「ショパンの音楽」には、シューベルトに共通する点が1点だが大いにある。
ことである。
は『ショパンを代表するジャンル』であると同時に、極めて若い時から死の直前まで作曲し続けたジャンルである。晩年の作品を見てみよう。
晩年のソロ作品リストである。作品50辺りまで遡っても、比率は大して変動しない。
10才になる前に作曲していたのも、ポロネーズとマズルカばかりである。
シューベルトが真っ先にピアノソロ作品に手を染めたのは「幻想曲」だったようだ(D2E)。しかし、直後にはピアノ舞曲に手を染め、年代に拠り濃淡はあるのだが、死の年 = 1828年出版作品 まで、間断なく作曲し続けられた。
「佐伯周子を除く多くのシューベルト弾き」は、シューベルト舞曲を一切無視して弾かない。実名を挙げるのは止めておこう。日本人ピアニストに限らず、ヨーロッパピアニストも同じである。
は誰も異論は無いだろう。
ショパンは「パリに亡命」してそのまま故国の土を踏まずに死んだ亡命作曲家になってしまった。シューベルトは「生涯をウィーン」で過ごした作曲家になってしまった。取り巻く環境の差は大きい。だが、「シューベルトとショパン」ほど、故国の舞曲を愛した大作曲家はそれほど多くはない。グリーグ、アルベニス などの名前は挙げることができるだろうが。
「シューベルト弾き」と並んで「ショパン弾き」はもっともっと「舞曲」を手中に収めて聴かせてほしいモノだ。
ショパンは生涯「自国の舞曲」を基調として作曲を続けた
ことである。
- ショパンのマズルカ
- ショパンのポロネーズ
は『ショパンを代表するジャンル』であると同時に、極めて若い時から死の直前まで作曲し続けたジャンルである。晩年の作品を見てみよう。
- 作品59 : 3つのマズルカ
- 作品60 : 舟歌
- 作品61 : 「幻想ポロネーズ」
- 作品62 : 2つの夜想曲
- 作品63 : 3つのマズルカ
- 作品64 : 3つのワルツ
晩年のソロ作品リストである。作品50辺りまで遡っても、比率は大して変動しない。
10才になる前に作曲していたのも、ポロネーズとマズルカばかりである。
シューベルトが真っ先にピアノソロ作品に手を染めたのは「幻想曲」だったようだ(D2E)。しかし、直後にはピアノ舞曲に手を染め、年代に拠り濃淡はあるのだが、死の年 = 1828年出版作品 まで、間断なく作曲し続けられた。
「佐伯周子を除く多くのシューベルト弾き」は、シューベルト舞曲を一切無視して弾かない。実名を挙げるのは止めておこう。日本人ピアニストに限らず、ヨーロッパピアニストも同じである。
- 「シューベルトのウィーン風」が最も感じられる曲 → ワルツ(レントラーとドイツ舞曲を含む)
- 「ショパンのポーランド風」が最も感じられる曲 → マズルカとポロネーズ
は誰も異論は無いだろう。
ショパンは「パリに亡命」してそのまま故国の土を踏まずに死んだ亡命作曲家になってしまった。シューベルトは「生涯をウィーン」で過ごした作曲家になってしまった。取り巻く環境の差は大きい。だが、「シューベルトとショパン」ほど、故国の舞曲を愛した大作曲家はそれほど多くはない。グリーグ、アルベニス などの名前は挙げることができるだろうが。
「シューベルト弾き」と並んで「ショパン弾き」はもっともっと「舞曲」を手中に収めて聴かせてほしいモノだ。