詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

詩 三月

2020年05月16日 | 
三月ってのは
北海道の子供時代
いちばん好きだった季節だった

それまでスキーで
学校へと通ってたのが
歩いて行けるようになった

待ちに待った凍雪の季節が
とうとうやって来たんだと
あれこれと予定を立てていた子供時代

近所の山へと出かけて
兎の罠を仕掛けたり
昼間の太陽で溶けた雪面が深夜凍りついて
どこまでも真っ直ぐ歩いてゆける季節だった

山奥深くでのザリガニ採りやヤマメ釣り
オンコ(イチイ)の樹を採りに行ったり
今年はどこの源流や名もない湖を
探険しようかなと夢想していた三月

雪解けの森のあちこちからは
もう花開きはじめた福寿草やカタクリの薄紫
エゾエンゴサクの深い青への風のかぐわしさ

あの頃の君の言葉がふっと蘇るときがある
スウェーデン映画「まるで犬みたいな人生」みたいに
雪道の帰り道でむっと
「あんたなんか大嫌い」という君の口許を
じっと見つめて立ち尽くしてたぼく

「大嫌い」というのは
「大好き」という
究極の表現だと知ったのはつい最近のこと

  便秘の詩

2020年04月21日 | 
ウンチの色や堅さが
健康のバロメーターだと
ずっと信じている

すっきりと出た朝には
なんだか素晴らしい一日の始まりに思えてくる

色も形も最高だったなと
余裕しゃくしゃくだった

子供時代はいつも
大きなうめき声を出してだった

ところがある日閉館後の図書館のトイレで
ああ いい うう ええ おおと
うめき声をあげて励んでたら

突然大声で
「こら!トイレでなにやってるんだ!」

それ以来どこでも
拳を握りしめ歯を噛みしめての
糞闘となってしまった

詩 蕗のとう

2020年04月19日 | 
北海道の子供時代は
蕗のとうが食べられるとは思ってなかった

さらさらきらきらと歌いながら
小川のほとりの蕗のとう

去年摘んでくることができんかった蕗のとうだけど
たぶん今年もそうにちがいない

北海道の蕗は子供の背丈くらいになって
その蕗の煮付けは歯ごたえがあって大好きだ

どりわけ好きだったのは
トウキビを酢に漬けた保存食とウドの酢味噌

春の陽をいっぱいに浴びた窓から
溶けてく雪原をみながらポリポリポリと

蝋燭

2020年04月17日 | 
ミヒャエル・エンデは
傑作ファンタジー「モモ」の中で
人間の生命を蝋燭の炎に例えてた

次から次へと消えてく蝋燭の代わりに
新しい蝋燭に点灯されてゆく
蝋燭の星地球でもあったと

荒野の樹の下で
ひっそり消えてゆく蝋燭
多くの蝋燭に見守られて
炎を受け継がれてきた宮沢賢治のような蝋燭

ぼくの蝋燭はもうほとんど残りへ少なくて
断崖絶壁の上にたつ
折れ曲がった蝋燭だ

もうこれ以上権力者たちは
ただでさえやせ細った人々の蝋燭から
蝋を削り取って
自分たちの蝋燭に継ぎ足すことを止めるべきだ

詩 ふるさと

2020年04月16日 | 
ー「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。 涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛 に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在する こと、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたこと なのだ。(大島渚)ー
http://www.youtube.com/watch?v=yBq_mZQJ9pI&feature=related


ふるさとはいっも
夢みる街にそっくりで
いちばん似てたのは
スウェーデン映画の「犬のごとき人生」の港まち

雪が溶けだすとまるで
すべての絵の具をぶちまけたかのうな野原に
あらゆる花々がいっせいに咲き出す

そんな色と風の洪水に
どうしていいか分からないぼくらは
隠れんぼなんかしていた

テレビが入ってたダンボールの箱に隠れたり
そのダンボールを持ってって
何度も何度もすぐ裏の丘からすべおりた

夏の宵には銭湯から帰って
濡れた髪のまんまみんなで
町外れのオンボロの映画館へと出かけた

好きだった娘の
家の前を口笛を吹いて
行ったり来たりしたりしながら

夏の夕立のなかでは
とぼとぼと釣竿を担いで
海水パンツひとつで

線路の余熱を感じながら
もくもくとした入道雲を背に
一列に歩いていた日もあったっけ

 旗(二) 栗原貞子   私が先生になった時 作者不詳

2020年04月16日 | 
    旗(二)  栗原貞子

日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
いくさのたびに
骨と血の旗を押し立てて
他国のこどもまで
血を流させ 骨にした

いくさが終わると
平和の旗になり
オリンピックにも
アジア大会にも
高く掲げられ
競技に優勝するたびに
君が代が吹奏される

千万の血を吸い
千万の骨をさらした
犯罪の旗が
おくめんもなくひるがえっている
「君が代は千代に八千代に
 苔のむすまで」と

そのためにじんみんは血を流し
骨をさらさねばならなかった
今もまだ還って来ない骨たちが
アジアの野や山にさらされている

けれども もうみんな忘れて
しまったのだろうか
中国の万人坑[まんにんこう]の骨たちのことも
南の島にさらされている
骨たちのことも

大豆粕[かす]や 蝗[いなご]をたべ
芋の葉っぱをたべてひもじかったことも
母さん別れて集団疎開で
シラミを涌かしたことも
空襲警報の暗い夜
防空壕で 家族がじっと息を
ひそめていたことも

三十万の人間が
閃光に灼かれて死んだことも
もうみんな忘れてしまったのだろうか
毎晩 テレビ番組が終わったあと
君が代が伴奏され
いつまでも いつまでも
ひるがえる 血と骨の旗

じんみんの一日は
日の丸で括めくくられるのだ
市役所の屋上や
学校の運動場にもひるがえり
平和公園の慰霊碑の空にも
なにごともなかったように
ひるがえっている

日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
日本人は忘れても
アジアの人々は忘れはしない

*血塗られた日の丸も、時代遅れの奴隷の歌「君が代」(江戸幕府の大奥で歌われてた歌とか)も嫌いだ。もっと国民主権に相応しい国旗国家を公募すべきだ。

    
    私が先生になった時  作者不詳

私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
本当のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちにどうして夢が語れるか

私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸をはれと言えるか

私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき
自分の闘いから目をそむけて
どうして子どもたちに勇気を持てと言えるか

*この詩は宮沢賢治の詩・・とよく言われきたらしいのですが、違うとのことです。
詳しくはーhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~kurosan/Life/Art/WatashiSensei.htm

詩 笑顔

2020年04月13日 | 
子供の頃から
ハンサムだとか性格がいいとか
頭がいいとかと
誰からも一度も
言われたことがなかった

「もっと鼻が高かったら美男子だったのに」と
好きだった女の子に言われたことがあった
その後ずっと家に帰ると
鼻に洗濯バサミを挟んだ10歳の頃だった

ぼくと顔をあわせるたびの
痴呆症になった母の口癖が
「馬鹿みたいな顔してるけどあんためんこいね」だった

でも小さい頃から
母にそう言われてたら
どんな人生だったんだろうか

あんまり嬉しくなかったかもしれない
それとももっともっと
母を好きになったのかもしれない

  反対    金子光晴

2020年04月03日 | 
すぐ後ろの山は真っ白、雪がわんかさと

昨夜の夢はーリストラ激しかった頃のトヨタグループでの夢だった。
機械のボタンを押して機械加工中の間に、二人で機械の裏で煙草を吸っていると、上司がすぐすっ飛んできて「クビにするぞ!」と言われていた僕と僕の以前の上司Oさんだった

彼は精神科へ行って相談したら・・上の方から「なんで会社の秘密をばらすんだ」と叱責されて以来すっかり精神に異常をきたしてしまった

彼は、重役の女子社員へのセクハラやパワハラをあちこちで言って回ったので睨まれていたのだったとか


   反対    金子光晴

僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

ぼくは第一、健康とか
正義とかがきらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無精にするものはない

むろん、やまと魂は反対だ
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻を向けてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答えよう。反対しにと。
ぼくは、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きもの左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。
(金子光晴詩集『赤土の家』1919年発行)

詩 クリスマスカード

2020年04月03日 | 
生まれて初めてだけど
憧れてた先輩の店で買った
銀色の雪景色のクリスマスカード

わくわくドキドキして
彼女の顔が見られず
差し出す腕の産毛をそっと見てたっけ

誰に出そうかと毎日毎日
わくわくドキドキだった
クリスマスカード

でも結局やっぱり
誰にも出すことができなくて
机の奥にしまったきりのクリスマスカード

詩 故郷のプラットホーム

2020年04月01日 | 
日本でいちばん最後まで
SLが走っていたその沿線から
さらに山奥へ入った開拓地が
ぼくの生まれ故郷だった

本屋も映画館も
公衆電話すらもなくて
立ち飲みできる雑貨店が
たった一軒きりのふるさと

人口よりも熊の方が多くって
「山へ行ってきた」と言うと
誰もが口々に
「よく熊に喰われんかったな」が決まりの挨拶だった

ときどきは
「熊に牛を喰われてしまったべさ」とか
「馬を喰われたべさ」とか
「山菜採りに行ったら熊とばったりだったべや」

冬といったら三メートル以上の雪で
雪の階段を降りてくと真っ暗な玄関があり
登下校はスキーを履いて
体育も遠足もまたスキー

昨夜の夢のなかでは
星空の下にひとりぼっちだった
壊れかけた枕木の柵の向こうには流れやまない海
その海を染めて昇ってくる新月

誰もが金魚みたいに
金魚鉢に映る不安と瓜ふたつになって
じぶんのこころの極北を
覗き込むしかなかった

詩  あいさつ

2020年04月01日 | 
面と向かってじゃなくっても
あいさつは可能なのです
というよりもそっちのあいさつの方が
より大切なあいさつなのです

じんわりと心に沁みこむ太陽や
満ち欠けを繰りかえす月
影のように寄り添う風を
地上の何処でだって
見上げることが可能なように

樹々のそよぎが津波のように
ひとつの想いを伝え合いながら
地球を一周してゆくように

どんな生き物や地上の物でさえも
みんな太古から支えあってきた
仲間たちなのだから

ビックバン以来の
歴史をともに生きてきた仲間たちや
同じ成分で作られた仲間たちからの挨拶で
満ちあふれてきた地球

だから人間だけが思い上がって
「地球に優しくしよう」とか
ペットに無理やり
衣類を着せるなんてのも言語道断

他の生命を食べる時だって
必要最小限を感謝しながら
食べる必要があるのです
自分で殺した生命だけを
食べるという礼儀が不可欠なのです

詩 冬の時代

2020年03月31日 | 
冬の時代には
なにかしらの暖房が必要だ
孤独なこころにも
なにかしらの希望が必要なように

いつかしらまた
内外の寄生虫をどうするのかが
最大の問題になってしまった
この冬の時代を生きのびるためには

アメリカを向いたままの
官僚や政治屋やマスコミ
大銀行や大企業やカルトがこれからも
わが世の春を謳歌すべきなのかどうか

それとも
これからますます激しく
困窮し殺されてゆく日本人が
立ち上がるべき時代なのか

視界がほとんど遮られてしまうと何故だか
こころの水位がみるみる上昇してゆき
それまで見えなかった物が
ありありと見えてくる

ジョン・レノンの暗殺犯が
その直前にファンだといって
サインをもらったのが
S・キングだった

「とても驚いたよ・・」と言ったきり
それ以来のキングは
全くの腰抜け野郎になってしまったが

詩 おおやっぱり今夜も 『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読

2020年03月30日 | 
最後の晩餐にはお茶漬けがいい
飲みつかれた後にもやっぱり
焼いた塩鮭かタラコに熱いお茶で

大根下ろしを掛けるのもいい
チリメンジャコかイクラを
山もりご飯に乗っけて

漬物はやっぱりニシン漬けがいい
お袋の味を思い出しながら
大根とキャベツをぼりぼり齧りながら

おおやっぱり今夜も
風が泣いているなと呟きながら


『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読
ファンタジーの中で、何回読んでも好きなのは『影との戦い』(『ゲド戦記シリーズ』第一巻)だけど・・表題の別巻は、より現代を反映した『ゲド戦記』シリーズ最高の出来栄えと思う。映画化された「ゲド戦記」は、たぶん映像化の容易さを最優先したために失敗したのだろう

この『ゲド戦記外伝』の魅力はー「カワウソ」「湿原で」の二章につきる。前者では、かっての革命的組織の再復興をなした・・まるでチェ・ゲバラのような一人の魔法使いの一生が語られる。
そうして作られた魔法の学校が「影との戦い」の舞台のロークの魔法学院。後者は「影との戦い」の後日箪。《メドラなる名を持つ若者は死んだ女をその腕に抱いて、ぬかるみの中にすわりこみ、ひとり、静かに泣きつづけた。・・
「この女はおれを救ってくれたのに、おれはこの人を救えなかった。」若者はだどりついた山間の村の人びとに、男女を問わず、泣いて訴え、すでに硬直した、雨に濡れたままの遺体を、人びとから守ろうとするかのように、ひしと胸に抱きしめて、離そうとはしなかった。》(「カワウソ」より)

日本もまた占領下ではないんだべか。
戦前は、憲法を恣意的に解釈して天皇の名を語った「統帥権」で、軍人がこの国を占領した軍部独裁国家だった。それに言及せずに、戦前の日本は素晴らしかったとか、「自虐史観」だと言っても・・この基本的な捉え方が間違っていてはどうしようもない。

戦後はアメリカと、その意を受けた官僚層の占領した国だったのではと思う。在日米軍基地の75%が置かれた沖縄でそれが顕著だったと思う。特に数十兆円もの税金をつぎ込んで銀行農協等を責任者の罪を問うことなくうやむやにした住専問題以後は、資本主義とも言えない日本国だと思う。

資本主義の基本とは、「借りた金は返す」「借金を返す担保・信用がない者には貸さない」というのが資本主義の基本だからだ。その基本を無視した者たちは罪を問われるべきだからだ。特に我々の税金で救済する場合には。

《占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。 サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)》(「憲法9条の会」のtodaysongさんの書き込みから引用ーhttp://cafe.ocn.ne.jp/cafe/bbs.cgi?mode=detail&art_no=1975176&m_no=99210&t_no=0)

その意味では、ガザと日本は同じなのではと思う。
ただわずかな違いはと言えば、日本の場合は太らせてから収奪するという方法・・だっただけの違いではないのだろうか?

”詩「ぼろぼろな駝鳥」~ “人間よ、 もう止せ、こんな事は。”” ぼちぼち ごった日記

2020年03月27日 | 
https://www.hachidory.com/book/00/id=215

昨日の、高村光太郎のつながりで
詩をひとつ。

エシカルなビーガンや動物愛護な人たちは
動物園に反対する人が多いです。
もちろん、わたしも、基本的に動物園には反対です。

高村光太郎のこの詩は、いつごろだったか覚えていませんが
教科書か何かで読んだのが最初でした。

そのときに、動物園の動物について、ぼんやりとは思いましたが
今ほどわかっていなかったなと思います
まさに、アニマルライツ を訴えていますよね
動物園にいる、多くの動物たちが 思い浮かびます・・・

同じような立場になったことのない、彼らよりはるかに自由なじぶんには、やはり分かっていないのですけれど・・・

 
ぼろぼろな駝鳥
 高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
顎があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、もう止せ、こんな事は。 

*********

「智恵子抄」有名な高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」。この作品も中学生の国語のワークブックあたりでときどき採用されていて、知っている人も多い。
改めて思うが、こんなにストレートな動物園批判はあまりない。
「もう止せ、こんな事は。」としっかりはっきり書いてある。ぼろぼろにされた駝鳥を描写しているだけにとどまらず、「人間よ、もう止せ」とちゃんと主張している。

ずっとあったのだ、この流れは。アニマルライツ運動はいまに始まったことではないのだ。感性の豊かな人なら、古今東西、誰でも感じることなのだ。古今東西、と書いたので、もう一つ紹介する。

*********



鉄枠に囲まれて視力は衰え
豹はジッとしておれなかった。
豹には無数の鉄枠があり
外には世界がないようだ。

ほんのわずかの範囲を動き回る
逞しく柔軟な足取りの歩行は
無感覚な大いなる意思の中心を
力強く旋回して踊るようだ。

時として瞼が静かに上がる
すると一つの像が目に入り
張りつめた静寂が全身を駆け巡り -
やがて豹の心から消えていく。

リルケ
************

詩人という人々は、このように世界を観察している。このような感性は国籍や時代、性別を問わない。


猫家知恵蔵

猫家知恵蔵ブログ
http://ameblo.jp/lavenderroom2009/entry-11869148914.html

反対 (日本を滅茶苦茶にした元凶)

2020年03月24日 | 
ぼくは反対する
ますます陰湿化するいじめに反対する
これらの元凶は
トヨタ等の大企業でのいじめや村八分やリストラ

ぼくのトヨタ時代でも
中高年や女子社員を一列に並べて
退職するまで芝生のゴミ拾いを手始めに
片道切符の出向の先に待っているのは
危険・汚い・きついという3K職場

それでも辞めない社員には
「あいつは男とやりくらかしてる」等のデマや
上司が巧みに誘い出しての手かざしの新興宗教
「絶対にクビにしてやる」「殺し屋に注意しろ」の脅し文句

内緒で受け取り金数千万円の団体割引保険金を掛けておいての
サービス残業やいじめや出向や村八分
「あいつはアカだから話すな」等でストレスに追い込んでの
過労死過労自殺での保険金の略取

ぼくは反対する
終わることのないアメリカ侵略戦争に
ベトナムアフガンイラク等を破壊し続けることができたのも
最大の貢献国
奴隷のように貢ぎ続ける日本のおかげだ

在日米軍基地への思いやり予算や
我々の血税で強引に買うことを強制され
塩漬けになっている百兆円に近い米国債
広島長崎原爆という無差別大量虐殺兵器への抗議
日本人はまっとうな思考力を失ってしまった
奴隷よりも家畜のような有様になってしまった

ぼくは反対する
破壊し殺し続けるばかりで
なにひとつ良いものを残さなかった
小泉以降の弱肉強食自公政治を

政府発表でも自殺者に過労死者を足すと
もう十年間毎年四万人が殺され続ける
本来の政府行政政治家官僚の役目とは
市場原理では格差が増大するばかりなのを
税金の再配分機能で
弱者や敗者を救済することにあるというのは世界の常識だ

とりわけ法を守って手本を示すべき
地位や名誉や権力を与えられた政官財こそが
堂々と法を破り税金を掠め取り
反対する者を牢獄へと放りこんで
なんら恥じることがない

これらの元凶は中曽根政治にあった
国鉄→JRへという数百兆円の国民共有財産の強奪と組合つぶし
汐留跡地のおこぼれを大マスコミにばら撒いての翼賛マスコミ作り
リゾート法や原発による官が率先しての自然破壊と破壊
不沈空母発言等での米軍の下請化