●第47回 2020年9月10日(毎月10日)
エーゲ海・レスボス島の難民キャンプの火事に何を見るか
*ニュース報道から
多島海国ギリシャの東端、トルコに近いレスボス島の名前は、難民の状況に関心をもってここ数年の動きを見てきたひとにとっては、馴染みのあるものだ。出身国がどこであるかを問わず、欧州を目指して海(エーゲ海)を渡ろうとする難民・移民の集結地として、あまりに有名だからだ。有名とはいっても、難民がトルコ、ヨルダン、レバノンなどのアラブ世界、そしてギリシャのようなヨーロッパの「辺境」に多数犇めいている限りは、世界の主要メディアの関心はあまり惹かない。難民の群れが、「正統」ヨーロッパの域内に入り込んで初めて、欧米メディアは「難民問題」が重大な局面を迎えていると報道し始めるのだ。
そのレスボス島にあるモリア難民キャンプで、9日火災が起こり、キャンプは全焼したのではないかとの報道がなされている。日本での報道は、いつものこととはいえ、驚くほどに少ない。2015年に設置されたこのキャンプは定員3,000人ほどのスペースだというが、その4倍の12,600人が「密」状態で暮らしていたという。うち400人は親を喪った子どもたちだ。現地で活動しているNGOによれば、(いつの段階かは不明だが)キャンプでは35人の新型コロナウイルス患者が出たために閉鎖されていたという。日ごろから、諍い・喧嘩・暴行事件が多発していたといい、火災も時々起きていたが、今回は「放火」が疑われていることが痛ましい。
以上に記した年号や数字は、10日朝のNHK /BS「ワールド・ニュース」で放映されたZDF(第2ドイツテレビ)のニュースに基づくものだ。ほかの素材ともダブル・チェックしてみたが、大きな違いはない。ZDFのニュースで際立ったのは、今回の悲劇をEUの責任問題と結びつけて報道していた点だ。ドイツの内相や外相の発言を聞くと、ドイツはこのキャンプから、親のいない子どもたちを受け入れることはしてきたが、EU全体で取り組む態勢までは作ることができなかった。加盟国・ギリシャから、難民受け入れの協力・支援の要請があっても冷淡に無視してきたのが、総体としてのEUの在り方だった。ドイツ国内にも、一定の難民受け入れ姿勢を示すメルケル政府に対する排外主義政党・勢力からの厳しい批判があった。これらの態度が批判に曝されているという観点で難民キャンプの火災を捉える報道の在り方が、日本NHKの政治・社会・人権意識の低いそれと比較して、かなり意味深い「救い」と思えた。
イスラム学者・内藤正典氏によると、難民の7割はアフガニスタン人、ほかにシリアなど17ヵ国から集まってきていた。このように、難民の出身国が明示されると、おのずと、ひとが難民とならざるを得なかった「因果」の関係が見えてくる。アフガニスタンの場合は、もちろん、2001年の「9・11」以後の一連の出来事である。米国中枢部で展開された「9・11」同時多発自爆攻撃に対して、米国が「反テロ戦争」なる国家テロの発動をもって応え、日本を含めて「先進」主要各国が多様な形でこの戦争に加担したことが、国外に流出せざるを得ない膨大なアフガニスタン難民を生み出したのだ。レスボス島のささやかなキャンプ場をすら失って、幾重もの意味で「難民化」した人びとの背景に、この「原因」を浮かび上がらせることのない報道や分析や解説は、虚しい。
地中海経由の難民をテーマにした映画に『海は燃えている――イタリア最南端の小さな島』(ジャンフランコ・ロージ監督、イタリア、2016年/写真)があった。サブタイトルがいうように、イタリア最南端にあって、チュニジアやリビアに近い島・ランペドゥーサ島が、アフリカ北部からヨーロッパへの越境を目指す難民たちの集結地になっている現実を描いた、すぐれたドキュメンタリー映画だった。
「国際政治」の中では見向きもされない小さな島――それは、時に、世界の偽りのない現実を浮かび上がらせる場となる。レスボス島も、今回、難民問題の重層性、「先進国」と「途上国」の間の矛盾、コロナによる差別と分断――など、今日的で世界に普遍的な問題の構造を、悲劇的な事件を通して明るみに出したのだと言える。