一昨日の「井上道義 + 読響」の『日本狂詩曲』名演を聴いて、思い出したことがあるので本日綴りたい。
伊福部昭の神髄は「日本狂詩曲」だった!
映画「ゴジラ」の音楽を担当するなど「ポピュラー音楽」の世界では大人気の伊福部昭。多くの作品が愛され、多くの人に演奏され、多くの作品が(伊福部昭先生の手で無い)「他人の編曲」で広まって行った。シューベルトの「悲しみのワルツ 作品9/2 D365/2」がツェルニーたちにパクられながら広まっていった世界に極めて近い。20~21世紀の方が「著作権」がキチンとしていたのだが(爆
伊福部昭の「交響的大規模作品」は意外なことに少ない。その中で「協奏的作品」を全部除くと、代表作は次のようになる。
- 「日本狂詩曲」1935年
- 「交響譚詩」1943年
- 「タプカーラ交響曲」1954/1979年
- 「日本組曲」1991年(1933年「日本組曲(ピアノ版)」がオリジナル
のわずか4作品である。信じられない少なさであり、『長生きしたのに 作品の少ない』では、ベルギーの大作曲家 = フランク としか、並べられないように感じる。
・・・で、上記伊福部昭4作品の内、「日本狂詩曲」を除く3作品は「ブラスバンド編曲」を中心に極めて頻度高く演奏されている。演奏会でもコンクールでもだ!!
なぜか「日本狂詩曲」だけが「ブラスバンド編曲」にはされていない。 その理由は生前の伊福部昭先生から伺っているのでここに記す。
編曲の「著名捺印」を求めて来る人がいても「日本狂詩曲」だけは(印鑑を)捺さなかった!
う~ん、一昨日の「井上道義 + 読響」の演奏聴いたら改めて伊福部昭先生の言葉の重みがわかったように思う。「オリジナル作品」自体が既に、ラヴェルやベートーヴェンやバッハ並みの高い境地に達しているんだもんね!
伊福部昭先生が「69年ぶりにピアノトランスクリプション」したのは、『川上敦子の伊福部昭音楽の再現能力の高さ』を評価してのこと
だった! とはっきり感じる。伊福部昭先生は「川上敦子特注品」を作曲してくれたのだ。伊福部昭先生も川上敦子も私高本も「川上敦子しか弾けない」と思った作品であった!
- やたら難しい
- 原曲では聞こえない難しいパッセージが存在する!
は、楽譜を頂いた瞬間から思っていた。CDでは聞き取れない。楽譜を 東京文化会館資料室に読みに行っても(異なる楽器間での受け渡しがありかもしれないが)私高本程度の読譜力では読み切れなかった。一昨日の 「井上道義 + 読響」でも聞こえて来なかった。
伊福部昭「日本狂詩曲(ピアノ独奏版,2003年)」には、オリジナル版に存在しないパッセージが盛り込まれた!
と考える方が良いようだ。
ちなみに、川上敦子 が家業に専念した以降、佐伯周子 が「伊福部昭音楽」を継承してくれていることは頼もしい。やたらと難しいパッセージも、再現してくれている。今度はいつ聴けるのだろうか? > 佐伯周子の伊福部昭