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黒の水引とんぼ   その5

2007-08-06 08:11:51 | ある被爆者の 記憶
その四郎が、事もなげに、半日ほどで架けられた橋を渡り、これまた、まるで子どもの頃からそうしていたように、私の家に遊びに来るようになっていた。
他所者を受けつけない風習がかなり強いこの土地の目を尻目に、この板橋の上を私どもの家族の者までもが渡り始めたのも、そう日数をおいてからのことではなかった。
 弟が何かしたはずみに、「駄目じゃないか」と、覚えてきたばかりの東京弁を口にしたりするようになっていたが、人見知りの強い私だけは、その橋も渡らなかったし、永松の誰とも口を利いてはいなかった。そのくせ、誰よりも親しくなりたかったが、弟のように、東京弁で答えなければいけないように決めていた。
 ところが、ある日の、学校からの帰り道に、私は四郎さんに、出会い頭に声をかけられてしまった。
 私たちの通学路は、町の表通りから外れており、道路工事のローラー車の音が、家並みの向うに聞こえるときは、四郎さんの歯切れのよい啖呵を耳にしたように、心が弾んだりしていたが、まさか、そのローラー車に乗った四郎さんが、私自身の歩いている道の横合いから、突然姿をあらわして来ようなどとは思いもかけず、私は一瞬、自分の歩いている道が、いつもの道かどうかを疑った。紛うことのないいつもの道である。
「坊や。」
 確かにそう呼ばれた。この町では、この言葉は文字の上で見るだけのことで、どんな富裕な大家にあっても使用されていなかった。「坊や」と呼ぶ場合は「ぼん」である。私は「ぼん」とも呼ばれる身分の子ではなかった。ましてや私のことを「坊や」とは、顔がくわっと熱くなるのを感じた私は、あたりがまぶしかった。
「・・・みずほちゃんじゃなくって、ほら、なんて言ったっけ?ええっと・・・。」
 みずほは弟の名である。
 エンジンの音がうるさかったが、私の耳に四郎さんの声ははっきり聞きとれた。私の名を言わなくてはいけない、そう思った。でも、私は返事をしないかわりに、私の耳に手を当てて、よく聞こえぬふりをした。他の工夫たちも、みなこっちを見ている気がした。
「あっ、てるほちゃんだ。そうだね。」
 私はこっくりと頷いてみせるのが精一杯だった。そのくせ、私は四郎さんの筋骨隆々とした肩先と、胸元まできりっと巻き上げた晒の白さが、まぶしいほどに私の眼を射たことを忘れない。
 私は、他のことは何も考えずに、その映像ばかり見ながら、我が家まで帰った。
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