国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

情報技術の進歩と首都機能移転で没落する東京

2012年07月25日 | 日本国内
●レイス・アゲンスト・ザ・マシーン:機械に「雇用」が奪われてゆく? « WIRED.jp TEXT BY SEIYA NISHIMURA 2012年7月19日

明日からその仕事、機械がやります──そんな時代が遅かれ早かれやってくるかもしれない。マサチューセッツ工科大学の研究員2人がアメリカ社会に問うたのは「雇用と機械化」の問題。雇用創出が急務でありながらも、機械化による効率性向上はやはり魅力的。機械は働くぼくらの敵なのか、味方なのか? よりよき共生の可能性はないのか?

2012年ロンドンオリンピックでアメリカ代表が着用するチームユニフォームが、アメリカではなく中国で製造されていたことをアメリカのABCテレビが7月11日に報道し、アメリカ議会でちょっとした騒ぎとなった。これを受けて、アメリカ・オリンピック委員会(USOC)は、14年のソチオリンピックではアメリカ製を使用することを急遽発表するなど、騒動の沈静化に躍起となっている。問題となったのは「雇用」だ。

この出来事に象徴されるように、現在のアメリカでは繊維産業に限らず、国内のあらゆる産業においていかに雇用を創出するかが大きな課題となっている。オリンピックの件で問題になったのは、グローバル化による仕事の流出だが、ここにきて雇用創出に大きな脅威をもたらす新たな要因を提起した本が出版され、議論を巻き起こしている。

本のタイトルは『Race Against the Machine(機械との競争)』。11年10月に電子書籍として発売されたもので、著者はマサチューセッツ工科大学(MIT)ビジネススクールの研究員エリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィー。彼らは「アメリカ人は機械に仕事を奪われているではないか」という問いかけから、機械化と雇用の関係について考察している。

MITが刊行する『Technology Review』誌は、最新号で著者のマカフィーへのインタヴューを掲載しているが、そのなかでマカフィーは、「機械化(automation)」というものを「仕事量は同じなのに、従来より雇用が減ること」と定義している。デジタル技術の急激な進歩によってそうした「機械化」はますます進行し、それによって効率性が格段に向上していくことで、今後、単純作業に従事する労働者層は、機械との競争のなかで低賃金化がますます加速するだろうと彼は予測する。さらに製造業のみならず、こうした傾向は、旅行代理店や銀行の受付といったサーヴィス業にも敷衍されていくであろうと語る。

こうした状況に対して、悲観論者は、テクノロジーが新しい労働力として人に取って代わっていくことをは避けられない事態だということは認めつつも、そうした社会が果たして自分たちが望む社会なのかについては議論の余地がある、と主張する。とりわけ、中間層の人々の生活水準が低下し、もつ者ともたざる者の間の格差が広がっていくことを懸念する。

一方の楽観論者たちは、古代のアテネ市民をたとえに、人々はついに人間の奴隷ではなく、「機械という奴隷」を手に入れたのだと主張する。経済の恩恵は受けつつも、それと引き換えに課されていた労働が減少することで、苦役から解放され自由な時間を手に入れることができるようになったと語るのだ。

当のマカフィーは、機械化による効率性の向上とそのメリットは認めてはいるものの、機械には対応できない職種や業種もまだまだたくさんあり、その分野での雇用創出は期待できると語っている。と同時に、これからの時代は、人間にしかできない仕事と機械による仕事とのバランスをうまくマネジメントしていく能力が求められていくことになるだろうと予測する。より具体的に、彼は、これから社会に出ていく若者に対して、大学でダブルメジャー(専攻をふたつ修めること)を目指すことを薦め、リベラルアーツと科学系の専攻をそれぞれ修めることが望ましいと語っている。

今後、機械化のさらなる進行によって、ただでさえ減りつつある雇用がさらに消失してゆくことは、日本でも想定されうることなのかもしれない。そうなったとき、自分が職にあぶれないためには、いったいどんな準備をしておけばいいのか。雇用と機械化の問題は、決して他人ごとではなさそうだ。
http://wired.jp/2012/07/19/race-against-the-machine/






●格差社会待望論 : アゴラ - ライブドアブログ OPINION 辻 元 2012年07月14日

現在の日本の閉塞状況を打破するには、機会平等を維持しながら、年功序列などの行き過ぎた結果平等を排除し、国民が自立することが必要なように思う。

多くのご批判を受けると思うが、敢えて、格差社会待望論を主張したい。
著しい個人の能力差

私は、長年、大学で数学教育に携わって来た。 その長年の経験で、痛感するのは、個人の素質の違いが非常に大きいということである。 実際、1年生から4年生まで、良くできる学生は殆ど入れ替わりがない。そして、学生とゼミで接するようになると、それぞれの学生が、どこまで伸びるのかは、凡そ推測が付く。 その位、抽象能力や、論理能力に個人差が大きく、正直、残酷だと思うこともある。 梅の木は梅ノ木であり、松に仕立てることはできない、というのが私の長年の教育経験の実感だ。  

実際、9歳で大学に入学し、24歳でUCLAの教授になったテレンス・タオ(Terence Tao)のような例もあるように、この分野の能力差は非常に大きい。

但し、早熟な才能の開花が必ずしも将来を保障するものではない。 たとえばRuth Lawrenceは10歳でオックスフォード大学の入学試験に合格した秀才だが、その後の彼女の業績は、その秀才ぶりからすれば、かなり物足りない(現在はイスラエルの大学の准教授である)。これは、個人個人の伸びしろにも大きな差があるということだ。 

これ程、高レベルの話でなくても、大学レベルの数学となると、誰もがマスターできるわけではない。 これは、一般人が、宙返りが出来ないのと、同じことだ。 個人の持つ、素養を見極め、できることを伸ばすしかない。
数学に限らず、プログラミングの技能など、他分野でも、個人の能力格差が大きい。

しかし、優れた人材の層は非常に薄くなってきている。 先週、出張したイギリスの学会で、東京大学理科2-3類の学生250人の微分積分の演習を担当する助教の知人に聞いた話では、彼が「できる」と思う学生は1人しかいないという。 実際、現状では、京都大学など超一流国立大学の数学科でも、線形代数と微分積分さえ一人前に出来れば、大学院に進学できる。そのくらい人材の層は薄い。 

いや、それどころか、もっと広い分野を見渡しても、現状では複素数の理解できていない電子工学科の学生、重積分が理解できない、機械工学の学生、まともな文章の書けない文学部の学生も、一流大学ですら稀ではない。 少子化もあり、優れた人材の層は確実に薄くなっていることを、日々、ひしひしと感じている。 正直に言えば、高スキルの労働力となりうる人材は、大学生の1%程度しかいないというのが実感だ。

こうした教師の目から見た、著しい能力差は、彼らが社会に出た際に、きちんと評価され、待遇面で考慮されているだろうか。 

高スキル人材の活用の必要性

こういった個人の能力差が、きちんと把握され、活用されているかというと、少なくとも日本の社会では極めて疑わしい。多くの企業で、まだまだ年功序列的な給与体系が維持され、これが、日本経済の発展に大きな障害になっている気がしてならない。 優れた人材が存在しても、生かされずに埋もれてしまっている例は少なくないだろう。

格差の拡大を懸念する声は理解するが、現在はグローバル化と情報化によって、労働の二極化が進行しており、ごく一部の高スキルを必要とする労働の価値が非常に高くなる一方、大部分の仕事の価値が低下している。 つまり、高スキルを要する仕事の出来る人材の希少性が高くなっているので、こういった人材には高い給与を払わないと、社会が停滞することになる。これが、グローバル化、情報化による格差の拡大の原理である。

しかし、日本の社会を見ると、こういった希少な高スキルの人材に対し、十分な待遇をしているとは言えない。 給与などの待遇の格差を大きくすることは、社会を不安定化させる心配もあるが、正直なところ、現在のような、人に優しい日本の社会を維持することは、最早不可能なのではないだろうか。 

教師の私の目から見て、優れた学生と、凡庸な学生の給与は、少なくとも5倍の差があってしかるべきだと思う。 それが社会的に正当化できないとしたら、社会が人材を有効に活用できていないからとしか考えられない。

行き過ぎた結果平等が日本を滅ぼす

現在の日本の政治状況を見る限り、多くの日本人は、かつてのバブル崩壊以前の一億総中流社会の再来を望んでいるようにみえる。 しかし、1000兆もの政府債務を抱え、急速な高齢化が進行し、基幹産業であった製造業が急速に国際競争力を失いつつある現状を見るとき、これは全く実現不可能な夢を見ているようにしか、私には思えない。

グローバル化と情報化は、経済成長を牽引するのは、一部の高スキルの労働力であり、平均的に優れた労働力は意味を失いつつある状況を作り出した。 我々は好むと好まざるとに関わらず、この状況に対応してゆかなければならない。  

今のままの、日本独特の平等社会を維持しようとすれば、財政破綻が起き、国民の生活は破壊されるだろう。そして高スキルの労働力は、海外に散ることになろう。

格差を受け入れ、国民が自立することなくして、日本経済の復活はあり得ない。
 
(注)高税を受け入れれば、セイフティネットを維持することは選択肢である。
http://agora-web.jp/archives/1472818.html





●日本から本社が消える日(続編)(山口巌) - BLOGOS(ブロゴス)2012年07月08日 08:04

毎日新聞に依ると、<パナソニック>本社数百人規模にとの事である。
本社の社員は現在約7000人いる。各事業部門をサポートする「全社サポート部門」を新たに設置したうえで、研究開発や調達など数千人を同部門に移す。津賀社長は「(本社は)数百人でも十分対応できる」と述べた。

以前のアゴラ記事、日本から本社が消える日を投稿した時のパナソニック発表は7,000人の本社スタッフの半減であった。しかしながら、私はそんな中途半端なリストラに意味があるとは思えず、敢えて「日本から本社が消える日」と言う挑発的なタイトルを設定した記憶がある。

従って、私は今回のパナソニック発表を少しも驚かない。寧ろ同社が生き残る為には当然と捉えている。

本社をリストラするのではなく、一旦「全社サポート部門」と言う、やがて解雇の対象となるであろう部門に全体を移し、戦略立案や投資の決定と言った経営のサポートが可能な、高度に専門的な部隊を新設すると考えた方が誤解が少ないのではないかと思う。

今回のパナソニックの決定は、会社員やこれから職を得ようと考えている大学生に多くの示唆を与えている。

先ず第一は、今回の一見過激とも思われる改革がパナソニック一社で収斂するのかと言う疑問である。同社は松下幸之助氏に依り設立された企業であり、極めて日本的な家族主義を標榜し、社員を大事にして来た。そして、成功にあやかろうと、多くの日本企業が手本としたのは事実である。

従って、結論を言えば、今後多くの企業が同社を追随し本社の抜本的見直しに動く筈である。その結果として、予想されるパナソニック同様の大胆なリストラは必然であろう。

第二は、企業に「本社」は必要なのかと言う根源的な疑問である。若い頃は痩せていたが中年となり肥満体になる人間が多い。肥満の大部分は内臓脂肪である。脂が少しずつ時間をかけ、内臓と内臓の間に蓄積されるのである。

企業も似ているのではないか? 創業時は「研究」、「開発」、「製造」、「販売」と言った判り易い組織構造であっても、時間と共に本社機構と言う官僚組織が肥大化、跳梁跋扈し、現場は隔靴掻痒に苦しむ。

第三は、本社勤務社員の今後である。40才を超えていれば潰しが利かず職探しにさぞかし苦労する事になるであろう。30台であっても、本社勤務の如きぬるま湯に10年以上も浸かっておれば余程覚悟を決めて転職活動を行い、転職後も努力せねば務まらないのではないか? 

年齢が上に行く程より大変なのは間違いないが、いずれにしても阿鼻叫喚の如き状況以外思いつかない。

最後は、学生の就活に与える影響である。今尚、学生は世の中で名の通った、所謂、一流企業と目されている会社の本社勤務を希望しているのではないか? 最も選んではいけない対象であるにも拘わらずである。

学生は就活以前に「何で?」食って行くか腹を決め、応分の「スキル」、「資格」を身に付けるなり、取得すべきであろう。

大学は「職業訓練所」ではないと言う直接の批判をしばしば頂戴する。私は何も東大や東大に雁行するエリート大学に「職業訓練所」に成れと主張している訳ではない。又、それ以外の大学が成れるとも思っていない。

将来の野垂れ死にが嫌なら、学生は生き残る為には何が必要か自分の頭で考え、結論を実行すべきとアドバイスしているだけである。無論、詰まらぬ老婆心との批判は甘受する。
http://blogos.com/article/42674/




●パナソニック本社大幅縮小 7000人から一気に数百人に : J-CASTニュース 2012/7/ 9 19:17

大手電機メーカーのパナソニックが2012年10月に始動する「新本社」の人員を、現在の7000人から一気に数百人規模に縮小することがわかった。

12年3月期連結決算で過去最大の7721億円の最終赤字に転落した同社は当初、事業部門などへの配置転換の推進や、数百人規模の早期退職の募集などで人員を半数以下に削減するとしていた。生き残りに、その程度では間にあわなくなったようだ。

本社に残れない約6000人はどうなる
新本社に残れる人員は数百人。じつに6000人を超える人員が本社からふるい落とされることになる。

パナソニックは、「具体的な数字は情報開示していませんが、(本社規模が数百人になる)方針は間違いありません」と話す。狙いは「役割分担の明確化」にある。本社機能は、戦略立案や投資の決定など企画を中心に据えて、意思決定を迅速化する。

一方、本社に残れない約6000人は、研究開発や生産技術、調達などの各事業部門をサポートする「全社サポート部門」を新たに設置したうえで移す。

パナソニックの連結従業員は12年3月末時点で約33万人。薄型テレビや半導体などの業績不振事業の人員を削減したほか、三洋電機の白物家電事業を中国ハイアールに売却したことで、前年同期に比べて1年間で3万6000人以上減少した。

事業部門の人員削減に一定のめどがついたことで、いよいよ「本丸」に切り込もうというわけだ。

しかし、本社の人員削減は事業部門や子会社への配置転換が一般的。同社でいえば、AV機器や白物家電、エネルギー事業などの事業に移ることだ。早期退職の募集という手立てもあるが、そんなに多くは望めず、数百人規模にとどまるとみられている。

リストラが思うように進まない可能性もあって、本社人員の「全社サポート部門」への移行は、やがて解雇が見込まれる人員の「移動先」であり、また同社がリストラにあまり時間をかけていられない状況に追い込まれつつあることを示しているようでもある。

「聖域」だった本社もいよいよリストラ
本社人員の大幅な削減となると、パナソニック史上で初めて、とされる。同社は創業者である松下幸之助氏の意向もあって日本的な家族主義を標榜してきたため、これまで人員削減には慎重だった。

それが、2000年に「破壊と創造」をスローガンに掲げた中村邦夫・現相談役の社長時代以降、「聖域なき改革」のリストラ策に取り組んできたはずだった。ところが、歴代トップが踏み込まなかった「聖域」として、7000人に膨れ上がった本社が残った。

津賀社長が、本社に大ナタを振るわざるを得ないのは、過去最悪の7721億円の最終赤字の解消への「覚悟」の表れでもある。13年3月期は、薄型パネルの生産縮小などのリストラに加え、成長が見込める太陽電池や白物家電事業を業績回復の柱に据えて、最終損益は500億円の黒字転換を見込んでいる。
http://www.j-cast.com/2012/07/09138732.html






●大学が消えると言う事は、大学バブルが終焉すると言う事 : アゴラ - ライブドアブログ 2012年06月15日

前回のアゴラ記事、日本から大学が消える日に対し、多くのコメントを頂戴した。しかしながら、率直に言って的外れな物が多い。戦後一貫して大学はバブルの状況にあり、バブルは必ず終焉すると言う鉄則を理解していないからだと思う。 日本経済、そして更には日本社会の転機は1985年のプラザ合意であったと思う。プラザ合意に続く1990年迄の5年間、日本は経済も社会もバブルに熱狂し狂奔した。

しかしながら、バブルの運命は100%「破裂」と決まっている。恒久的バブル等有り得ず、何時か必ず終焉するのである。そして、バブルの後遺症は「不良債権」であり、バブルの後始末とは「不良債権処理」である。

以降の日本に就いては、「失われた10年」とか、「失われた20年」とかと語られる事が多い。要は、バブルで太った体を絞って真面な体型にする調整機関であった。「人財」として勤め先から大事にされて来た従業員が、「人材」に格下げになり、更にあっと言う間に「人罪」と謗られリストラが日常化したのは記憶に新しい。

そして、これは何も日本に限った話ではなく、英国で進む公務員50万人の大リストラ(「週刊東洋経済」5月26日号から) を参照する限り、イギリスは日本等比較にならぬスピードと規模で日本では中々難しい公務員のリストラを断行している。

大学が社会システムに組み込まれた存在であるのなら、本来、社会のこういった動きに無縁では有り得なかった筈である。しかしながら、大学は戦後一貫して肥大化を続けて来たのではないか? 別の言葉で言えば、「恒久的バブル」を謳歌して来たのではないか? そんな事がそもそも可能な筈かないのである。

既に述べた通り、バブルの弊害は「不良債権」となって顕在化する。大学を例にすれば、過剰の建物(教室)、教職員、学生そして卒業生と言う事になる。先ず、大学の「内」と「外」の温度差に直面したのは、当然の事ながら卒業生である。

真面な企業に正社員として就職出来ず、その後不安定な人生を送っている人間を「ロスジェネ」と呼んで、あたかも「時代」の犠牲者の如く語られる事が多い。正しくは、「大学バブル終焉」の犠牲者である。早い人なら既に40才を超えているのではないか? 人生を通じ、殆ど納税や社会保障費の負担に関与する事無く、近い将来生活保護受給者に転落するのではないか?

訝しいのは、大学が何ら是正に向けた施策を実行する事無く、本来不良債権となった筈の建物(教室)、教職員を温存し、百年一日の如く不良債権たる卒業生の量産を継続している事実である。勿論、買い手は付かないのでハローワークと言う名の「バッタ屋」に引き取って貰う様である。

大学関係者も、もういい加減に「大学バブルの終焉」を自覚し、不良債権たる大学そのもののリストラに着手しては如何であろうか?

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役
http://agora-web.jp/archives/1464780.html





●「東京と大阪で画期的なマンモス都市に」 石原知事が世界都市サミットでスピーチ - MSN産経ニュース 2012.7.2 14:14

 【シンガポール=酒井潤】都市が抱える問題について、世界各都市の代表らが集まって解決策を探る「世界都市サミット(WCS)」が2日、シンガポールの複合施設「マリーナ・サン・ベイズ」で開催され、東京都の石原慎太郎知事が全体会議で「都市は人間のすべての願望、期待をかなえる使命を負っている。ひとつの集合体として、多様な機能を備えないと完全な都市とはいえない」とスピーチした。

 石原知事は「リニアが開通して東京と大阪が55分で結ばれれば、世界に例がない画期的なマンモス都市となる。東京の過度の集中集積をうまく分散し、太平洋沿岸が機能的に大都市となることを目指している」と語った。

 WCSは2年に一度、シンガポール政府が開催しており、今回が3回目。今回は「暮らしやすく持続可能な都市」がテーマで、約100都市が参加した。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120702/trd12070214160012-n1.htm






【私のコメント】

冒頭の「レイス・アゲンスト・ザ・マシーン」という記事はコンピューターやインターネットという情報技術の進歩が雇用を奪うという現実を指摘している。それに対する対応策として、若者に大学で複数の専攻、それもリベラルアーツ系と科学系の両方を修めることを推奨している。

工場制手工業から機械制工業への転換で多数の工場労働者が不要になった。蒸気機関車の導入で多数の飛脚や駕籠を担ぐ人が不要になった。技術革新は常に大量の失業者を特定の分野で生み出す。情報技術の進歩はマスコミ・出版・音楽・証券・旅行代理店・生命保険・損害保険等の業種を直撃しており、近未来にはこれらの業種の雇用は大幅な縮小ないし消滅が避けられない。これらの業種に共通するのは自ら付加価値を生産することができないことである。情報技術の進歩はこのようなコストの高い間接部門を消滅させつつある。

付加価値を製造する業種である製造業においても、パナソニックが本社を7000人から数百人まで削減するという。人事・総務・営業などの業務が情報技術の進歩で合理化できることがその背景にあると思われる。公務員の世界でも同様の人員削減は進んでいくだろう。

この消滅していく職場は基本的に文系大卒が中心の事務・営業職である。理系の技術開発部門、芸術系の職は付加価値を生産するので影響を受けない。もちろん文系大卒にも企業の経営、日本政府や道州政府の経営(上級職の公務員)などの需要はあるが、パナソニックの本社が数百人という数字から見て微々たるものである。また、その様な重責を担う人材は経済学・統計学・科学技術についての高度な知識が必要であり、数学が苦手だから文系を選ぶ様な大学生には絶対に無理である。民間大企業の経営スタッフの需要はパナソニック100社分として数万人、上級職公務員の需要はその半分程度だろうか。勤続40年とすると、一学年あたり民間2000人、公務員1000人程度の需要しかない。そのうち四分の一が理系になると仮定すると、文系の採用枠は概ね年間2300人程度となる。その他に文系上級資格職の需要は法曹5百人、会計士5百人程度である。つまり、日本には文系事務職養成一流学部は3300人分しか不要ということになる。東大文系1300人、京大文系900人、一橋大900人だけで3100人なので、その他の国公私立の文系学部はほとんどが一流の職にはありつけないことになる。

その次のランクの文系学部というと、国公立は地方旧帝大5校+神戸大・筑波大・横国あたりになる。文学部や教育学部を除く社会科学系学部の定員合計は4000人強か。私学だと早慶上智ICUで、定員合計は1万人程度はいると思われる。このランクの大学の卒業生は大部分が二流の職場で働くことになる。その下のランクの地方国公立大文系やGMARCH・関関同立文系に至っては、正規雇用の職場を得ることすら困難になっていくだろう。文系事務営業職の職場が激減していくのに大学の学部定員が減っていないのだから当たり前である。

とりわけダメージが大きいのが東京である。東京は20世紀には大企業の本社が集中し、膨大な数の文系事務営業職が雇用されていた。しかし、その本社の雇用が激減しつつある。また、マスコミや金融などの雇用が激減する職種も集中的に立地している。更に、石原都知事が言う様に今後日本は首都機能が京阪神や名古屋に部分移転する。東京の中枢機能はその分減少し、ダメージは更に大きくなる。

東京が致命的なのは、平均的な大学教育のレベルが低いことである。東京では国立大学の規模が相対的に小さく、早慶やMARCHなどの私大文系学部の定員が圧倒的に大きい。これらの大学は多様な学生を集めて交流させてコミュニケーション能力を磨くことを第一としており、学問や研究は軽視してきた。関西・名古屋で阪大神戸大名大に進学する層が首都圏では早慶に進学する。阪大神戸大名大では理系学部の定員が6割以上だが、早慶では理系学部の定員は恐らく2割程度しかない。早慶の文系学部では入試に数学が全員必須の学部は皆無であり、入学者の理数系の学力は極端にばらつきが大きい。附属高校の多くは大学に全員進学可能で、極端に学力の低い者も存在する。予備校の様な少人数の学力別クラス編成を行い学力にあった授業を行うしか無いが、マスプロ教育のコストの低さで勝負してきた私大文系学部にそれは無理だ。こんな状態では、文系学部の入学者に理系の学問を副専攻として学ばせることも、少数の優秀な学生を国家を支える人材に育成するために高度に専門的な教育を行うことも学部レベルでは全く不可能である。そもそも、日本には早慶文系学部の膨大な数の卒業生に相応しい優良な職場がなくなっているのだ。今後名古屋や関西が首都圏の一部になれば、教育レベルの低い早慶文系の卒業生は基礎学力の点では近いレベルにある阪大・神戸大・名古屋大の文系卒業生に歯が立たなくなるだろう。

早慶やMARCHといった首都圏のマンモス私大は20世紀後半の東京の膨大な文系事務営業職の需要に特化して繁栄してきた。その需要が激減する以上、これらの大学が下位大学に転落するのは火を見るより明らかである。一流大学として生き残るには、需要が減少しない理系学部中心の大学に変身し、大学の定員を減らして少数精鋭主義となり、入学希望者全員に数学や理科を含む多科目の入試を必須にし、附属高校の成績下位半分程度の入学を拒否するしかない。しかし、現状では早稲田実業や慶応の二番目の附属小学校にみる様に、小学校を含めた附属学校の設立が相次いでおり、金とコネさえあれば学力が極端に低くても大学に入学できる事実上の裏口が拡大している。小学校入学時に学力での選抜は不可能であるからだ。そのような低学力の学生が増加する以上これらの私大は今後もどんどん教育水準を引き下げざるを得ない。また、附属出身の低学力の学生は理系は無理なので、附属からの全入を維持する限り理系中心への転換は無理だ。そして、これらの大学はマンモスの様に消え去っていくことになると予想する。








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38 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-07-25 23:20:06
確かに学力の低下が酷い。
お年寄りがやってる昔のカルチャーセンターレベルより下の町内の掲示板にあるような無料講座レベルだからね。
そこに照準をあわせて一からやっていくしかないのかね。
効率が悪すぎるね。
返信する
視点が違うと思います (ZRX)
2012-07-25 23:21:37
広い視野から将来を見通せば、首都圏次第の没落は避けられない。しかし、理由が違うと考えます。

マスプロ教育でコミュニュケーション能力を磨くというのは、キレイ事で、要は、親の資産で、東京で遊び暮らしていたというだけの話。就職だって、親や親戚の誰かの紹介でどうにかしていた社会階層が、これからは、東京でなく、関西・中部・九州方面に行くだけの話しではないのですか?

それに、マクロの視点も重要だと思います。教育には良い環境が絶対に必要です。才能ある人間が、参考書を読んだからという程度で、人を凌駕する能力が身に付く訳がない。やはり、質の良い教師の授業を受けさせるのは、最低限度の必要事項。

子弟に良質の教育を受けさせることの出来る社会階層に内ゲバでも起きない限り、早稲田と慶応の亜流が、地方に移動するだけ、と考えます。


返信する
Unknown (Unknown)
2012-07-25 23:28:52
学校教育はNHKの人間講座レベルでも変わりそうだけどな。
返信する
大学教員がまったくダメ (fx)
2012-07-26 02:33:14
大学教員自体がお勉強の延長線上のことしかできず、

社会で自立して創造して生きていく力のある者がまったくいない、

つまり、ロクな人材がいないというのが問題なのです。
返信する
Unknown ()
2012-07-26 05:51:46
地方の私立高校は地元の資産家の財産維持装置であり、公立高校への進学が覚束ない出来の悪い生徒の引き受け手でもあった。生徒集めの宣伝の為に学業を疎かにしスポーツのみにうつつを抜かすといった批判もあるが、彼らの持て余した時間とエネルギーをスポーツにより奪わねば何を仕出かすか分からぬし、社会に出る為の教育としてはスポーツに没頭させる事も一定の価値はあろう。最近では附属小中学から質の高い教育を受けさせるクラスを創設した私立高校も増えている。
高校教育は日本全体としては良い方に向っていると思われる。

問題は確かに肝心要の大学。潰さねばなるまい。が、大学数を維持したいのは学生の為日本の未来の為ではなく、単に教職員の職場確保と税金減免の恩恵を受ける勢力の為ではないか。日本は既得権でがんじがらめになっており全ての問題はそこに要因があるならば、一丁革命でも起こしますか。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-07-26 06:06:50
大学数が多いのはアジアからの留学生確保とその後の彼らとの
関連で国益を考えた面もあると思われる。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-07-26 07:21:03
まあ生まれる時代が悪かったってことか
返信する
大学について (読書貧乏)
2012-07-26 08:15:33
複数専攻をするべきですね。
数学ができないのはダメです。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-07-26 11:53:06
まずは雇用問題だな。
返信する
Unknown (ミナミ)
2012-07-26 12:30:18
大阪は(名古屋も?)橋下が府大・市大統合と言ってるが、
逆に良質な公立大学(単科でも可)を2つくらい作った方が良い。受け皿が小さすぎる
返信する

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