ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

百観音円通寺と黒門

2011年10月12日 | まち歩き

彰義隊の上野戦争(慶応4年5月15日)のとき、銃弾の痕のすざましい「黒門」は、ここ荒川区の円通寺に移されていたのだ。

上野公園にある「黒門」は、レプリカだったのだ。やはり、銃弾の痕も多数ついてはいるが。

彰義隊士の遺骨は上野で火葬され、この円通寺に収骨した。

太政官の許可を得て、賊軍であった彰義隊を供養し法要出来たのはこの円通時だけであった。

その因縁をもって、当時の上野の黒門は、帝室博物館より、明治40年10月に、この寺に下賜されたと記されている。

百観音円通時については、荒川区の史跡のプレートを参考に見て見よう。

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東京タワーとスカイツリー、あなたはどっち。

2011年08月23日 | まち歩き

東京タワーも、3・11の地震で先端のアンテナが少しゆがんだ。

スカイツリーは、地震の時も工事が進められていた。日本の最高技術で出来上がった。

なんでも、業平橋の駅が、スカイツリー駅に名前が変わるそうだ。無理に変えなくても昔の名前で良いんじゃない。

東京タワー駅って無いし。

塔と言えば、五重の塔で寺院の象徴だ。

幸田露伴の「五重塔」はあまりにも有名である。

大工と、技術者との違いはあっても、心血を注いで完成させる情熱は同じであろう。

嵐に耐えた五重塔、地震にも揺るがなかったスカイツリー、末代に残る誇りである。

さて,新旧の電波塔。

歴史のある東京タワーにも愛着がある。

新しいスカイツリーも魅力がある。

両者並べてみて、皆さんは何を思うでしょう。

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お手数ですが画像は、クリックして大きくしてから見てください。

テンプレートの加減で、全体の写真が見られません。このテンプレートでの記事は映像がすべて小さくなっています。


ビルの中に、そびえ立つ六三四スカイツリー。

2011年08月01日 | まち歩き

7月の末、同窓会の暑気払いと、放射能払いの食事会があった。

集まった人たちは、皆元気であり、よく食べ、よく飲み、よく話し、盛り上がった。

場所は、このようにスカイツリーが良く見えるホテルの24階のレストラン。

日本の技術は、世界一で、六三四メートル。ムサシ来年五月に開業。

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暑さのせい? いえ、単なるボケ。

2011年07月07日 | まち歩き

上野広小路の交差点で、信号待ちの際、知り合いの人に出会った。

しかし、名前が思い出せない。昔の取引関係の人のようでもある。あるいは元社員の誰かかも知れない。

思い出す手がかりをつかもうと、暑いですねとか何とか会話を入れて探ってみる。

先方も、いやあ、この近くに娘が住んでいるものですからと、ケイタイ電話を耳にあてながら答えてくる。

そうですか。では・・

信号が青になり、そのまま分かれるように進んで行った。誰だったかなあ。??

上野駅に向かって、ずんずん行くと左手に寄席の鈴本演芸場がある。

ありや、失礼しちゃったよ。

さっきの人は、三遊亭幸楽師匠だったか。

テレビの「笑点」の番組で、毎週見てるもので、頭の中には知り合いとしかインプットされてない。

テレビでは、他のレギュラーの落語家ともども、着物姿であるが、街中ではラフなシャツ姿で別人、顔だけはご存じの面、市井の人の良さそうな親父さんに出会った。

普段、引きこもっていると、生の芸人さんも、ブラウン管の中に見る人も区別の出来ない吉天でした。


近くの街に出ました。

2010年05月12日 | まち歩き

電車で、三つ先の街に出ました。

街と言っても、都心ではないので、必要なものを売っている専門店はなかなか見つかりません。

ビルの集合店舗の中の文具店にありました。

目的を果たして、帰ってまいりましたが、地方都市のデパートでは一般的なもの以外は置いて無いのです。

このところ、デパートも売り上げが落ち込んでいますが、売れない物は品揃えしないので、ますます利用者が減るのではないでしょうか。

東京へ出られない人は、ネットで買うのでしょうね。