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黒の水引とんぼ   その10

2007-08-06 08:06:41 | ある被爆者の 記憶
母に覚られないようにして、私はよく検番に遊びに行った。普通なら、子どもが父の勤め場所などに行きたがるはずもないが、私にしてみれば、そこは、父のいる場所ではあっても、父の勤め場所とは思ってもみなかった。また、父はそこにいても、働いているとか仕事しているとかいうふうには見えなかった。だから、私にとって、家が二軒あるようなものであった。父もそんなつもりだったのではないだろうか。だいたい人に使われるふうな人ではなかったし、そんな姿を見たことはない。もちろん、父も私の手を引いて検番に連れて行きもしなかったし、一度として来いと言いもしなかったが、私がひとりで行って、特別な顔をする人でもなかった。
私が検番に顔を見せると、芸者たちはどうしてもちやほやする。私は芸者が甘やかしてくれるのが嬉しくて出かけるのではなかった。芸者たちに甘やかされて、それがいいから出かけるという賤しさを、母が極力嫌っていることを私はよく知っていたし、この世界が却って賤しさに反撥するところであることも、もうどこかで分かりかけていた。
 芸者の、私への甘やかしもいろヽあった。私の父や母に対する思惑からのサービスであったり、商売柄の儀礼みたいなのから、本当に子ども好きで無心に可愛がってくれるのまであった。
 案外、私は冷ややかな振舞いをする芸者の方が魅力的で、本当に大事にお相手してくれる芸者はうるさかった。そういうのに限って、赤ちゃん扱いされている自分を感じてしまうからであった。
 私は誰からも構われなくても、検番で充分独り遊び出来た。帳場は、当時としてなら、なかなか合理的で、小学校の職員室より立派だったろう。板敷は、顔が写るほどに磨きあげられ、子どもにとっては、かなりの広さのように思われたし、その中央に、篠山で一番大きいにちがいないと思われた大テーブルがあった。外との仕切りには、欅の一枚板でカウンターをいっぱいに連ね、正面、天井近くに、お稲荷さんを祭る神棚の大提灯が下がっていた。
私は、今でも、その大テーブルの上に置かれたものの一つゝを、はっきりと憶い出すことができる。 
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