●第55回 2021年5月11日(毎月10日)
知里幸恵『アイヌ神謡集』の広がり
北海道新聞のひとつの記事が目をうった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』の多言語への翻訳が国の内外で進んでいるとする記事である(同紙2021年3月13日付け夕刊)。知里幸恵は1903年、北海道登別に生まれた。アイヌ民族が口承によって受け継いできた神謡13編をローマ字筆記と日本語対訳として起こし、出版のために校正まで終えた直後の1922年、病死した。19歳の若さだった。来年は没後100年を迎えることとなる。(写真下=知里幸恵)
『アイヌ神謡集』は幸恵の死の翌年1923年に、金田一京助の跋文を付して出版された(郷土出版社)。幸恵にまつわる私の思いは、以前にも書いたことがあり、それは、西成彦+崎山政毅=編『異郷の死――知里幸恵、そのまわり』(人文書院、2007年)に収録されている。幸恵のこの本は、その後も北海道の地域出版社から刊行されたことはあったが、1978年に岩波文庫に収められて以来、広く流通し、知られるようになった。現在も流通しているので、入手できる。私の文章は、岩波文庫では「外国文学」のジャンルに入る赤帯が付せられている意味を考えたうえで、幸恵と金田一京助の「コラボレーション」(協働作業)の本質的な意味合いや、幸恵の「表現」の的確さやリズム感も論じているので、お読みいただければうれしい。私の著書『テレビに映らない世界を知る方法』(現代書館、2013年)にも収録したが、かなり以前の文章なので、ブログにもアップしてある。
→ http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/yukie.html
いや、それよりも、『アイヌ神謡集』そのものに触れられるのがいちばんよいことは、もちろんであるが、冒頭で触れた北海道新聞の記事に導かれて、かの女の郷里・登別に10年前に開設された「知里幸恵 銀のしずく記念館」のホームページをたずねてみた。
→ https://www.ginnoshizuku.com/
すると、ベトナム語、バスク語、ロシア語、スペイン語、韓国語、英語、ギリシャ語など12言語に翻訳されたサイトがたちどころに現われて、「国境を越えて」広がる幸恵の世界を実感することができる。幸恵の原文は、口承文学を起こしたものだけに朗読するに適しているから、学習中の外国語で読んでみようという気持ちが強く沸き起こる。現在イタリア語への翻訳に取り組んでいるというイタリア人は、「館のHPを見て、自分が翻訳をやるべきだと思い立ちました。誰もやったことがなかったことに挑んだ幸恵の物語集は世界に知られ、受け継がれるべき集団的記憶です」と語っている。「集団的記憶」という表現には、「国境」や「民族」を超えた《類》への志向性がつよく感じ取られて、印象的だ。
このような記事・報道が深く心に沁みわたってくる一方、同じ時期の北海道新聞には、見出しだけを拾うと、「日テレ、アイヌ民族差別」「番組で不適切表現、謝罪」「アイヌ民族ヘイト横行」などの文字が目立つ。番組で使われた言葉は、今なおこんな言い方をする者がいるのかと思えるほどの、深刻な差別表現なのだが、番組担当者やそれを言った「芸人」は謝罪した。するとツイッター上には、「何が問題なのか」「過剰反応ではないか」「アイヌは先住民族ではない」「日本にアイヌはもういない」などという投稿が相次いでいるという。歴史事実に基づいて、かつ人権を尊重して、何ごとかを言う――そのような態度とはもっとも遠い地点から発せられるこれらの言葉――それはもう、すっかり見慣れ、聞き慣れたた光景になった。
このような否定的な現実に向き合うときに、もし徒労感をおぼえるようなことがあったら、幸恵が『アイヌ神謡集』に託したような仕事がそんな自分を励ましてくれるのだ。そんなふうに考えればよい、と思った。
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