羽生結弦のコメントがいい。感動させられた。26歳の若者の率直な言葉だが、震災10年の日本を代表する素晴らしい式辞であり、まさに日本のリーダーが発する言葉だった。本当にこの言葉で救われた思いがする。ありがとうと感謝したいし、羽生結弦の10年に敬意を表したい。文面はストレートで、即興のオーラルがそのまま字になり文章になったような表現だけれど、中身は練られている。構成と推敲がある。深く深く掘り下げて言葉が紡がれ、心を揺り動かす絶唱の創作になっている。
まるで、村上春樹から言葉を受け取っているような、そんな力と響きを感じさせられ、一言一句の珠玉の配置に惹き付けられた。被災した人たちを代表して内外に語る言葉であり、被災した人たちを励まし勇気づける言葉であり、この10年を生きてきた日本人全体を励ます言葉だ。そして、羽生結弦の純粋な精神と個性が滲み出ている。震災から3年目のソチ五輪の金、その4年後の不死鳥が舞い降りて奇跡を演じた平昌の金、それらの絵柄が思い起こされ、この言葉と一つに溶けて感動の余韻になる。これはまさに震災十年の賦だ。魂魄のモニュメントだ。
賦とは、古代中国の韻文の文体の一つで、詩と散文の中間に位置する形式である。歌謡する詩ではなく、朗誦される賦。羽生結弦のこのメッセージがなかったら、震災10年は本当にさまにならなかった。無内容で格好がつかなかった。11日は午後から政府主催の十周年追悼式があり、国立劇場から中継されていたが、全く見る気がしなかった。視聴しても気分を害して苛立っただけだろう。過去の追悼式は何度も見た。明仁天皇がどういう言葉を述べるか注目されたからであり、天皇皇后二人の刻々の挙措と併せて生中継の映像は見逃せないものだった。明仁天皇の言葉には被災地の弱者への徹底した思いやりがあり、行き届かず遅漏を続ける政府の復興行政に対する批判があった。今の天皇にはそれが微塵もない。「寄り添い」の言葉は過剰に口にするけれど、心は全く伴っていない。今の天皇が寄り添っているのは、被災して傷ついた国民ではなく、隣に立っている雅子皇后である。今回の「おことば」では、「皇后と共に」を三度も繰り返したそうだ。異常なほどの皇后への忖度であり、「おことば」は皇后への寄り添いを誓うもので、被災地など眼中にないことが分かる。
現天皇が寄り添っているのは現皇后と政府で、被災地に二人が出かけた絵でも、被災者が寄り添われるのではなく、現皇后が被災者から寄り添いを受け励ましを受けている。主客転倒の「寄り添い」の政治が現出する。現天皇がどれほど「寄り添い」を口にしても、その中身を成す主体性や指導性を持ち合わせておらず、「寄り添い」は無意味な空語にしか響かない。カリスマの器量を持たぬ者が国民への「寄り添い」を演じても、それは噴飯で空疎なママゴトにしかならない。「修身 斉家 治国 平天下」とはよく言ったもので、この四つのフェーズには順番と階層があり、前段の契機が後段の基礎となり前提となる君子論の構成となっている。斉家が不能な者は君子にはなれない。斉家すらできぬ者に指導者の資質を認めることは許されぬ。何十年経っても斉家がおぼつかない未熟者には、憲法が定めた象徴天皇制を担い司る資格はないのだ。この国の主権者である国民は、そのことをはっきり宣告する必要があるだろう。家族への寄り添いが第一なら、天皇の職を辞任して専念すればよく、誰も引き留めはしない。皇嗣が代わりをやればよい(皇嗣も斉家に不安があって悩ましいが)。
総理大臣は何を言ったかというと、何とバイデンと一緒に共同声明を出し、「両国はこれからもかけがえのない『トモダチ』として、被災者を支援し、(略)より良い未来の実現のため、手を携えて前進していく」とメッセージを発した。追悼の日に日米で共同声明を出したことが過去にあっただろうか。翌12日には日米豪印のクアッド首脳会議を設定していて、その前座興行の位置づけにしている。わが国にとって神聖な3月11日を出汁にして、対米従属を強化する政治を行っている。さらに、在NY日本総領事がニューヨークタイムズに全面広告を出し、震災での米国の支援に感謝の意を表するという媚態までやっている。属国の態度そのものだ。思い出せば、震災復興の名目の予算で、文科省だったか、米国の大学生を大量に日本観光に招待して遊興させるという件があり、マスコミで槍玉に上げられたことがあった。震災の日であれ何であれ、天皇は皇后に忖度して寄り添うことに懸命だが、日本政府はアメリカに忖度して寄り添うことのみに懸命で、他のことは眼中にない。日米同盟を限りなく強化し、米国への隷従隷属を極限まで深め、中国との戦争の準備に血眼になっている。
日本は震災からの復興に失敗した。32兆円とも37兆円とも言われる巨費を注ぎ込んで、10年かけて復興に失敗し、被災地の人口を2割減3割減という絶望的な過疎状態に追い込んだ。原発事故の収束の問題は別にして、宮城・岩手の三陸地方に限って見ても、完全に復興に失敗している。巨額の税金を無駄にして、被災地を人の住まぬゴーストタウンに都市整備した。ゼネコン土木事業の壮大な墓場空間にした。こんな「復興事業」の歴史を作ったのは日本だけだろう。08年の四川大地震も死者行方不明者8万7000人の大災害だったが、10年後に復興が失敗したとかの報は特に聞かず、被災地から人口が大量流出してゴーストタウンの造成地が残ったという話は聞かない。中国も日本と同じく人口減の悩みを持つ国だが、四川省の諸都市が過疎化したという悲報には未だ接さない。日本の東日本大震災の復興事業の「理念」は、単なる災害からの復旧に止まらず「活力ある日本の再生」を図るとか、「日本のあるべき未来」のモデル作りをするとかを謳っていたが、現実には日本の無能と衰滅のモデルを作って見せる帰結に終わった。中国は四川大地震の悲劇の後、10年間で国全体のGDPを3倍に伸ばしている。
16年と17年にハリケーンに襲われたハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコの被害実態については、概要すらもよく分からないが、一国の規模からすれば、日本の東日本大震災に匹敵するかそれ以上の大災害だったに違いない。カリブ海の諸国は貧しい貧しい小国で、日本のように復興予算を何十兆円と注ぎ込める余裕などない。おそらく、今でも被災地は荒廃したままで、トランプのアメリカが薄情に見捨てて放置した経緯もあって、インフラ復旧もままならない深刻な状況だろうと想像される。彼らの目から見て、32兆円でピカピカの廃墟と堤防を築いた日本の復興事業はどう映るだろう。悲しく恥ずかしくて世界の人々の前に立てない心境になる。そうした絶望的な気分の中で、羽生弓弦が言葉を発してくれた。誰もが共感できる、日本人の心を一つにする、リーダーの言葉を投擲してくれた。それを聞き、そうなのだと頷き、真実を思い返すことができる。被災からの立ち直りは、一人一人が苦しみの中で懸命にやっているのだ。羽生結弦のように頑張ってきた人々が無数にいて、地上の星の輝きと煌めきとなり、それが他の多くの人々の心を支えてきたのだ。そのあまたの物語の散在と集積こそが、この10年間の日本の財産なのであり、世界に誇れる達成なのだ。それらはきっと、これから災害に遭う世界の多くの人々を勇気づける力になるだろう。
日本のソフトパワーというか、世界から信頼や支持を得る根拠となる力となるだろう。些か主観主義的な感想かもしれないが、そのような意味の捉え直しと希望と確信へ導いてくれた、若き英雄の羽生結弦に感謝したい。
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