最終章だけど、、、

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カタカナ語の是非

2021-06-23 16:10:27 | 日記
 本日の朝日新聞に、少し、精読したい記事がありました。確か、「声」欄で、カタカナ語について広い年代層の意見が載せられていました。私も大概のことは、ごくごく一般的な見方をする方なので、そこに寄せられた意見がよくわかりました。曰く、日本語で、特に漢字という表意文字を持つのだから、それを生かして、日本語表記の方がずっとわかりやすいのでは、という意見が大勢を占めていたと思います。
 今更日本語表記にする方が煩わしい言葉もあります。電脳世界のマニュアルなどは、原語そのもののほうが、直接的でわかりやすいです。カタカナは漢字よりも画数が少なく見やすいのも利点です。でも立ち止まって日本語ではどういうのかしら?と考えなおしたいものも少なくありません。今もオリンピックの会場内の行動ルールのガイドラインを発表・・・と早速テレビから聞こえてくると、基準の方が、よりピンとくるのに、とちょっと反抗的になる私です。コロナ禍に入ってまもなく一年半ですが、ステイホーム、ソーシャルディスタンス、と私の両親が存命していたらどう思ったかしら、と首をかしげる言葉は少なくありません。最近よく目にしたのが、エビデンスとコンプライアンス、最も日本的な社会でもそこに帰属する力士の方々を守るためにか、推敲の末考えられた労働上のいろいろなきまりは、ほぼカタカナ語です。
 以前は、「現代用語の基礎知識」と「広辞苑」が一家のお助けマンとして常備されていたものですが、今は如何でしょうか。ネット検索に負うことが多くなり、重いそれらの本を常設する家庭も少なくなっているかもしれません。拙宅では、それら二冊(広辞苑は分冊になっていますので、正確にはもう少し冊数が多いです)に加えて「日本国勢図絵」も更新して求めております。正直、滅多に開くことはありませんが、いざというときのために、置いてはいます。
 今更こんな話題も食傷気味ですが、このサイトを張り付けます
 https://tokusengai.com/_ct/17387002

 さて閑話休題、上野動物園のパンダさんに双子の赤ちゃんの誕生したそうです。日本では、平均出生数が1.5人を切ってしまった昨今、羨ましい話です。
私の生活にも格別の胸の弾む話題もありませんが、そうですね、時計のベルトをかえました。結婚してまもなく家人のロレックス(手巻き)をもらって40年弱壊れずに毎日私の腕で働いてくれました。竜頭がとんで、ついに部品の調達ができずに、机の引き出しの中で思い出として眠りにつきました。その後は、父のスイス旅行のお土産に30年くらい前にもらった時計(手巻き)をはめてきました。やっと出番がきたのですが、先般、鎖の部分が切れてずっとそのまま使っていましたが、やっと治す(というより取り換える)気持ちになれました。本当に時代がかったオメガのフェミニンな時計です。あと、やはり何かの記念に家人がプレゼントしてくれた時計も電池を入れ替えて、しめて7000円弱の出費でしたが、何か生活が変わる予感がしています。






今は百均でさえも、時計は入手できる世の中らしいです。私のように化石化している者もいてもいいかなあ、と居直っています。
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