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黒の水引とんぼ   その8

2007-08-06 08:08:49 | ある被爆者の 記憶
 永松が他国者なら、私の父もまた他国者であった。だが、母は、代々この土地に住みついた町方役人の娘であった。けれども、父は養子ではない。位牌の数と、父の語り口とを合わせてみると、宮川家七代目当主であって、美作の庄屋もつとめたほどの百姓の倅であった。
 父はわざと母のいる前で、生家の自慢話をした。
「宮川家の家の田地田畑は、どこそこまで行くに、人さまの土地を踏むことはなかった。」
 こういう物の言い方を珍しがったり、田地田畑、人さまなど知らぬ単語に、子どもの日常生活の外に生きている大人の世界を不思議がったりしたが、結局は、この土地者の母に対する父の虚勢であることはよく分かった。
「 そこにいくとな。山路の家が武士だと言んなはってもな、せいぜい、こまかな、町方役人言うてな。不浄役人、木っ葉役人とも言いますんや、ええか。」
と毒づいて見せたが、どういうものか町の人と話すときは、まちがいなく、この土地の言葉で話すのに、子どもに向かっては、平気で岡山弁を使った。
 ところが、母の方が、またかという顔すら見せず、そうかといって追従笑い一つもしない。全く耳にも入らぬ素振りが、子どもに中立の立場を守らせて、却って、どうして父はこの地に流れてきたのだろうという疑問を起こさせた。
 母は働いた。父は好きこのんで働いているとはいえなかった。母は、私たちの住む家とは別棟に芸者を置き、父を検番に通わせていた。いつからそうなのか、私は知らない。私が知った時には既にそうであった。こんな母中心の生活体制が、父の気に入らない原因を作っていたのだろうけれども、父の性分を見定め、他国者が遠慮なく生きられる世界として、色町を選んだ母は賢明であった。
 だが、色町は所詮、女の才覚で生きるところである。母はまさしく、この女の才覚と頑張りとで家を支えた。だから、こんな母の監督の下で、子どもたちは厳しく躾けられて、何一つ、特殊な状況下で育っているなど考えてみたこともなかった。
 だが、おそらく、永松四郎に、異常なまでに男というものへの憧れを思わせられたのも、四郎出現以前の我が家の環境が、あまりにも女ばかりの、女の感覚と体臭で塗り籠められた、女が采配を振う世界であったからであろう。
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