永松四郎の家は、黒岡川を挟んで、私の家の向かい側にあった。本当は、幅十米内外の掘割という言い方の方が正しいのだけれども、土地の人は、殊更にそれを黒岡川と呼んでいた。
江戸城修復の際、利根川の流れを迂回させたことは、よく知られていることだが、実は、その小規模な姿が、この黒岡川である。こんな我が家の傍にもお城づくりの名残りがあった。
元来、篠山という丘陵にぶつかるようにして流れていたものを、川筋を町の外郭を回るように、しかも合戦の場合は、そのまま、外郭の第一線防禦のクリーク転用に役立たしめる、常套の築城術であったのだろう。
自然の水路を人工によって変えた川筋である。有事の際に奏功する利点は、平時においては往々そのことそのものが、被害の原因となることが多い。この黒岡川はよく洪水し、よく干上がった。
この掘割に橋を架けたのが、永松四郎の父である。橋といっても、掘割の真中に二本の杭を打ち、それに丸太二本を渡し、横板を打ちつけるといった簡単なものであったが、それもそのはず、それを渡るのは、永松の家族と、私の家族の往き来のためだけのようであった。
というのも、篠山の道路がアスファルトの舗装工事された昭和十年、四郎の父はそれを請負って、どこからかこの町にやってきた土方の頭で、その家族に借家を見つけてやったのが、私の父という因縁による。
今でこそ、道路の簡易舗装など、人は殆ど目もくれないが、古い城下町の表通りを、ローラー車を擁した荒くれ男がわめきたて、連日、濃いチョコレート色をした油と、タール状の砂とでもって、無表情な平面を展開していくさまは、木と藁と紙で出来た座敷の中を、戦車が駆け抜けていくようでもあり、その痛々しさに、この土地のものたちは顔をそむけながらも、一方、この道路工事に見とれていた。
古い町の市街化への最初の改造を協賛しなくては時代遅れになるという虚栄と、もう一つは、このローラー車に乗った若い男の、江戸っ子とはかくあらんと思わせられる風貌と言動とが、土地の人々を魅了していたからである。
ローラー車に乗った若い男が、永松四郎であることは言うまでもないが、この四郎がもてた何よりの原因は、大げさなことを言うようだが、この事件から十何年あとに起った、厚木飛行場に降り立ったマッカーサーに、日本人が羨望と魅惑の情を禁じえなかったあの条件と同じものを、この青年は備えることが出来ていたことのように思う。コーンパイプこそくわえていなかったが、サングラスをかけた四郎の横顔を、今も当時の篠山の人たちは覚えているだろう。
江戸城修復の際、利根川の流れを迂回させたことは、よく知られていることだが、実は、その小規模な姿が、この黒岡川である。こんな我が家の傍にもお城づくりの名残りがあった。
元来、篠山という丘陵にぶつかるようにして流れていたものを、川筋を町の外郭を回るように、しかも合戦の場合は、そのまま、外郭の第一線防禦のクリーク転用に役立たしめる、常套の築城術であったのだろう。
自然の水路を人工によって変えた川筋である。有事の際に奏功する利点は、平時においては往々そのことそのものが、被害の原因となることが多い。この黒岡川はよく洪水し、よく干上がった。
この掘割に橋を架けたのが、永松四郎の父である。橋といっても、掘割の真中に二本の杭を打ち、それに丸太二本を渡し、横板を打ちつけるといった簡単なものであったが、それもそのはず、それを渡るのは、永松の家族と、私の家族の往き来のためだけのようであった。
というのも、篠山の道路がアスファルトの舗装工事された昭和十年、四郎の父はそれを請負って、どこからかこの町にやってきた土方の頭で、その家族に借家を見つけてやったのが、私の父という因縁による。
今でこそ、道路の簡易舗装など、人は殆ど目もくれないが、古い城下町の表通りを、ローラー車を擁した荒くれ男がわめきたて、連日、濃いチョコレート色をした油と、タール状の砂とでもって、無表情な平面を展開していくさまは、木と藁と紙で出来た座敷の中を、戦車が駆け抜けていくようでもあり、その痛々しさに、この土地のものたちは顔をそむけながらも、一方、この道路工事に見とれていた。
古い町の市街化への最初の改造を協賛しなくては時代遅れになるという虚栄と、もう一つは、このローラー車に乗った若い男の、江戸っ子とはかくあらんと思わせられる風貌と言動とが、土地の人々を魅了していたからである。
ローラー車に乗った若い男が、永松四郎であることは言うまでもないが、この四郎がもてた何よりの原因は、大げさなことを言うようだが、この事件から十何年あとに起った、厚木飛行場に降り立ったマッカーサーに、日本人が羨望と魅惑の情を禁じえなかったあの条件と同じものを、この青年は備えることが出来ていたことのように思う。コーンパイプこそくわえていなかったが、サングラスをかけた四郎の横顔を、今も当時の篠山の人たちは覚えているだろう。