詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

古い「反骨者列伝」シリーズがなかなか面白かった

2012年05月06日 | 思い出

◆『反骨者列伝(1)ー市民運動家&作家松下竜一と読売争議団長&釜石市長鈴木東民』はー『ここ』

◆『ー列伝(3)ー田中前長野県知事』はー『ここ』

◆『ー列伝(2)ーカナダの文学者たち』はー『ここ』

◆『ー列伝(4)ーアメリカ文学で好きなのは「マークトェイン自伝」』はー『ここ』

■今日のツイッター記事からー
(1)アメリカ理解に欠かせない記事『』はー

(2)天皇制や松本清張についての記事『』はー

(3)大杉栄スパイ説等についての記事『』はー

立川談志、ハタハタ(鰰)

2012年05月04日 | 思い出
懐かしいNHKラジオ番組を聞いてる。
数年前まで、いつも通勤途中に聞いていた立川談志や毒蝮三太夫等の親友や弟子たちの番組・・

談志はよかった。
その毒舌には私利私欲どころか、私心すらなかった。

ハタハタはぼくの一番好きな魚で、しょっつる鍋もいいけど、北海道の郷土料理の飯寿司もお袋の味だった。

何故ハタハタを鰰と書くのかが子供時代の疑問だった。
たぶん、雷の鳴る頃秋田のあたりで採れたからなんだろう。
そして雷=神鳴る。
アイヌ民族でも、トーテム(氏族の始原の先祖霊)として雷の氏族がいくつか。
(圧倒的に多いのは熊・狼・狐・鯱等の生き物。他にも疱瘡神等の病気も)

日本後で詳しいのは魚の区別とその美しさと繊細さと思う。
日本人もアイヌ民族も世界一の漁労民族と言うしかない。
家畜や肉の部位についてはほとんど区別する言語がなかった・・

NHKで北海道でのばんえい競馬の番組を観て懐かしかった

2012年03月13日 | 思い出
北海道での子供時代はあちこちの祭りでばんえい競馬が観られたが、現在では帯広だけという。
(鞭を叩いて残酷だとも言われるが馬たちが消滅するよりはまだいい)

相撲よりも大事な日本の文化だし、これがなくなると北海道の農耕馬の歴史が消滅してしまうので、国や北海道が真っ先に保存すべき文化と思う。

極端に言うと、開拓時代の遺産のばんえい競馬とアイヌ民族文化くらいが北海道の文化と思う。

北海道には不必要なのは、原発や産学官協同で始まった遺伝子組み換え研究!


十年前にネットを初めた頃を思い出してー

2012年02月03日 | 思い出
ここのブログや、同系のネットカフェは、もう十年くらい利用しているが・・過去一度も、過激なぼくの詩や散文をアップしてくれて、日本の他のブログサイトのように、勝手な記事削除が無かったことに感謝している。

もう十年前から、NTTグループが終わりなら、ネットなどやってもどうしようもないと思っている。

その時は、戦前の翼賛政治の復活で・・あらゆるものが破壊される時代だと思う。

伯母さんの夢をみてから眠れそうにない

2012年01月03日 | 思い出
古典的な夢だったけど、ぼく自身が若い頃の伯母さんになっているという点が初めての夢のタイプだった。

何度もその家から逃げ出すのだけど、その度に追っての男たちに見つけ出されて連れ戻されるという夢だった。舞台は以前住んでいたことがあるバブルの頃の東京だった。

伯母さんは家政婦をやっていたそうだが、毎日母の夢の中で「助けて!」と泣いて母に懇願していたという。それで祖母が東京へと助けに行ったのだという。

子供ごころにも、とても美人だなと見惚れる伯母だった。
北海道へと帰ってから間もなく海で自殺を図り、たまたまそこを通った漁師に助けられたという。
それからほとんど毎日ぼくの家に遊びにやってきた。

「○○ちゃん元気に勉強してるかい?」といつも笑いながら聞いてくる。
「○○ちゃんは何が一番好きなのさ?」
「膾だよ」と答えると、簡単な膾の作り方を教えてくれたりした伯母だった。

ここ同様のネットカフェが来年二月で廃止とか

2011年12月24日 | 思い出

正直にすごい。まだ延々と他人のブログで議論をやっている。
この写真のタレント藤波心さんのブログはーhttp://ameblo.jp/cocoro2008/entry-11065145799.html

このgooブログもそうだったけど、ネットカフェもまた、約十年間一度もアップ不可能や記事削除がなったのは世界的な奇跡で、金メダルクラスの世界一の技術や倫理感の素晴らしさ!

日本の他のブログでは、禁止用語でのアップ不可能は結構多いし、アメンバブログのように、それがほとんど毎日のブログも多い。
でも「禁止用語がどれだろう?」などと毎日考えるのは精神的に悪すぎる。
(それについてあまり文句を書いたせいか現在出入り禁止状態に)

数年前にOCNの無料ブログが閉鎖になった時も、悲しかったが・・
金儲け第一という時代の流れには仕方ないのかと諦めている。

ただ時代の流れがあまりに速いので、もう少し経つと、ネットカフェのようなHPはほとんど皆無になり、世界遺産に登録されるかもしれないとも
思う。

僕の誇りはトヨタグループや創価学会系企業で数年間のパワハラに痺れを切らした企業で解雇

2011年11月18日 | 思い出
トヨタグループや創価学会系企業で数年間のパワハラに痺れを切らした企業で解雇されたことが僕の誇り。そのせいか、でも就職探しは百件以上も不採用だけどー『ここ』

その頃の生々しい詩『国民総葬式国家ー日本』はー『ここ』

その頃について書いた思い出『ピッキ蛙外伝(1)(2)(3)』はー『ここ』

今反省しているのは御用組合の中であっても、一人で組合を作って、最後まで戦うべきだったとおもう。

布袋寅秦と吉川晃司の『BE MY BABY』&エミリー・ディキンソンの詩

2011年10月02日 | 思い出

あまりにもカッコよすぎる布袋寅秦と吉川晃司の『BE MY BABY』はー「ここ」

すべての人に、エミリー・ディキンソンの詩を贈りたい。
ーもし私に、ひとつの心が砕けるのを止めることができたら、私の人生は無駄ではないだろう。
もし私に、ひとつのいのちの苦痛を和らげ、ひとつの痛みを和らげ、ひとつの痛みを冷やすことができるならば・・
私の人生は無駄ではないだろう。


母さんの「手の温もり」を思い出すエピソード

2011年10月02日 | 思い出

それは、身体の痛い場所への「手当て」と、寝る前の母との会話だった。
お腹が痛いとか、風邪をひいたと母に言うと・・いつも神妙な顔をした母が、痛い箇所に手を当てて「痛いの、痛いの飛んでゆけ!」と言うのだった。
その後にっこりとする母の笑顔を見ると、痛みなんかあっという間にどこかへ行ってしまうのだった。

夜寝る前に「母さんおやすみ」と声をかけると、
「おやすみ。あんたもいい夢をね」とにっこり。

ザ・バンド

2011年09月10日 | 思い出
つい最近までは、『桃太郎電鉄』で遊びながら、痴呆症の母親が寝込んだなと思うと、サッチモやバンドを聞きながら・・朝早く。仕事への毎日へとの、十年間くらいの毎日の日課だった。老人ホームでの、無料奉仕があるんで・・一週間くらいそれをやってから偉そうな事を言いやがれ!

ザ・バンドはー「ここ」・・
『 アイ・シャルビー・リリースト』も!-「ここ」

泥鰌と金魚と鰻と八目鰻

2011年09月04日 | 思い出
泥鰌好きな僕としては、野田首相の発言は看過できない。確かに泥鰌は泥を好むけど、彼のようにふてぶてしくはない繊細(金魚とは違う野生味たっぷりの)で可愛らしい生き物だ。
野田氏は外見は豚に似ていて、のらりくらりと掴みどころがない上に、様々なご主人様たちの操り人形なので、豚鰻操り人形とでも形容すべきだ。

いやむしろ野田氏は、出来損ないの金魚なのかもと思う物語『金魚撩乱』(岡本かの子)はーhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1279_9311.html
彼は泥鰌のように繊細でも純情でも可愛くもなく、出目金のように人工的な不気味さを感じる。その背後に控える前原・仙谷はさらに一層その印象が強い。
彼らの言動(増税、原発推進、官僚(国家&企業)支配増大、アメリカ言いなりのTPP&米国債買い増し&郵政資産三百兆円の献上)は、発狂しているか、錯乱しているとしか思えない。

泥鰌豆腐(地獄鍋)を一度家でも試したことがー湯豆腐に生きた泥鰌を入れただけで鱈をの方が旨い。鰻よりもはるかに栄養があるという最も簡単な泥鰌料理。唯一のコツは泥鰌が逃げ込み易いように太い箸で多めに穴を開けておくこと。湯豆腐を食べてるようなので、肉食禁止の僧侶(現在は僧や宗教家の方がむしろ肉食セックス等をやりたい放題)が好んで食べてたとか・・

泥鰌というと思い出すのは、岡本かな子『家霊』ーhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/984_19594.html
アイヌ神話で泥鰌とは・・と探したが、鰻についての神話(熊が鮭を採りすぎて不漁だよと神様に願ったら鰻を川に遣わして熊が吃驚仰天とか)しか見つからなかった。

八目鰻は鰻とは全く種類が違う生き物で、東北・北海道の川の特産品。特に眼に良いとか・・さほど美味しいものではないけど、燻製よりも醤油での甘辛煮が好きだ。

大人の玩具、ダッチワイフ、ストリップ、エロ本、アダルトビデオ・DVD

2011年08月28日 | 思い出
大人の玩具についてのラジオ番組を聴いてたらー
大人の玩具は買ったことがない。いつも金がない日本一の貧乏人だったせいかもしれない。
でも、南極基地で愛用されたというダッチワイフは一度見て、使ってみたい気がする。

暖めた蒟蒻に切目を入れ一度試したことがあるけど。だけどやっぱり本物の方がはるかにいい!

最初にストリップを見に行った同級生は今頃どうしてるやら。
でもなんで、毎日インスタントラーメンばかり食う毎日だったのに、なけなしの金を持ってストリップなんか見にいったんだべか・・

一度エロ本を買って部屋に隠してたら、母親に捨てられて以来買う気がゼロになってしまった。
なんだか軽蔑してるような・・とても怖い母の顔だった。

アダルトビデオ・DVDは以前山ほど持ってたけど、誰かに持っていかれたり、引越し毎に放って今は一つもない。
すべてばっちりで、美人だらけの・・警察といつも一緒だった・・という創価学会のお偉いさんからもらったのだったけど。


また亡き母の夢をー

2011年08月15日 | 思い出
一昨日に続いてまた亡母の夢をみた。
笑いながら、好きだった娘と楽しそうに話していた。

「あの子は昔は、目がぱっちとしてとてもメンコクて、みんなから○○ちゃんと呼ばれてて・・」その声が、坂道を下ってゆくぼくの背からいつまでも聞こえてきた。
「母さん相変わらず大声で困ったもんだな」とため息つきながら・・

[pikki蛙外伝16] 上司あれこれ

2011年08月10日 | 思い出
今日は息抜きをかねて、今でもぼくの記憶に残っている上司の話しをー
(1)話し出すとエロ話しがとまらなかったA氏ー
A氏は菅原文太に似た苦味走ったとても美男子なのが、唯一の趣味が鉄砲とエロ話し。
「冷蔵庫にゃ鹿や猪の肉が年がら年中詰まってるけど。野生の肉はウンチが鼻が曲がるほど臭くなるけど、息子がビンビンになって・・」
「最近の若い娘はオ○○コおっぴろげて、露天風呂に入ってやがる」

最初に配属されたのがA氏のような職人ばかりで、もたもたしてるとモンキーやハンマーが飛んでくるような職場で・・
あまり仕事が忙しくない時は、昼の間に、A氏が散弾銃で採ってきたキジバトの丸焼きを肴に一杯ということも時々あった。

職人は江戸っ子に似ているというよりも、江戸っ子自体が職人の集まりだけど・・
「俺の技術は日本一」という山よりも高いプライドの持ち主ばかりなので、とても疲れる数年間だった。

(2)それに輪をかっけてえげつなかったB氏ー
現在でもある仕組みと思うけれど、トヨタ系に入社する新人社員には監視役のお目付け役がそれぞれに付けられることになっていた。

僕のお目付け役B氏は、会社中のほとんどから「動きがおかしいので会社の犬」「あいつに注意した方がいい」という上司だった。

その前歴は某大手織物会社の人事課長だったとかで、よくその頃の事を自慢していた。
日本中を新卒の娘をスカウトに北海道から沖縄まで出かけたとか・・
それらの娘のうちの何人かを、役職を利用して強姦したというのも彼の自慢話しのうちの一つだった。
B氏についてはとても長くなるので、続きはまた今度ー

[pikki蛙外伝15] よくみる夢のベスト3

2011年08月10日 | 思い出
ぼくがよくみる夢のベスト3はー
(1)亡き母の夢(2)以前解雇された会社の夢(3)北海道の故郷の夢だが・・

昨夜の夢は、それの三つが混然一体となった夢だった。
朝起きて腕時計を見ると、もうすでに8時を回っている。『大変だ無断欠勤にされてしまう』
会社に電話すると「遅くなっていいから出て来い」という上司の話しだった。(大災害時や交通事故等の時には稀にそんなこともあるが)

ジャブジャブと水道水を流しっぱなしで顔を洗ってると、八千草薫をだいぶ庶民的にしたような若い頃のままの母が心配そうに顔を覗きこむ。
「こんな時間なのに大丈夫だべか?」

会社に着くと、早速直属の上司を探す。
「車のバッテリーが上がってしまって、申し訳ありませんでした」
「ところで○○君、申し訳ないけど、東京の関連会社へ出向してもらえんだろうか?」
「母の具合が悪いので、とても出向はできません」

それから三回出向拒否して、とうとう最後は解雇されてしまったのだった。
その間に、一年間の介護休暇をとってアルツハイマー病から痴呆症になってしまった母の介護を挟んで・・

その頃よくみた夢は、深夜会社に忍び込んで、爆破する等の破壊的な夢が多かった。天下り官僚社長やリストラで大出世した重役の車を尾行したり・・