感じる。
実は「音楽の友」5月号発行を待って、このシリーズは書いた。これだけの名演をどのように批評しているのか? に興味あったからだ > 「音楽の友」が最も正確なことが多いから!
だが、マネジメントの問題なのか? 批評家の問題なのか? スペースの問題なのか? は全く不明だが、「批評」は掲載されていない。これで「クラシック音楽界」は良いのだろうか?
私高本は「猫頭」なので判断できない(爆涙
『骨太な骨格 + 精密なアーティキュレーション + 細部の仕上げ』が魅力 の「小倉貴久子 の モーツァルト」
第4点である。これはどこにも述べられていない(泣
骨格だけに興味のあるピアニスト(例えば、グールド)とか、細部ばかりつつくピアニスト(このタイプは多い! ファジル・サイ とか)は、「モーツァルトの魅力」が薄い。
「小倉貴久子 のモーツァルト」は両立している稀有な例である。
だが、「フォルテピアノ」の音は 600名規模のホールでは例え最前列で聴いても、「音が拡散してしまう」難点を持っている。この辺りの問題点を解決したのが、小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ だと私高本は感じる。
私高本の認識では
小倉貴久子 の演奏水準 = ブラウティハム & シュタイアー の演奏水準
である。
これが「猫頭ヒョーロンカの戯言」であれば、笑って下さい。もし、ご意見があれば、当ブログのコメントに書くなり、「メヌエット・デア・フリューゲル」にご連絡を! ブラウティハム や シュタイアー 程度の低いヤツと比較するようなバカな「高本みたいなバカに書かせるな!」ならば、こちらには書かないように(爆
必ず消去しますから(爆