地球へ ようこそ!

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あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

ささやかな  幸せ

2008-11-28 07:35:07 |  ちょこっと  教育
うちを脱出して、仮の宿( いちょう町界隈)に住んでまで通った、超多忙な学校を辞めたマンマミーヤは精神的、肉体的健康を取り戻しつつある。同じくワタシも健康をとりもどしつつある。

田舎の姉さんに言わせれば、「 あんたら~なんでそんなに・・・。」無理をさせるのか?と言うことだったけれど、都会の自分たちが置かれた状況の中で、それなりに本人と両親で考えた進路であったから、(他人に言われたくないわよ。)みたいなところはあった。
 注)他人・・・現在の家族ではない。という意味。

自分が父親に期待され、育てられたように、ワタシも親(父)と同じようにを子供には教育はつけてあげるものだと思っていた。

特にとうちゃんもワタシも貧しい中から教育をつけてもらったから、世の中的にはそれなりお金持ちと想像されているワタクシ達夫婦が、同じように子供に教育をつけてあげようとすることは何ら不思議なことではない。

ジャパンの時代には、それでもまだ自由はあった。特に彼女は公立高校で、しかも自由な校風の学校に通っていたから、時間的には少し余裕もあって、とうちゃんのセッティングした塾コースに乗っかって大学進学もした。( ちょっとワタシには信じがたい教育パパゴンだったけれど・・。)

マンマミーヤの一連の出来事で、ワタシ達は目が醒めた。( あえて達 )只今の教育界では、どこの学校に身を置こうとも、少なからず”ビョウキ”になるんじゃあなかろうか?

私立の学校(ちょっと進学校)は相当に親たちの期待(有名大学進学希望)があるから、そのことも手伝ってどんどん「知育」偏重に陥る。だから子供たちは知識の詰め込みに追われるようなところがあると思う。それは昭和のワタシ達の時代の比ではない。

そのような能力を必要とする仕事があろうことは否定はしないけれど、すべての子供にそれが通用すると思うのは大きな間違いだと思う。

子供はゆっくり育たなくてはならない。自分を見つめることもなく、友達と喧嘩することもなく、自然の中で息をすることもなく育ったのでは、”ひと”でなくなる。
 『 音・美・体 』(やらせではない、音楽・美術・体育) 詰め込み塾より 今の子供に与えてあげたいこと。 
これは何も、子供に限ったことではない。昭和の忙しく過ごした、おじさま、おばさまにだって大切だと思う。
 歌を奏でる体( 体が鳴らなくなったら おしまい。)
 美しいものに感動するこころ
 いそいそと、わくわくと、どんどんと動くことのできる体

学校をやめた当初 、「 夢なんてないもん。 」 とマンマミーヤに言わしめた、ワタシ達の教育はどこか間違っていたし、学校の教育にも改革すべき点は多々ある。
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とうちゃんと、ワタシと、ジャパンと、マンマミーヤが揃っていただくささやかな夕食。「おいしいね~。」 結婚2●年目にして初めてのことだ。

何か おかしい都会生活。朝食だって、本当ならば一緒にとったっておかしくはない。
マンマミーヤは、とうちゃんに自ら挨拶もするようになった。「ありがとう!」
昨日は、とうちゃんのパジャマのほつれを縫った。丁寧に縫った。

女の子に大切な教育は、意外とワタシが、若かりし頃に考えていた、「 男になんか 絶対に負けない!」というような生き方になる教育ではなく、
男が気持ちよく、「行ってきま~~ちゅ。」と言って仕事にでかける家庭環境を整えることなのかも知れない???

>写真は最近に作った、姫作、マンマミーやのお弁当。このところ、学校には出かけないので、お弁当はたまにしか作っていない。ジャパンが退職したら、しっかり朝食を取らせたい。

ステロイドホルモンを自らの体内に作るには7:30分までにしっかり朝食をとることだとお習いした。
コメント (2)
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