吾輩の成人の日は、1957年(昭和32年)じゃった。
この年、岸信介内閣が2月に成立し、世の中「神武景気」から、「なべ底不況」へ向かう。
戦争が終わった年の1945年から、(干支の酉年から酉年へ一巡)12年しか経っていなかった。
まだ今のような成人式はなかったように思う。
店員30人余りであったが、成人を迎えたのは自分ひとりで、お店の二階の食事場(食堂では無い)のちゃぶ台で、女性社長(当時奥さんと呼んでいた)から、おかしら付きの小さな魚で、一合とっくりから、お猪口についでもらったお酒で、「成人おめでとう」と祝ってもらった。
10月には、ソ連のスプートニク第一号が成功し宇宙時代の幕開けとなった。
流行りの歌謡曲は、三波春夫の「チャンチキおけさ」、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」、石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」。
それから浜村美智子の「バナナ・ボード」は賑やかであった。
そんな時代であった。
高度成長の時代はそれから更に5・6年経ってからである。
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祝日は、昔の暦通りの日の方が、晴天であることが多かった。
一月十五日の成人の日を、連休にするために土日にくっつけた今の祝日法は自然にそぐわず、どうも曇天や雨雪になりやすい気がする。
十五日正月とか、小正月とか農耕に根ざした祝い日に、成人の日がある方が自然ではないか。
一生一度の成人の日は、無理に連休にするから、成人になったばかりの若者が暴れる荒れた成人式になる。(注:今年のような不景気では、暴れるような無分別な新成人はいなくて幸いでした。就活でそれどころじゃないのでしょう。)
連休の遊興と、お祝い事は分けて行うものだ。
連休による経済効果も考えてのことらしいが、物事のけじめをつけられる成人を育てる教育効果の方を考えてはどうか。