詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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フランクリン・ルーズベルト大統領、1935年の年頭教書演説から

2020年05月16日 | 政治
ボランティアの力では、もうとっくに支えきれない窮状なのだ。政府・自治体や政治家や宗教団体はいったい何をやっているのか?税金泥棒と言われても仕方ないのではないのか?

このような非常事態にこそ、自衛隊も地方も、膨大な税金で生存してきた何でも使ってやるべきだし、宗教団体だって膨大な税的恩恵の見返りに社会貢献をすべきではないのか?

これはもうほとんどの自然災害(山林破壊等で被害増大)と同じ人災である。こういう未曾有の大災害時のために、国民は膨大な税的負担をしているのではないのか?こういう時のために国・政府・自治体・政治家が存在してるのと違うのか?

膨大な税金を使って、彼らの飯を国民は払い続けているのではないのか?それでなければそんなものは膨大な税金で養う必要はないものだ。まったくの無用な存在!税金を食い物にする者たちといわれても仕方ない。

それだというのに、政府発表の雇用対策は、とても間に合わない上に、ハードルが高すぎて、手続きが煩雑すぎる。
先進国中で最低最悪の失業保険の期間延長とかいっても、そもそも雇用保険をかけていない非正規労働者が多い上に、僕が以前もらった失業保険ももらっていた給料の半分ちょっとで、それも長い待機期間がある。実際にはほとんどの労働者には使うことの出来ない制度だ。

デヴィット・ハーヴェイの『新自由主義』から一部をアップしたい。
《フランクリン・ルーズベルト大統領は、1935年の年頭教書演説の中で、1930年代の大不況の経済的・社会的諸問題は、市場の行き過ぎた自由に起因するという見解を明快に述べた。

曰く、アメリカ人は「行きすぎた利益により蓄財することで、法外な私的権力をつくりあげるという発想をきっぱりやめなければならない」。貧しき人は自由人ではない。いずれの場所においても―と彼は論じる―社会的公正は彼方にある理想ではなく、明確な目標になった。国家と市民社会が果たすべき最優先の義務は、貧困や飢餓の根絶にその力を活用しその資源を振り向けることであり、生活の保障を与え、大規模な災害や生活の紆余曲折から保護し、ちゃんとした住宅を保障することである。欠乏からの自由は、後に[1941年]彼が未来の政治的ビジョンに据えた4つの基本的自由[欠乏からの自由のほかは、言論の自由、信仰の自由、恐怖からの自由である]の一つである。

ルーズベルトのまったく理にかなった自由概念は、現在の基準からするとかなりラディカルな響きを持っている。このことは、なぜ今の民主党が、ブッシュがかくも敬愛する狭隘な企業家的自由概念に対する対抗軸としてこうした自由概念をはっきりと打ち出さないかを説明するのに役に立つかもしれない。ルーズベルトの構想は、ヒューマニズム思想の連綿と続く系譜にはっきりと位置づけられるものである。たとえばカール・マルクスも空腹は自由を生み出さないという恐ろしくラディカルな見解を抱いていた。》


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