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黒の水引とんぼ   その7

2007-08-06 08:09:47 | ある被爆者の 記憶
あれは 錯覚なのだろうか。絵本で見た茨木童子の腕が、四郎さんの腕についている。まちがいなく鬼の腕が四郎さんの腕なのである。私は目まいを感じた。
 私はこの時、生まれて初めて、男というものを見た。そして、資格において自分も男だが、男湯と女湯と区別された暖簾を分けて入るそんな性別とは全く関係なく、本当に男というものが私の頭を支配した。それにひきかえ、四郎さんの男っぷりにすっかり感動している私は、どうしても、男というより女だと情けなかったが、どうしようもなかった。
 どの時、どんな場合だったか、もうそれは思いだせない。湯船の中だったような気もするが、はずかしがり屋の私が、四郎さんといっしょに、湯船の中につかっていることなど、とても考えられないから、全然別の場所であったかもしれない。けれども、はっきりと、私は、この鬼の腕に、彫りものがしてあったことを忘れはしない。また、忘れることが出来ない文字が記されてあった。
 志乃いのち、ただそれだけだったが、左の二の腕にはっきりと読めた。
 どうも、それが、湯の中で、肌と刺青との染まり具合を、気づかれないように、そっと瞳を凝らしたような気もするのだが、記憶の誤りであるかもしれない。
 小学校二年でありながら、志乃いのち、の文字が私に読めて、何のことだか当たらぬとも遠くない見当がつけられたのは、私の生まれ育った環境のせいである。
もちろん、当時の私に、それが読めた理由が、私のおかれた環境が特殊であるからだとまで、分っていたわけではない。
 実は、四郎さんが、真新しい晒を胸元高く巻いて、日課のように、例の橋を渡って、私の家の前を通って、小粋に銭湯に通った理由も、さらに、私の父が永松の人たちのために、他国者を嫌う土地柄でもあるのに、平然と借家を見つけて住まわせたことなども、私の生まれ育った特殊な環境が然らしめたことを、さすがに私も大人になるまで気がつかなかった。
 私は、色町に育っていたのである。
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