コメント欄にて質問があったので、本日は 標題の件について述べたい。
2003年末にベーレンライターのホームページ上では、新シューベルト全集ピアノソロの部全7巻完成
となったので、大のシューベルトファンである私高本は速攻で、「ベーレンライター特約店である カワイ、ヤマハ、アカデミア」の3店に最終巻 = ピアノソナタ第2巻 を捜索に行った。年末にはどこにも展示されていなかった。第1巻と第3巻は「黄色い廉価版(普及版)」で既におおよその内容は掴んでいた。拠って第2巻が入手できれば「ソナタ全貌」は見えてくる。
年が明けて、カワイ(表参道)で「ソナタ第2巻」を入手。数ヶ月、「シューベルトピアノソナタ研究」に没頭した。廉価版で既出版の即興曲や楽興の時や「さすらい人」幻想曲も並行研究した。
結論として、
- 「未完成楽章」の大半は【決まり切った再現部の省略】である。
- 出版意思が薄い曲が「見掛け上の未完成楽章」を有す
- 後世の研究者は、シューマンやブラームスの意思を「不必要に重視」している
- 再現部を変化させたい「緩徐楽章」には「未完成楽章」が極めて少ない!
である。
その次に「補筆完成版楽譜」を研究した。重要な楽譜は出版順に以下の3種。
- ユニヴァーサル版「ソナタ第1巻」 ラッツに拠る D625 の補筆
- ヘンレ版「ソナタ第3巻」 バトゥラ=スコダに拠る D346,D571,D570,D613,D625,D840 の補筆
- ウィーン原典版「ソナタ第1巻~第2巻」 ティリモに拠る D346,D571,D570,D613,D625,D840 の補筆
である。3種類ともに極めて貴重であるとともに、偉大な足跡だ!
・・・で、3人の偉大な「補筆者」の楽譜を辿ってみた結果として
- 「ラッツ補筆 D625」は素晴らしい出来である。
- バドゥラ=スコダ補筆とティリモ補筆は、「補筆部分が長すぎる」
と結論付けられた。尚、楽譜出版されていない「他の補筆完成版録音」の方が「さらに圧倒的に長くなっている」ことをここに附記しておこう。
ドイチュ番号で表記した時 D346,D571,D570,D613,D625,D840 の内、「どの曲が最も問題が大きいか?」を自問自答した。2004年初のことである。その結果は「D840」と私高本は感じた。理由は
- D840 は、曲自体が名曲である。
- ラッツは補筆していない。バドゥラ=スコダ補筆とティリモ補筆は「長々としている」
だからだ。
シューベルトは「展開部終結」まで書き残している
かどうかの見解が、私の先輩諸氏との最大の「見解の相違」である。私高本は「シューベルトは展開部終結部までほぼ全ての楽章で書き残した」との見解である。バドゥラ=スコダ補筆とティリモ補筆は、共に「展開部の途中で抛棄した」と考えて、補筆者が長大な展開部を作曲している。
「D840 をできる限りシューベルトの意図通りに、聴衆の皆様に聴いて頂くことこそが大切」と思い、「シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」の冒頭に持って来た次第である。幸い来て頂いた聴衆の皆様からは「どこからが補筆部分かわからなかった」とのご意見を頂き「少なくともシューベルトの邪魔はしなかった補筆」になったと思っております。その大半は「佐伯周子の演奏が良かった」からだと思っています。
4年経過した「2008年の今」から振り返ると残念なことはただ1つ。ピアノがスタインウェイだったこと。ベーゼンドルファーで弾いていたならばなぁ! と「ベーゼンドルファーとの相性が極めて良い 佐伯周子 のピアニズム」について感じる次第である。