近年「火の用心」の言葉を、あまり聞かなくなって、火災による事故が多くなった気がする。
子供のころ、拍子木を打ちながら、「マッチ一本火事のもと、火の用心、火の用心。」と夜回りをして歩いたのは昔ばなし。
火の不始末が無いよう日頃から心がけて、さらに「火の用心」の言葉で、火のもとを確かめて就寝したものだ。
現代は、24時間誰かが起きて働くなり遊ぶなり、飲み明かすなりしている。不夜城の都会では夜と昼の区別はない。
ここにきて、マッチならぬライターによる発火事故での火災がクローズアップされている。
ガスコンロにしても、ストーブにしても、火を点けた人が責任もって管理すれば問題はない。
昔あった寝タバコも少なくなっている。
車の中のダッシュボードに入れてあったライターとか、引き出しやポケットの中での発火、炎の調整の効かないライターの火が衣服に燃え移るとか、車に幼児を残して降りて、子供がライターで火遊びしたなど、想定外の事故らしい。
「マッチ一本火事のもと」から、「ライター一個、火事のもと」に唱える言葉もかわるのか。
不便が、便利になることは、両刃の剣だ。
戦中戦後、と言っても60年余も昔、マッチが欠乏して、代用したのが「付け木」。
硫黄を溶かして、経木の先につけ、火鉢に埋もれている火種で火をつけ竈の薪に移して、飯炊き、煮物をした。
簡単に火が使えないので、火を大切にした。
あらゆるものが、便利すぎて、物を大切にしない風潮になってしまった。
最後は、自分の命まで大切にしない。年々自死が増えていると言う。
医学が発達して、たいていの病気は治ると信じ、不節制を繰り返し生活習慣病に陥る。
用心、要慎、日々要慎!