朝夕涼しくなって、伸びた枝を高枝バサミで切り落とし、湖子庵の庭もすっきりし庵からの眺めも良くなりました。
さそっく、小さな訪問者があらわれ、チッチと囀っています。
シジュウカラのつがいです。
こちとらは、四十からでなく、もう七十からの、この年になって いろいろ勉強させられましたよ。
北京のオリンピックで、メダルとった人、惜しくもとれなかった人、明暗分かれても勝負に打ち込んだアスリート達の尊い言葉の数々から教えられることども多かったのです。
一方、勝負を投げ出した首相の突然の辞任で、こちらも反面教師として学ぶこと多かりし。 です。
このタイミングでの辞任は、今、批判が多くても(自分を客観的に見れる?)首相としてはベストな決断と自認して「あんたと違う」と憤りの感情が出てしまいました。
おそらく、今批判の矢面に立っても、歴史が評価してくれるとの自任からでしょうか。
歴史の評価どころか、歴史からも忘れ去られることでありましょう。
今年の流行語大賞に、揶揄をこめてその言葉をとどめるのがオチです。
ここ二代の首相は、精神面で、立派な師にめぐり逢うことが無かったのでしょうか。
かっての歴代の首相は、有事に際して参禅したり、儒学、哲学の立派な師を尋ねたりして、精神面の強化をはかったと聞いています。
首相ならずとも、一般人も長い人生において行き詰まりや、壁にぶち当たるのは世の常であります。
しかし、あきらめず乗り越える努力をする気概は持ち合わせなければなりません。
「火事場の馬鹿力」と言うか、危機に臨んでは不思議な力も出るというものです。
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パラリンピックも、障害を持つ人が勝負にでる。スポーツの世界も人生の師としてみるならば、学ぶ事は多い。
本人の実力を よりよく伸ばしてくれる監督、コーチの存在は欠かせない。
その気になれば、周りは「師」として学ぶ事は多い。
どんな道も、先達や、師に学ぶ謙虚さからはじまる。
親や、身内の秘書だけやったぐらいでは、政治家になれない。
商人の後継者も「他人の飯を食わせに出して」育てる。
政治家として、修練の未熟な総理に続けて行き当たった国民は運が悪いとしか言いようが無い。