ベーレンライター新シューベルト全集ピアノの部
は、はっきり言って「極めて評判が悪い」と断言できる。 交響曲全集が極めて評判が良いのとは裏腹である。 なぜか? 本日は、この「シューベルト演奏の根源」にも関わる問題を真っ正面から取り組む。
--------
日本初のメジャーレーベルCD会社専属契約ソリスト = 内田光子
は日本の誇りである。1970年ショパン国際コンクール第2位から、世界クラスのピアニストとなったが、幼少の頃からウィーンに在住していたからなのか、メインレパートリーは、「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト」であり、まずモーツァルト没後200年 = 1991年 までに「ソナタ全曲 + 協奏曲全曲」と言う偉業を成し遂げた。
モーツァルトの次に意欲的に取り組んだのが、シューベルトである。シューベルト生誕200年 = 1997年 から
「シューベルトピアノソナタ全曲(← 内田が考える全曲) + 主要曲」の8枚組CD を6年かかりで録音発売した。 使用楽譜は 私高本が聴く限りヘンレ版。(ソナタも小品も)
このCD録音を開始する頃だったと思う。 音楽之友社から発売されている雑誌
「レコード芸術」 のロングインタビューと NHKのインタビューで
●「ベーレンライター新シューベルト全集はヒドい。何も注釈無しにシューベルトの音楽をねじ曲げている」
●実例として「3つのピアノ曲 D946」を挙げて立証
の主旨の発言をしていた。内田ほどの大物の発言である。ピアニスト、ピアノ教師、ピアノを勉強している学生、ピアノ音楽愛好家 など、ほどんど全ての人が信じてしまったことと思う。かく言う私高本も、聴いた瞬間に信じた1人である。
--------
佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠る完全全曲演奏会
を2004年に開始した。ベーレンライター版で無いと「楽譜が存在しない曲」が多数あるからだ。おそらく世界初の試み。第2回は 8月13日(日)19:00 東京文化会館。上記HPで確認下さい。
さて、新シューベルト全集を購入して見て驚いたことがある。内田が
●「ベーレンライター新シューベルト全集はヒドい。何も注釈無しにシューベルトの音楽をねじ曲げている実例 = D946」
と言っていた箇所が信じられないほど丁寧な「注釈」が付いているのだ!
●ベーレンライター新シューベルト全集VII/2 Klavierstuck II BA5521(1984)
●楽譜自体は P110 - P130
●出典根拠については P167 - P169。 削除した箇所は "Bei spiel 12, S.173" 参照明記
●削除した全小節を P173 - P174 "Bei spiel 12" に全部掲載
である。P174 の脚注に至っては、他社版よりも詳細!
--------
つまり、
- 「ベーレンライター新シューベルト全集ピアノ版」は
- 旧全集からほぼ1世紀の間の研究蓄積を最大限に生かした全集で
- 注釈やコメントは、他社版以上に根拠を明示している
のが、D946 で言えば【新刊発売 = 1984】からの実態なのである。
--------
では、なぜ 内田光子 ほどの大ピアニストが勘違いしたのだろうか?
これはスグにピーンと来た!
1.
ハードカバーの新シューベルト全集 BA5521(1984) は詳述しているが
2.直後に発売された
ペーパーバック版 BA 5615 は、序文+楽譜までしか収録しておらず、「校訂報告が完全に省略されているから」
である。BA5615 は「即興曲集」と合本されて、ヤマハから
シューベルト ピアノ作品集 第1巻 として日本語ライセンス版が出版されているので、近くの楽譜店で簡単に確認することができる。
なぜ 内田光子 はハードカバー版を購入しなかったのか?
1.ハードカバー版 → 137ユーロ
2.ペーパーバック版 → 8.95ユーロ
約15倍!!!
これだけ値段に差があれば、「新シューベルト全集で演奏する決意を持ったピアニスト」以外は、100名いたら 100名 が ペーパーバックに手が伸びる。私高本だって、「豪華ケース入りCDが値段が15倍」したら、決して購入しないことをここに断言する。
--------
内田光子 は誤解していた。
- 新シューベルト全集ペーパーバック版は不親切で校訂報告が欠落している
と言えば良かったのを
- 新シューベルト全集は校訂報告無しに楽譜をカットする」と誤解
してしまった
内田光子 は D946/1 を「削除箇所を弾く」ピアニストであるので冷静に見ることが出来なかったのかも知れない。 内田光子 は「シューベルトピアノソナタ全曲 + α」をBoxCDで発売する時には、この楽譜についてのコメントは全く掲載されなかった。ショパンピアノソナタ第2番変ロ短調作品35 のCD発売の時は、ポーランドのナショナル・エディションに先駆けて、「第1楽章の繰り返しは冒頭に戻る」を強く主張し、実行し、CDライナーノートに明記していた 内田光子 であるから、録音終了時までには気付いたモノと察する。
今からでも遅くないので、「ベーレンライター新シューベルト全集ピアノ版」の誤解を解くように、内田光子 にはコメントしてもらえれば幸いである。
尚、ベーレンライター新シューベルト全集「交響曲」が大好評なのは、
●ハードカバーの他に「縮刷版」も発売されているが
●縮刷版は「校訂報告」まで全て印刷されており、安価である
ことが最大の違い。これが原因で
●交響曲 → 素晴らしい楽譜 → 大好評
●ピアノソロ曲 → とんでもない悪い楽譜 → 大不評
と長く誤解されてしまったのである!