1人の歌手による「決定的名盤」が存在しない「幻の名曲 = 子供の不思議な角笛から」の謎を解く(1)
オーケストラ伴奏マーラー歌曲中、時間的に最長の曲集 = 「子供の不思議な角笛から」である。オーケストラ伴奏歌曲集は4集ある。
- 「さすらう若人の歌」4曲
- 「子供の不思議な角笛から」12曲(13または14曲で演奏する人もいる。後述)
- 「リュッケルト歌曲集」4曲(プットマン編曲を1曲加える人もあり)
- 「亡き子をしのぶ歌」5曲
この4集の内、他の3集は決定的名盤が「歌手名」にて古く古くから存在している。
「さすらう若人の歌」 → フィッシャー=ディースカウ(1952,フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管)
「子供の不思議な角笛から」???
「リュッケルト歌曲集」 → フェリアー(1952,ワルター指揮ウィーンフィル3曲のみ)または フィッシャー=ディースカウ(1963,ベーム指揮ベルリンフィル)
「亡き子をしのぶ歌」 → フェリアー(1949,ワルター指揮ウィーンフィル)
他の3集は、大歌手を前面に立てて大指揮者がこぞってモノラル時代から振っている。これが「子供の不思議な角笛から」だけは違うのだ。フェリアーは「正規録音」が死ぬまで声が掛からなかっただけでなく、放送録音も残っていない。「全曲版が無い」のでなく、1曲も無いのだ! フィッシャー=ディースカウ だけはさすがに、引退までに3度「正式全曲録音」の声が掛かった。
- 1968.03 シュヴァルツコプフ+フィッシャー=ディースカウ(セル指揮ロンドン響)
- 1978.02 フィッシャー=ディースカウ全曲録音(バレンボイムp伴奏)
- 1989.04 フィッシャー=ディースカウ全曲録音(バレンボイム指揮ベルリンフィル)
EMI「マーラー大全集」 にセル指揮は全曲収められているが、リンク先を追っていくと当該CDに顔写真が掲載されているのはシュヴァルツコプフ だけである(爆
1968年以前に、カール・エンゲルのピアノ伴奏で数曲はDGに録音しているようだが、1952年に「さすらう若人の歌」をフルトヴェングラー指揮で録音してから16年もの年月を要して、しかも半分だけ担当に至っている。他の3集とは「別扱い」だ。
さすがに、「シュヴァルツコプフ+フィッシャー=ディースカウ+セル」の盤は「名盤」の定評を得ているが、フィッシャー=ディースカウ1人の盤とは誰も考えない。むしろ「セル指揮の名盤」扱いである。その後、いろいろな指揮者が「セル盤越すぞ!」との意気込みで、「子供の不思議な角笛から」を振った。バーンスタイン、ハイティンク、バレンボイム、アバド、インバル、テンシュテット、シャイー、マッケラス、ヘレヴェッヘ、ブーレーズ などの「一流マーラー指揮者」たちが振っているが、セル盤を見習ったのかほとんど全ての盤が「歌手は男女2名」体制である。中には「4名歌手体制」の指揮者もいる!!!
オーケストラ伴奏「子供の不思議な角笛から」を1人で歌い切っているのは、フィッシャー=ディースカウ+バレンボイム+ベルリンフィル と ハンプソン盤 の「歌い振り」盤のみ
しか見当たらない。ハンプソンは、既に1回、1993年6月に「ジェフリー・パーソンズ(p)」で全曲録音している。2度目の「1人録音」であり快挙!
・・・なんだが、全く話題に登っていないし、HMV売り上げランキングも上昇していない。1度目のピアノ伴奏盤も全く話題になっていない。実は、
フィッシャー=ディースカウ と ハンプソン しか「子供の不思議な角笛から」の『1人歌い録音』はいない!
ようなのだ。それにも関わらず、(グールドのモーツァルトのような)悪評も含めて「話題」に全く登らない。つまり
「歌い手」「指揮者」「聴衆」から関心を持たれていない曲集 = 「子供の不思議な角笛から」
という図式が見えて来る。他の3集は、フェリアー、フィッシャー=ディースカウ、ハンプソン に限らず、ベイカー や ゾッフェル や ヘンシェル などが、オーケストラ伴奏で名演奏を聴かせてくれているにも関わらず、である。
不人気原因その1
「子供の不思議な角笛から」は、全曲演奏時間が「合唱無し」オーケストラ伴奏歌曲として異常に長過ぎる
どうもこれが大きな原因の1つである。マーラー「子供の不思議な角笛から」よりも時間が長いオーケストラ伴奏の「歌」は数多い。ヴェルディ「レクイエム」、ブラームス「ドイツレクイエム」、ハイドン「天地創造」と「四季」などなど。どれもが「合唱」が付いている。むしろ「合唱の合間に独唱がある」と言った方が実態に合っている。この手の曲は、「合唱団」が主催してくれて、オーケストラとソリストと指揮者を招聘して演奏会が成立することが圧倒的に多い。時々、どうしようもない合唱団のCDがリリースされたりして事情を知らない購入者がHMVに「怒りの投稿」をしているのを拝見するが、Piano Music Japan 読者の皆様は怒ってはいけない。根本的に「アマチュア合唱団がスポンサーで成立している演奏でありCD」だからだ。アメリカの市民合唱団のCDを購入して「音程も、ドイツ語ディクションも、全然なっていない!」などと怒るのは筋違いである。購入時に合唱団を確認して「オペラ団」か「放送合唱団」であれば一定水準は確保できる。他の名称ならば、よ~く「裏付け」を取ってから発注ボタンを押すことだ(爆
合唱団がスポンサーになってくれない、となると、オーケストラか指揮者か歌手が金銭的責任を負うことになる。個別に考えてみよう。
オーケストラが主催で「子供の不思議な角笛から」を開きたいか?
オーケストラ団員は基本的に「伴奏」は嫌いである(爆
集客に問題さえなければ、ソリストを招聘したくない。金銭的に出費がかさむだけでなく、
伴奏だと「音楽的賞賛はほぼ全てソリストだけが独占する」から
である。同じマーラーを演奏するなら、交響曲第1番「巨人」ならばホルン全員やコントラバス首席が絶賛の大ブラヴォーを浴びる可能性が極めて高いし、第5番ならばトランペット首席が賞賛されるだろう。「子供の不思議な角笛から」でオーケストラが賞賛されるとは考えにくい。すると、「時間が長過ぎる」全曲演奏は避ける。時間調整程度に数曲歌う場を提供して、集客してくれれば「歌手招聘の目的」は達成されるからである。在京オーケストラ定期演奏会は、皆このパターンでしか演奏しない。「全曲」の必要性が集客に影響ない、と考えられるからだ。他の3集は時間が手頃なので、「リュッケルト歌曲集」16分よりも短い15分以下に設定する。数曲抜粋で歌うことは充分可能。
指揮者が主催で「子供の不思議な角笛から」を振りたいか?
「マーラー指揮者」と呼ばれることは栄誉である。東京都交響楽団は歴代の常任指揮者に「マーラー指揮者」を並べて来た。若杉弘、ベルティーニ、インバル を挙げれば納得してもらえることだろう。明日には「マーラー指揮者」と呼ばれたいと考えて、指揮者が主催する演奏会ではどうしても「交響曲」が中心に座っていなければならない。すると、最も短い第4番でも50分はゆうに越す時間が必要だ。ハイドンやモーツァルトと組み合わせる指揮者が多いが、「最終楽章にソプラノを呼んだから、マーラー歌曲歌いますか?」となることがあっても、50分を遙かに超す「子供の不思議な角笛から」全曲は長過ぎるので組み合わせない。リハーサルの時間も食ってしまうからなあ・・・
「マーラー指揮者」指向の人でさえ、このように考える。マーラー指揮者を指向しない人だと、さらに難しい。ベートーヴェン交響曲第7番とかドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」辺りならば、時間的には収まることは収まるし、特に管楽器が無闇やたらと増えるわけでもないので、時間的には可能にも思えるのだが、リハーサルにやたら時間を取られそうに思う。
オーケストラ団員の皆様が「慣れていない」曲は、時間を無闇に食うから
である。同じ時間ならば、マーラー交響曲第1番「巨人」や第4番の方がはるかに効率良い。指揮者が主催でリスクを負うことは全指揮者が避けて当たり前なのだ。
歌手(ソリスト)が主催で「子供の不思議な角笛から」を開きたいか?
「マーラー歌手」と呼ばれることは栄誉である。フェリアー、フィッシャー=ディースカウ、ハンプソン、ベイカー、ヘンシェル などの「盤歴」を見れば明らかだが、「マーラー交響曲&歌曲」で引く手あまたになる。「明日のフェリアー」「明日のフィッシャー=ディースカウ」を目指して、先行投資する歌手がいても不思議は無い。幸いなことに(?)、マーラーも交響曲ほどの大編成で「オーケストラ伴奏歌曲」は書いていない。「子供の不思議な角笛から」も同様。3管編成で、打楽器4名、ハープ1名。弦楽器は「ヘレヴェッヘ + ヘンシェル + コノリー盤」記載で、11+12+9+8+6。「オペラアリアの夕べ」開催に比べて、特段大きな編成ではない。ワーグナーと比べてではなく、ヴェルディ や プッチーニ と比べてである。これならば、「ソリスト歌手主催」での演奏会が盛会になってもいいかな? と思われる。
・・・で、ここでも「長過ぎる」の壁にぶつかる。シューベルト「冬の旅」や「美しき水車屋の娘」は「休憩なしで全曲演奏で1演奏会」が定着している。「時間が短いぞ~!」とクレームを付ける客はいない。「美しき水車屋の娘」は全曲が約60分。「子供の不思議な角笛から」全12曲だと5分程度足りないが、モーツァルト「魔笛」序曲か「フィガロの結婚」序曲を加えておけば無問題。
・・・と思いきや、「水車屋の娘」とは桁違いの「声の負担」があるのだ。(フルコンサートグランドピアノで蓋全開とはいえ)ピアノ1台が伴奏する「シューベルトピアノ伴奏リート」と、3管編成オーケストラ伴奏の「子供の不思議な角笛から」では「声の負担」が桁違いだ。
「オーケストラ伴奏アリアの夕べ」演奏会を聴いた方は、「カヴァレリアルスティカーナ」間奏曲を聴かされた方が圧倒的に多いことだろう。「オレはソプラノ(バリトンでもテナーでも同じ)を聴きに来たのに、何だこりゃ?」って思う方も少なくない。終曲後の拍手はいつも圧倒的に減ることが常(爆
指揮者もオーケストラ団員も怒ることはない。全部「想定内」なのだ。実は、演奏会を主催したソプラノが「息を整えるための時間繋ぎ」プログラムなのだから。
・・・で、新進ソプラノ歌手はどこに「間奏曲」を入れるのか? 「子供の不思議な角笛から」は「美しき水車屋の娘」や「冬の旅」とは違って「ストーリー仕立て」にはなっていないので、全12曲を一気に歌う必要は無い。途中で休憩を入れても大丈夫だろう。すると(テンポ設定次第だが)前半25分強、後半25分強。25分ぶっつづけにアリアを歌う、はあり得ないので、何か挿入曲を入れる必要がある。「イタリアオペラアリアの夕べ」ならば、「カヴァレリアルスティカーナ」間奏曲とか、「椿姫」前奏曲とかが違和感無いのだが、何入れます???
マーラー「花の章」は大丈夫だろう。前半は何とか乗り切れるかも知れない。後半で1回入れるのは何にする? 交響曲第10番アダージオ? あれは重過ぎて無理。他に適当な曲は思い浮かばない。「魔笛」序曲とかは「中途に差し込み」の曲ではないからなあ(爆
結局「一気に歌う」しか残された道は無い。声が保つかな? 録音ならば、フィッシャー=ディースカウ と ハンプソン が(ピアノ伴奏も含めて)実行しているが「ライブ録音」は今のところ「オーケストラ伴奏」盤では1種類も出ていない。バーンスタインが弾くピアノ伴奏盤が1種類だけ出ていることは出ているが、男女2名起用演奏である。
ライブ録音では、フィッシャー=ディースカウ は「サヴァリッシュピアノ伴奏盤」が最も「子供の不思議な角笛から」曲数が多いが、9曲。しかも途中に他の曲を入れている。
・・・ということは、「オーケストラ伴奏で全曲演奏をソリスト歌手主催」と言うのも無理、が21世紀まで続いているワケだ。
「子供の不思議な角笛から」は時間が長過ぎるのが原因で全曲演奏されない
これはどうやら事実である(爆