「アンチ内藤彰」が狂って(「狂ったように」ではない)主張していた点は突き詰めると1点に絞られる。
「ベートーヴェンの音楽」をどのように演奏しようと自由だ。内藤彰に文句言われる筋合いは無い
これが「主張の全て」である。正しいのか? 正しくないのか? 2つに1つであろう。ちょうど良いタイミングで
内藤彰「ベートーヴェン 第9」を語る
がブログに掲載された。全3回で完結したのでリンクを貼っておく。内藤本を購入しないと「内藤彰の意図」が伝わらないか? と思っていたが、ブログに書いてくれたおかげで「第9」だけに関しては、PMJ読者の皆様は容易に(無料で)読めるようになった。是非、全文を読んで頂きたい。「1」と「3」についても存分に語ってくれている。
「クラシック音楽」の世界には『編曲』と言うジャンルが朗々と古くから流れている。
最も有名な編曲 = ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲「展覧会の絵」
だろう。素晴らしい作品であり、私高本も演奏会を聴きに行くことがある傑作だ。尚、ラヴェル編曲よりも「オレの方がもっとうまく編曲できる!」と思い立って、編曲した「アレンジャー」は数多い。「成功した」と数えられる人は
- ストコフスキー
- アシュケナージ
など。どれも面白いが
編曲モノの面白さは「あくまで編曲の巧拙」が主
である。
「展覧会の絵」の最高傑作 = ムソルグスキー作曲のオリジナルピアノ版
と私高本は感じるし、「21世紀のクラシック音楽界の趨勢」も同じである。しかし、各オーケストラはどんどん「ラヴェル編曲版」などの編曲モノも演奏してほしい。その時に大切なことは
「ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲」と明記すること!
だ。間違っても「ムソルグスキー作曲/展覧会の絵 オーケストラ版」と書いてはいけない、詐欺になる!
編曲はラヴェルが開始したのではなく、昔々からある。私高本は「鍵盤楽器の曲」以外は深く知らないので、
古い編曲の例として「マルチェロ作曲/バッハ編曲 : 協奏曲ニ短調BWV974」
を1曲だけ挙げておこう。名曲だぞ! グールドの名演は今でも即購入して聴くことが出来る。
かのJ.S.バッハも実行していた編曲。これは、延々と続き
シューマン交響曲全4曲のマーラー編曲版
なんていう「超大型企画」も実在している。オーケストレーションが無闇に鮮やかで、私高本は好まないが「効果あり!」は認めざるを得ないシロモノである。
・・・で、
「ベートーヴェン : 第9」は編曲していけない『神聖な楽曲』か?
と問われれば、
過去に、しかもベートーヴェンが作曲した19世紀に リストやワーグナーが編曲しまくっている(爆
リストやワーグナーは(好き嫌いは別にして)『超一流作曲家』と誰もが認めるだろう。編曲した先は「ピアノ版」である。ワーグナーは「ピアノ1台版、但し声楽陣はソリストと合唱が必要」。リストは「ピアノ2台だけ版」と「ピアノ1台だけ版」で、どちらも声楽不要であった。これらは全て「CD化」されているので、興味ある人は聴いてほしい。その時に勘違いしないでほしいのは、あくまで「聴くのは編曲モノ」であって「オリジナルではない」ということ。ワーグナーファンは「ワーグナー編曲版」を聴くことお薦め、小川典子盤が唯一。ちなみに私高本はこの版も好きで、わざわざ、高須博ピアノ&指揮の「日本公開初演」を愛知県まで新幹線に乗って聴きに行った(爆
聞こえた音楽は、もちろん「ワーグナー」であった。
リストファンは「リスト編曲」を聴くことお薦め。2台版は(おそらく)2種類の録音があるが、1種類は未CD化。1台版は相当な録音あり。ちなみに私高本はこの版が大々好きで「演奏会プロデュース」したことがある(川上敦子ピアノ、2001年12月東京オペラシティリサイタルホール)。「病重し」だわ(爆
聞こえた音楽は、もちろん「リスト」であった。
ベートーヴェン「第9」は、神聖不可侵な曲では無い。
中田喜直も「夏の思い出」と言う曲でパラフレーズしているではないか!
ベートーヴェンも死んでいるし、著作権もとっくの昔に切れているので「編曲」は無料で自由である。
・・・だが、「ベートーヴェン作曲 : 第9」と銘打って演奏会をするならば「ベートーヴェンの意図通り」に演奏する必要がある! リストもワーグナーも中田喜直も「自分の名前を出して責任を全部被って編曲」している。ラヴェルと同じだ。(中田喜直は「原曲明示」していなかった? あれれ??)
「内藤彰ファン」も「アンチ内藤彰」ももう1度冷静に見てほしい。内藤彰は
『ベートーヴェン作曲ではない!!』と断言しているが
『音楽ではない!!』とは一言も言っていない
のである。リスト編曲やワーグナー編曲を「趣味悪い」と思う人は多い(爆
まあ、仕方無い、と私高本も思う。「ベートーヴェンオリジナル」よりも趣味悪いから。「特に好きなリスト編曲1台ピアノ版」は「あくまでリストを聴く」ための曲である。ピアノの超絶技巧がここあそこにちりばめられており、(演奏できれば)効果抜群である。
ここで、昨年大晦日の 内藤彰ブログ に戻ろう。21世紀も9年も経過した時に
不勉強で新版スコアを(2つとも)読まずに、ベートーヴェン「第9」を演奏して、「ベートーヴェンオリジナル」と言えるのか?
昔聴いた演奏をなぞるだけの演奏ならば「大指揮者××の再現を目指す第9」と言うのが正しい姿勢
であろう。
ベーレンライター新版もブライトコプフ新版も目にしなかった物故大指揮者のテンポが遅かったのは「当時の原典版に基づいた最大限の努力を払った演奏」だったからである。フルトヴェングラーの演奏が「ベーレンライター新版と合わない」とかと難癖を付けることだけは絶対に止めてほしい。それは無理だから。
ちなみに
ベートーヴェン交響曲のテンポを遅くした張本人 = リスト
と私高本は固く信じている。川上敦子が演奏する時に、「ベートーヴェンオリジナルのメトロノーム指示」を守ると、「非音楽的」になる箇所が続出したからである。
リスト編曲1台版楽譜を見ると、「都合良い箇所だけメトロノーム指示」を転写
していることが判る。
「リスト編曲版第9」は、第1~第3楽章メトロノーム指示皆無、第4楽章の「Adagio ma non troppo ma divo = 60」と「Allegro energico,sempre ben marcato = 84」だけを採用
である。ドーヴァー版で安く入手できるので興味ある方は確認してほしい。
21世紀に「ベートーヴェン」を演奏するならば「最新研究」は熟知する必要がある。
「耳コピー」を再現したいならば、「元音源」を明示するのが21世紀のルール
である。
内藤彰は、言い方はやや乱暴だが、言っている内容は「至極マトモ」である。姿勢を直す必要があるのは、マズアであり、西本智実である。もし、「私高本の論が間違っている」と言う人がいるならば、音源を明示してくれれば応じよう。
最後に蛇足(爆
「ウィーンの作曲家=ベートーヴェン」とはオーストリア政府に限らず多くのメディアが伝えてくれている > 例えば「音楽の友」とか。
「ベートーヴェンのピアノ曲」の「ウィーン正統派」は誰か?
と言われて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか?
LP時代 → CD時代 を代表するのは、グルダ と ブレンデル
だと思う。
2人の演奏は「水と油」。基本テンポが全く異なるぞ(爆 どちらが「ウィーン正統派」なの?
グルダは「ベートーヴェンのテンポ」に関して(私高本が見た範囲では)文献をほとんど残していない。ブレンデルは「リストは交響曲指揮者としても、遅いテンポで成功した」旨を何度か書いている。
グルダ = 速い派、ブレンデル = 遅い派
は明らか。ブレンデルの演奏は「リスト → クラウゼ → アラウ」と続く系統のテンポのように感じる瞬間もある。「ベートーヴェン → ツェルニー → リスト」なので、門下ならばテンポが同じになるか? いやいや、リスト編曲版を弾けばそんな疑念は全部吹っ飛ぶ。
「リストのベートーヴェン演奏」は細部が浮かび上がるが、超「遅い」
である。
最後の最後に事実を記載しておく。「第9」の演奏時間である。
- フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭劇場盤 : 74分40秒
- ベートーヴェンの「第9」初演時間 : 63分(世界初演) 64分(ロンドン初演)
ここで提起したい要点は
「19世紀初のメトロノームが正確だったか?」の論争はある。「19世紀初の時計は正確だったのか? 壊れていたのか?」は論争の余地は無いだろう!
である。時計が全部壊れていたら、生活が順調にできるのだろうか? 市場の時間とかも含めて(爆
内藤彰が間違っているのか? アンチ内藤彰が間違っているのか? 皆さんの頭で考えて結論を出して下さい。