ホ短調ソナタ D566 の終楽章は、D566/2? or D506?
本日はこの問題を掘り下げる。
昨日号に記載した通り、
- 1905年 ルートヴィヒ・シャイブラーが「ホ長調ロンドD506 が ピアノソナタホ短調の終楽章説」唱える
- 1907年 エーリヒ・プリーガー編で D566/2 がブライトコプフ&ヘルテル社より出版
が『歴史的事実』である。まず、シャイブラー説の根拠を考察してみよう。
1905年当時の シューベルトのホ長調ソナタとホ短調ソナタ像
- ホ長調ソナタD157 3楽章構成 調性が主調に戻らない
- ホ短調ソナタD566 1楽章のみ
であった。
「5つのピアノ曲」D459(+D459/A)は、ピアノ小品集と考えられていた
時代である。
この時に、1816年12月作曲「人生の歌」の余白に作曲されている 「ロンド ホ長調 D506」が筆写譜に「ソナタ」と書いてあれば、
D506 こそ D566/1 の終楽章だ!
と断じるのは無理ない。私高本がシャイブラーだったら、同じ主張を必ず実行する!
・・・で、「収まらない」のは、『D566 の自筆譜を所有していたプリーガー』である。(おそらく)高いゼニを払って、ウィストリングから購入した楽譜と推察される。(当時タダで貴重な楽譜を他人に渡すバカはいなかった)
2年後の1907年に、旧シューベルト全集を出版した権威ある ブライトコプフ&ヘルテル社から D566/2 を「プリーガー編」にて出版
した。いくら掛かったのだろうか? 相当の散財をしたと推測される。理由は「D566/3」をプリーガー自身が出版できる余力が残っていなかったから、である。
1907年段階の 「D566 = 2楽章説」当時、終楽章は D506? or D566/2? どちらが有力?
現在の論点で欠けているのが上記テーマ。このテーマを突き詰めない為に、後世(特に1948年~2000年)に問題を撒き散らしてしまったのである。
双方の主張に合わせて、楽譜を読みながらCDを聴いてみよう。D566/2 と D506 双方を録音してくれているピアニストの録音ならば可能である。
- D566/1 + D506 → ベートーヴェンピアノソナタ第27番ホ短調作品90 に似た感触の名曲
- D566/1 + D566/2 → ベートーヴェンピアノソナタ第27番ホ短調作品90 に似た感触の名曲
う~ん、困った!
D506 と D566/2 は聴感上、極めて似ている楽章!
だから。これほど似た楽章は、ピアノソナタに限らず、他の多楽章曲でも見当たらないほどだ!
こうなって来ると、「楽譜の音楽学的考察」しか根拠が無くなる。ここで突き当たる問題が
D566/2 は、プリーガー以外の人物が1回も「シューベルトの自筆譜」を確認していない事実
である。
しかし D566/2 が偽作とは考えられない「シューベルトの味」満載の楽章であることも事実。
相当に無理な説を唱えるならば、「2稿あるソナタD566/1の終楽章も2稿あった」の説が出ても不思議は無い。しかし、2000年まで「D566/1 第1稿」は出版されず、また今私高本が述べたばかりの珍説も出て来なかった(爆
ちなみに
プリーガーは ピアニスト=ドホナーニに D566/2世界初演を実行してもらった
ので、多くの聴衆は「プリーガー説」になびいたことだろう。
1925年前後の「シューベルト学者」の疑惑
D506 と D566/2 のどちらが終楽章か? 1925年頃のシューベルト学者たちも疑念を抱いていた。バウアー(著名な学者であり、確か有名ピアニスト)が1925年にプリーガーを訪れ、自筆譜の真偽を確かめようとした。その際に実行されたことは、何と D566/2 とは全く無関係なことになってしまった(← 事実)
D566/1 + D566/3(全楽章)の筆写譜作成許可
D566/3(トリオのみ!) の「写真版」作成許可
これはこれで、「ホ短調ソナタD566 に第3楽章があった!」という衝撃的事実だった。バウアーの興味は D566/3 に移ってしまったようで、D566/2 に関しての発言がほとんど残っていない様子である。
私高本の個人的感想として
D566/1第2稿 と D566/3 は違和感無い様式で作曲されているが、D566/2 は違う様式で記譜されていた
だと推察する。
似た様式ならば、バウアーに見せて自慢した、と思われるからである。
プリーガーは、その後 D566/3 を自力で出版することなく(もしかしたら版権をバウアーに売却していた可能性も大)「シューベルト史上」から姿を消す。
D566/3 は、「学者のための学会論文誌」に1928年に掲載されたのが世界初出版となった。この方法は、ピアニストにはほとんど影響を与えないが、金銭が掛からないのが最大のメリットである。
1948年現在の 学者デイルの仮説
他の曲では一切名前の出て来ないシューベルト学者が、キャスリーン・デイル である。D566 + D506 のみで名前が出てくる。上記の1928年までの事情を詳細に調べ、このような結論に達したようだ。
ホ短調ソナタの第1楽章 = D566/1第2稿
「続く楽章」第2楽章 = プリーガー説の通り D566/2
「続く楽章」第3楽章 = バウアー説の通り D566/3
最終楽章 = シャイブラー説の「終楽章」通り D506
このような説でロンドンで楽譜を出版した。「各学者の説」を言葉尻を捉えてパズルのように組み立てた説で、楽譜出版後も誰もこのデイル説では演奏・録音しなかった様子。少なくとも
1976年ヘンレ版出版前は、全ての録音が D566/1 + D566/2 説!
をここで指摘しておく。
1966年モーリス・ブラウンがデイル説追認直後の状況
この頃「飛ぶ鳥を落とす勢いだった ドイツ・グラモフォンレーベル」が最高のシューベルト弾き = ケンプ を起用して、『世界初のシューベルトピアノソナタ全曲録音』を開始した。1965年2月録音開始、1968年1月までは「構成に問題が一切無いソナタ」だけ録音し、1968年8月から「ヤバげなソナタ」着手、1969年1月録音完了。1965-1968年の「最新研究」通りに録音されているが、
D566/1 + D566/2で1968年8月に録音。解説は、ドイツ語、英語、イタリア語にそれぞれ著名シューベルト学者を起用する力の入れようなので、下調べは万全だったと思う。英語版解説はジョン・リード。
続く ワルター・クリーン録音も D566/1 + D566/2 であった。
モーリス・ブラウンがデイル説追認直後の状況も「ピアニストは、デイル説は無視」
1976年 パウル・バドゥラ=スコダがヘンレ版第3巻出版後の状況
これは「笑ってしまう」ほど、「デイル説」が受け入れられた、であった。
最大の理由 = ブレンデルと並ぶ「知性派ピアニストのバドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜にて出版」
であろう。付け加えるならば、バドゥラ=スコダ本人がベーゼンドルファーを弾いて録音したLPがリリースされたことも大きいだろう。ケンプやクリーンの録音よりも「世界が広がった」からである。
現在は「4楽章演奏」の方が主流であるが、プラーネスやプリュデルマシェールのように D566 自体を演奏しないピアニストも多い。この問題は根深いのだ。
2000年ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソナタ第1巻刊行されてからの変化
これが寂しいほど全く無い(泣
「佐伯周子」ただ1人が「新シューベルト全集」使って孤軍奮闘、ドンキホーテのように演奏しているからかも。しかも D566 はまだ演奏していない。内田光子のようにベーレンライター新シューベルトについて「廉価版」だけ購入して悪口叩くピアニストもいるし(爆涙
佐伯周子がバドゥラ=スコダを越すと、「シューベルトピアノ曲演奏」の世界が変わるのかも!!!
・・・で、D506 と D566/2 のどちらが「ホ短調ピアノソナタ D566/1 の終楽章なのか?」である。
状況証拠としては、D506 = ホ長調ソナタD459A/3 の終楽章の可能性が極めて高い
状況証拠としては、D566/2 と D566/1 の「楽譜状況」が大いに違っている可能性が高いが、「一緒に保管されていた」ことは間違いない
は断言できる。
ホ短調ソナタD566/1 の終楽章は、D566/2 の可能性が極めて大。しかし楽章構成は2楽章? 3楽章? 4楽章? は断定できない
である。
2楽章構成の終楽章と、3楽章構成の終楽章と、4楽章構成の終楽章では、随分違う感触になるのだ!