毎木曜掲載・第202回(2021/4/29)
民衆のための経済学
ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生』(土方奈美訳、早川書房、2020)/評者:菊池恵介
近年、新自由主義の主要な論拠となっているのが、政府の財政赤字である。「日本の債務残高は1000兆円を超えており、直ちに財政再建に取り組まなければ、たいへんなことになる」。こうして庶民の不安を煽ることで、社会保障削減や消費税値上げなどが正当化されてきた。財政破綻の危機は、国民の同意を調達するのに大きな効果を発揮する。身の丈に合った暮らしを営み、支出が収入を上回らないように倹約しなければならないことは、だれでもわかっているからだ。それゆえ、GDP比世界一位の債務残高を突き付けられ、緊縮政策の必要性を説かれると納得せざるをえない。
だが、このように国家財政を家計に喩えることは、果たして妥当だろうか。また、福祉や教育には財源がないとされながら、金融市場に対しては大盤振る舞いが続くのはなぜだろうか。新自由主義のレトリックとしての「財政赤字の神話」を解体し、民衆(People)のための経済学の可能性を示唆することが、本書の課題である。著者のステファニー・ケルトンは、ニューヨーク州立大学の教授で、現代貨幣理論(MMT)の代表的論客の一人である。2016年と2020年のアメリカ大統領選(民主党予備選)ではバーニー・サンダースの政策顧問を努め、現在は「グリーン・ニューディール」を提唱するアレクサンドリア・オカシオ=コルテスの顧問としても活躍している。
無からお金を作り出す国家の「魔法の杖」
一般にMMTとは「政府はインフレを引き起こさないかぎり、財政支出を拡大できる」と主張する経済理論として知られる。その根拠は、国家が単なる通貨の利用者ではなく、通貨を発行できる「魔法の杖」を持っていることだ。たとえば、アメリカ、イギリス、日本などの国家は、ドル、ポンド、円などの自国通貨を保有している。これらの国々は、自国通貨を手放したユーロ圏の国とは異なり、通貨発行権を保持しているため、議会の承認さえあれば、中央銀行によって資金を無から作り出すことができる。それゆえ、ギリシャの左派政権のように、ユーロの供給を止められ、資金が枯渇する心配はない。また、自国通貨を金と固定したり、途上国のように巨額の債務をドル建てで負ったりしないかぎり、財政破綻することもありえない。
それでは、政府の支出にはいかなる制約もないのだろうか。「とんでもない。非常に重要な制約が存在する」と本書は主張する。もし政府が際限なく通貨を発行し続ければ、世の中に出回る通貨の量がモノやサービスの生産量が上回り、物価の高騰が起こるだろう。その結果、人々の購買力は低下し、実質的な生活水準も下落する。それゆえ、財政支出はインフレ率を慎重に見極めながら行われる必要がある。MMTによれば、政府の債務残高が1000兆円を超えようと、なんら問題はないが、過剰な財政支出によるインフレには警戒しなければならない。その調整手段として機能するのが、税金や国債などである。MMTによれば、国家が税金を徴収するのは、じつは財源を確保するためではない。むしろ、市場に出回る過剰な資金を吸収することでインフレ率を調整したり、累進税率を通じて所得格差を是正したりすることが、その本当の役割だというのである。
それでは、アベノミクスとMMTはどこが違うのだろうか。その最大の相違点は、前者がもっぱら日銀による金融緩和を通じて景気浮揚を図るのに対して、MMTは政府の財政政策を重視する点である。リーマン・ショック後、日米の中央銀行は、ゼロ金利政策を通じて投資や消費を促したり、大量の債権や株式を買い上げたりすることで、金融市場にマネーを注入してきた。しかし、企業が投資や雇用を抑制し、巨額の内部留保を貯め込んでいる状況では、どんなに大量のマネーを注入しても民間銀行のレベルで「ブタ積み」となり、なかなか景気回復に繋がっていかない。「ヒモは引っ張ることはできるが、押すことはできない」というケインズの名言のごとく、金融緩和はローンを奨励することはできても、強要はできないのである。その結果、中央銀行が作り出した巨額のマネーが金融市場を潤し、株価や不動産の高騰を招くなど、新たなバブル経済が進行している。ここに金融政策の限界があり、経済再建のもう一つの手段として、政府の財政政策が要請される理由がある。
自動安定化装置としての「就業保障プログラム」
それでは、戦後のケインズ主義との違いは、どこにあるのか。その最大の相違は、高度成長期のケインズ主義国家が、道路やダムの建設など、もっぱら公共事業に投資することで景気回復を図ってきたのに対して、MMTの場合、政府が雇用や社会保障などに直接資金を投入することで、完全雇用と物価の安定を目指すことだ。その要に位置するのが、政府の「就業保証プログラム(Job Guarantee Program)」である。労働市場に「パブリック・オプション(公的雇用という選択肢)」を導入し、仕事が見つからないすべての人々に「仕事と賃金と福利厚生のパッケージを提供する」のが、その構想である。
たとえば、アメリカ全土で1500万人の失業者が存在すれば、そのすべての人々に政府が雇用を保証する。ただし、「どんな仕事でも与えればいいというものではない。失業者に賃金を支払うことを正当化するために無理やりシャベルを渡すような、単純な雇用創出プログラムではない」。政府が保証する仕事は、人と地域社会、環境を大切にするようなケア・エコノミー関連の分野が望ましいと本書は主張する。その内容は、中央集権的な官僚機構によってトップダウン式に決められるのではなく、育児や教育、介護など、地域社会の多様なニーズに合わせてボトムアップ式に作り出されていく。
さらに、政府が保証する賃金は、最低賃金のような生存ギリギリの水準ではなく、すべての人々が人間らしい文化的生活を営める水準に設定される必要がある。たとえば、パブリック・オプションを時給15ドルに設定すれば、これが事実上、あらゆる仕事の対価を決める指標となる。「それが設定されれば、すべての雇用主がそれにプレミアム(上乗せ)をつけた金額をオファーせざるを得なくなる」からだ。マルクスが「産業予備軍」と呼んだ大量の失業者の存在は、労働市場において賃金水準を引き下げる役割を果たしてきたが、政府の「就業保証プログラム」は逆に賃金水準を押し上げる役割を果たすのである。それは、非正規雇用の拡大によって低迷の一途をたどる需要を回復すると同時に、景気循環の波を抑制する「自動安定装置(ビルトイン・スタビライザー)」の役割を果たすと考えられるのである。
リーマン・ショック後、世界の政治指導者たちは、巨額の金融支援によって金融機関を救済する一方、公共サービスや社会保障に関しては、財政赤字を理由に厳しい緊縮政策を実施してきた。その結果、世界経済は収縮し、長期の不況にはまり込んできた。そんな政治に対する人々の怒りが、既成政党の凋落とポピュリズムの台頭を招いてきたのである。この閉塞状況にどう向き合うべきか。それに対するバーニー・サンダースやオカシオ=コルテスら、アメリカ急進左派のビジョンが、ここにある。
【アメリカにおける富の不平等】
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