今回演奏会は、素晴らしかった。これまでの全ての演奏会を全力投球してが、これまでの蓄積が一挙に花開いた感あり。ピアノソナタ ヘ短調D625 は ハ長調ソナタD840 に次いで「狙っていたピアノソナタ」だったのだが、果たせるかな、素晴らしい演奏を 佐伯周子 は聴かせてくれた。D840 は第1回で、9年前。当時の 佐伯周子 は、興味の対象が、ショパン や リスト や スクリャービン が中心だったので、「シューベルト語法」を相当な時間を要した記憶が今も残る。
10月24日 杉並公会堂小ホールにて。乞うご期待。
2013.08.21 にブレイクした 佐伯周子 シューベルトピアノソロ!
今回の「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会第12回」は、第11回までとは全く異なる「聴衆の支持」を頂いた。
後半のシューベルト「楽興の時」全7曲版の演奏への賞賛はこれまで無かった高みに達した!
しかも、休憩前の「ヘ短調ソナタD625」も休憩中に、絶賛を浴びていたのだ! (「ウィーンの貴婦人レントラー」については、何ひとつお言葉を頂かなかったことも印象深い。良くも悪くも無かったんだよね、、、)
佐伯周子アンコールは、シューベルト「ハンガリーのメロディー」D817
本日は、激しい夕立の中のご来場、誠にありがとうございました。アンコールは、上記の通り「ハンガリーのメロディー」D817でした。
今回が、「佐伯周子シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」の最後になるかも知れない予感がする。ヘ短調ソナタD625について
を全部聴き直した。その結果
である。
これだけである。
だが、これが相当に厄介。
は、2004年に「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会第1回」を企画する前から判っていた。
- ラッツ補筆完成版
- バドゥラ=スコダ補筆完成版
- ティリモ補筆完成版
- バール補筆完成版
を全部聴き直した。その結果
「二者択一」の選択が可能な時、ピアニスト(バドゥラ=スコダ、ティリモ、バール)は最長を目指し、研究者(ラッツ)は最短を目指す。私高本は「形式が整った上」での最短を目指すが、ラッツの短さには満足出来なかった。
である。
D625第1楽章再現部補筆の要点は3点!
第1主題の「第1小節」に戻るか? 「第15小節」に戻るか?
ヘ短調で戻るか? 変ロ短調で戻るか?
第1主題冒頭はコーダで再現されるか? されないか?
これだけである。
『シューベルト自身の指示 = 第15小節へ ヘ短調 で回帰』が明確に指示
だが、これが相当に厄介。
「全ての未完成ソナタ楽章」補筆上、最も厄介なのが D625 と D840
は、2004年に「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会第1回」を企画する前から判っていた。
井形ちづる著「シューベルトのオペラ」に随分影響されていた
私高本は「猫頭ヒョーロンカ」なので、他人に影響される点が強い可能性がある(涙
どうも、一昨日までは「井形ちづる著;シューベルトのオペラ」に取り憑かれていた、可能性が高い。「シューベルト中期」の開始も、また、「アルフォンソとエレストレッラ」D732 から後を「円熟期」と称して区分していることなどなど。
実際の「音」で聴いて見ると違うんだよね(爆
恒年行事だが、「新補筆完成版」なんだが、この「チョト違うだけ」で『大いに揉める』のが、まさに恒年行事。前回、D613 でも大いに揉めたし、随分むかしの D840 都」D655 でも揉めた。「補筆完成版」はいろいろな可能性があるので、「一意には決められない」が原因。原因がわかっていても、20才以上若い 佐伯周子 に詰め寄られると「身の危険」問題もあり、譲歩が多いような気がする。今回だけは、譲歩しないつもりだが、どうなるのだろうか?
昨日、「ピアノソナタ ヘ短調D625+D505」と「楽興の時 作品94 D780+D946/3」について、これまで以上に無い突っ込んだ話をした。私高本は引かないよ。佐伯周子も全く引かない。勿論、「D625の補筆」について、議論は高まって来た。「さらなる高み」を目指して建設的な意見が次々と飛び交う。だが、実際に楽譜に起こすとどうなるのか?
・・・などなどが、活発に意見交換される最中に、佐伯周子 から「幹音理解出来てる?」と言う投げかけを喰らった。聞いた瞬間に「幹音」と猫頭脳内で変換出来なかったので、「どんな漢字?」と問い返した。つまり、「猫頭ヒョーロンカ = 私高本」は聞いた瞬間には理解出来なかったのである。
佐伯周子 は、それはそれは「猫に諭す」かのように、丁寧に教えてくれた。
・・・などなどが、活発に意見交換される最中に、佐伯周子 から「幹音理解出来てる?」と言う投げかけを喰らった。聞いた瞬間に「幹音」と猫頭脳内で変換出来なかったので、「どんな漢字?」と問い返した。つまり、「猫頭ヒョーロンカ = 私高本」は聞いた瞬間には理解出来なかったのである。
佐伯周子 は、それはそれは「猫に諭す」かのように、丁寧に教えてくれた。
作曲家シューベルトは『何』を目指していたのか?
本日号では、この命題を突き詰める。
21世紀の現在から見ると、「作曲家 = 作曲だけして生活している人」に見える。ヴォーカルを兼務している人は 特別に「シンガーソングライター」と呼ぶほどだ。
だが、「ベートーヴェン以前の作曲家」は全く違う様相を呈していた。
王や貴族の楽団長(または副楽団長)になる。または援助を受ける。 --- スカルラッティ、バッハ、ハイドン前半生、モーツァルト、ベートーヴェン など
教会付き音楽家になる --- ヴィヴァルディ など
オペラハウス専属作曲家になる --- ロッシーニ など
演奏家になる --- モーツァルト、ベートーヴェン、パガニーニ など
1つに限定する必要は無いのだが、上記4つのどれか1つ以上に属していた。
演奏もしなければ、組織にも属さない「純粋作曲家」の世界初はシューベルト
である。シューベルト の後に、シューマン、ブルックナー、ブラームス、ドヴォルザーク などが続く。
シューベルト も当初から、「組織に属さない世界初の作曲家」を目指していたワケではないようだ。
圧倒的感銘を受けた 下野竜也指揮 キリシマ祝祭管弦楽団「ワルキューレ」第1幕
14年ぶりの「霧島国際音楽祭東京公演」となったコンサートだった。ロビーは「鹿児島郷土色てんこ盛り」だった。だが、
「地方オーケストラの東京公演」とは全く異なり、『東京のプロオーケストラ水準を越える一体感溢れる ワーグナー:ワルキューレ第1幕』
であった。マリインスキー劇場から招いた3名のソリスト = シマノヴィチ、ステブリアンコ、シムレーヴィチ の3名は「ワーグナー歌手」として、それは素晴らしい歌唱を披露してくれた!!! 感謝!!!!!
だが、それだけでは無い。
下野竜也指揮 の焦点の合った集中力が途切れない棒 + 霧島国際音楽祭参加の若いメンバーを加えたオーケストラが「同じ方向へ音楽を揃えた一体感
の賜物だ。コンサートマスター = ローター・シュトラウス を始めとする 弦楽器の「量感を維持しながら、繊細なピアニシモも紡ぎだして行く」のは、夏の音楽祭のオーケストラ とは感じられないほどだった。
満員の客席からは、ブラヴォーの嵐が注ぎ、拍手はコンサートマスターが礼をして去るまで止まなかった。尚、ベートーヴェン交響曲第1番(コンサートマスター:藤原浜雄)は、バッハ時代の「シンフォニア(序曲)」のようにワーグナーを聴き終えた後では感じられた。
シューベルトは、生前は「歌曲」と「ピアノ舞曲」の出版に拠り、『大人気作曲家』であった!
「悲しみのワルツ」作品9/2 は、他の作曲家2名が「変奏曲」を作曲するほど、超有名な曲であった! シューベルトの死後もしばらくは、シューマン や リスト が「トランスクリプション(編曲)」を数多く残すほどの人気作品だったのである。その中心は、作品9、作品18、作品33、作品50、作品67、作品77、作品91 の「7つの生前出版大掛かりな舞曲集」であった。
多くのピアニストは「気に入った舞曲集を1つか2つ」または「任意で抜粋して再編成した曲集」を弾く。だが、佐伯周子 は「シューベルトが生前出版した通りの曲集のまま」弾く。佐伯周子 ほど、「シューベルト舞曲」を演奏会で弾くピアニストは他に知らない。「シューベルトオリジナル」を越える組み合わせがあるかどうか? 少なくとも、リストのトランスクリプション全曲録音した レスリー・ハワード の全集を聴く限りでは、リストの「抜粋編曲」は「シューベルトオリジナル」には達していないと感じる。リスト以上の感性を持つピアニストは今後現れるのだろうか?
今回から「出版時に全曲が新曲」のシューベルト舞曲集
である。名前が「粋」である!
「ウィーンの貴婦人レントラー」(原題は「美しいウィーンの女性たちを讃えて」)
1826年末に(次回演奏する)「高雅なワルツ」とほぼ同時期に作曲され、こちらは1826年12月15日にディアベリ社から、「高雅なワルツ」は翌1827年1月22日にハスリンガー社から出版された。この2社は印刷が速いので、作曲はおそらく1826年の10月から12月だろう。
題名は「出版社が提案し、シューベルトが承認した題名」である
この件については、ほとんど全ての解説が間違ったことを記載している。「出版社が(シューベルトの意思に反して)勝手に付けた曲集名」と。
シューベルト は「出版社はカネを支払ってくれる」ことが最も重要、「題名」や「曲名変更」やら「バラ売り」は『ご自由に』が基本。
さすがに「歌曲の題名大変更」は無かったようだが、器楽曲は 「ピアノソナタ」を「幻想曲(D894作品78)」や「行進曲(D823作品63&84)」などが実在するほど!!
シューベルトにとって、最少に言って「1825年3月交響曲グレート着手後の後期シューベルトにとって」は
楽譜商は「現金収入を与えてくれることが全て」であり、楽譜商が売り易いと感じるならば「曲名変更は承認」が基本。なぜなら楽譜商からの収入が「シューベルトの生活基盤」だったから
ディアベリ が思い付いたであろう「ウィーンの貴婦人レントラー」は、相当に良い名前であるし、「曲集」の雰囲気を伝えている名称だと感じる。「感傷的なワルツ」作品50D779 までの「シューベルティアーデでの思い出深い舞曲を交えた舞曲集」では、成し得なかったことが、「ウィーンの貴婦人レントラー」と「高雅なワルツ」では成就できた。
この雰囲気を伝えてくれる演奏をしてくれるように聴こえてくる 佐伯周子 のピアノ。読者の皆様も大いに期待して欲しい。
「未完成交響曲D759」や「四重奏曲断章D703」の源泉となった「ピアノソナタ ヘ短調D625」
シューベルト作品にて、「後期」と「中期」には明らかな「差異」がある。
後期作品は「規模の拡大」が実現した!( > ベートーヴェン以上!!)
中期作品は「集中」が実現した!( > 時には、作品自体が完成しなかったが!!)
昨日まで、私高本は「ミサ曲第5番変イ長調」着手 = 1819年11月 が「シューベルト中期」の開始時期、と明言していた。だが、どうやら違うようだ。
オペラ「双子の兄弟 D647」の依頼があった1818年末以前(シューベルトの作曲速度からすると、同年8月か9月)が『シューベルト中期』開始
である。
「ピアノソナタ ハ長調D613」も素晴らしい作品である。だが、
「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」を実行中
だと、「全貌」が「うっすら」とではあるが浮かんで来る。この2作品の間には、「乗り越えられない障壁」があったことを。