8/1(金)の 佐伯周子ピアノリサイタル の「プログラムノート」を全文書き終えた。文章が余りに多くなり過ぎて、A4が6頁で収まるのがやっとだった。泣く泣くカットした1文を本日はブログに記す。やっぱ、入れた方が良かったかなぁ?
『曲集としての自筆譜原稿が無い = 生前出版舞曲集』でも、差異が存在する シューベルトの各原典版楽譜
「シューベルトの舞曲」で信頼に足る楽譜は、21世紀のこれまでに4種類しか無い。(これは以前ブログに書いたことがあるような気がする)。
- ブライトコプフ旧シューベルト全集(1889,1897)
- ヘンレ版(1956/1984)
- ウィーン原典版(1973)
- ベーレンライター新シューベルト全集(1989)
ブライトコプフ旧シューベルト全集 は、そのままの形では現在手に入らないが
- ドーヴァー版(← そのままの形)
- ブライトコプフ楽譜2巻(← 強弱記号を校訂者が勝手に補足した版)
の2種類が簡単に手に入る。尚、旧シューベルト全集を買うならば、圧倒的にドーヴァー版をお薦めする。「安くて、余計なモノが入っていない」からだ。しかも英語表記で注が付いているのがとてもうれしい。
この4種類の原典版楽譜で「シューベルト舞曲」に関して、生前出版曲では
- 最大に「差」が存在する = 作品18 D145
- 半分くらいの曲集では、差異が存在しないだろう
と考えていた。ピアノ舞曲の場合 「 > 」 が「アクセント」か「デクレッシェンド」か の問題も皆無に近いので、安心していた。
・・・のだが、
- 佐伯周子 が弾く 作品9第33番 と
- エンドレス が弾く 作品9第33番 が 違う!
ことに気付いた。具体的に言えば
前半16小節は全く同じだが、後半16小節を「佐伯周子は繰り返さない」「エンドレスは繰り返す」 である。エンドレスは「ヘンレ版そのまま」に弾いていることは既に確認していたがヘンレ版は「繰り返しあり」だ。佐伯周子は「ベーレンライター新シューベルト全集そのまま」に弾いているが、新シューベルト全集は「繰り返し無し」だ。
4つの原典版楽譜がどのようになっているかを改めて確認して見た。
- ブライトコプフ旧シューベルト全集 → 後半繰り返し無し
- ヘンレ版 → 後半繰り返しあり
- ウィーン原典版 → 後半繰り返しあり
- ベーレンライター新シューベルト全集 → 後半繰り返し無し
である。う~ん、両全集 vs. 20世紀後半の「原典版の旗手」 対決か(藁
この原因は「ベーレンライター新シューベルト全集」を熟読していたので、即わかった。
- 新旧シューベルト全集は「生前出版舞曲」は、「初版楽譜」尊重
- ヘンレ版は、「初版楽譜」と「自筆譜」を半々に編纂
- ウィーン原典版は、「自筆譜」偏重
であり、この「作品9第33番」は出版楽譜の他に『2枚の自筆譜』が存在する。(全3稿は、全て調性が違う!)
ヘンレ版は「2対1」で「繰り返しあり優勢」だ。ウィーン原典版は「自筆譜が繰り返しあり」だから「繰り返しを付けた」ワケだ。そんな編集方針のいいのか?
ちなみに、リストは この作品9第33番を「後半の繰り返し無しの曲」として体に染み込ませ、「シューベルトのワルツによる幻想曲」を「幽霊」第3番として作曲&出版した。つまり、リストの理解は次のようになる。
- 作品9全36曲中「32小節」もの長さになる唯一の曲 = 第33番
- 細やかな「表情の差」が最高であり、心動かされた
である。「リストのシューベルト理解」は、ややケバいところも感じるのだが、他の大作曲家のシューベルト理解(シューマン、ブラームス、マーラー、ラヴェル、ラフマニノフ、プロコフィエフ、プーランク 等々)に比べると、地に足が付いている感触がある。リストは「細かな箇所まで、シューベルトの神髄」を探ろうとしていたように感じる。わずかな期間だが「同時代を生きた人(17年)」だからだろうか?
これを全文書き込むと、「老眼の私高本」では読めないほど細かな級数(=文字の大きさ)になることがわかり断念した。やっぱ掲載すればよかったか?(爆