私の耳が少々遠いことが判明したのは、
私の記憶では小学校低学年でした。
学校の身体検査のひとつの聴力検査で判明しました。
私の母親が近隣の国立病院に連れて行ってくれ、
再検査をした記憶がかすかにあります。
小学校2年生の頃だったと思います。
子供だったので確かな記憶が全くないけれど、
医師が検査結果を見て、
「日常生活には支障はないでしょう。」と診断されたと母親から聞きました。
聴力が若干弱い程度なので、治療方法もなく、
補聴器をすすめられるわけでもなく、
普通(健聴)の子供の中で、普通の子供として過ごしてきました。
比較的活発な子供だったためか、学校でも塾でも遊びでも、
特に支障は感じることはなかったと思います。
たぶん子供時代の私は、
今よりもずっと聴力が良かったのではないかと思うのです。
当時、ピアノやギターを弾いたり、合唱団に入ったり、
放送部を務めたり、
陸上の選手として学校代表で区の大会に出場したり、
学級委員にも選ばれたりしていましたから、
難聴の自覚はあまりなかったのかもしれません。
健聴の子と同じようには「聞き取れていない」と自覚したのは、
地域の小中学校を得て、都立高校に入学した頃でしょうか。
ずっと難聴の自覚がなく活発に過ごしていたせいか、
私の両親も、私の難聴に対して重要視しておらず、
先生にも私の難聴の件を報告していなかったようです。
そのため、席がうしろになることもあり、
授業の内容が半分も理解できない。
急に勉強が難しくなったと感じたのですが、
今思えば「聞き取れていない」ことも影響していたのかもしれません。
ヒアリング(リスリング)のテストは、
何度再試験を受けても合格できませんでした。
難聴であることを改めて思い知ったものです。
中学生の時に受けた英検のヒアリングテストでは、
ちゃんと聞き取れて合格していたので、
もしかしたら、高校に入ってから聴力ががくんと落ちたのかもしれません。
しかし、私は難聴であることを英語の先生に言えなかった。
合格できない言い訳にしている気がして。
手帳もない、補聴器もしていないのだから。
再試組の馬鹿さに先生もあきれて、
同じ問題を出すようにしてくれたおかげで、
何とか合格できるようになったことを覚えています。
お馬鹿のレッテルを貼られたような気持ちでした。
難聴であることが、最大のコンプレックスであり、
そして自分の最大の欠点に思えること。
そんな思いを今も克服できないこと。
それがまたさらに、コンプレックスになっている。
心のバランスへの悪循環。
障害を受け入れているつもりでも、
健聴と同じつもりでいる自分がかすかに存在する。
プライドが高いんでしょうか。
初投稿の「はじめに。」の記事で、
専門的なことは書かないと偉そうに書いたけれど、
本当は、専門的なことを何も知らないんです。
ずっと、健聴の中で過ごして、自分もそのつもりでいたから。
手話はできない。
話せる。
聴こえているけど聞き取れていない。
でも、聞き取れていることもある。
理解していただくには何とも面倒くさくて中途半端。
昨日もカウンター越しにべらべら説明し始めた方に、
「耳が悪くて聞き取れないのでゆっくり話して下さい。」
とお願いしたのですが、全く同じ調子で話しを続けていて、
結局、内容はほぼ何もわかりませんでした。
耳から入る情報がこうして少なくなっていくのですね。
人の話しが理解できないなんて、頭が悪いと解釈されるのですね。
毎日こういうことばかりです。
あーあ。
私の記憶では小学校低学年でした。
学校の身体検査のひとつの聴力検査で判明しました。
私の母親が近隣の国立病院に連れて行ってくれ、
再検査をした記憶がかすかにあります。
小学校2年生の頃だったと思います。
子供だったので確かな記憶が全くないけれど、
医師が検査結果を見て、
「日常生活には支障はないでしょう。」と診断されたと母親から聞きました。
聴力が若干弱い程度なので、治療方法もなく、
補聴器をすすめられるわけでもなく、
普通(健聴)の子供の中で、普通の子供として過ごしてきました。
比較的活発な子供だったためか、学校でも塾でも遊びでも、
特に支障は感じることはなかったと思います。
たぶん子供時代の私は、
今よりもずっと聴力が良かったのではないかと思うのです。
当時、ピアノやギターを弾いたり、合唱団に入ったり、
放送部を務めたり、
陸上の選手として学校代表で区の大会に出場したり、
学級委員にも選ばれたりしていましたから、
難聴の自覚はあまりなかったのかもしれません。
健聴の子と同じようには「聞き取れていない」と自覚したのは、
地域の小中学校を得て、都立高校に入学した頃でしょうか。
ずっと難聴の自覚がなく活発に過ごしていたせいか、
私の両親も、私の難聴に対して重要視しておらず、
先生にも私の難聴の件を報告していなかったようです。
そのため、席がうしろになることもあり、
授業の内容が半分も理解できない。
急に勉強が難しくなったと感じたのですが、
今思えば「聞き取れていない」ことも影響していたのかもしれません。
ヒアリング(リスリング)のテストは、
何度再試験を受けても合格できませんでした。
難聴であることを改めて思い知ったものです。
中学生の時に受けた英検のヒアリングテストでは、
ちゃんと聞き取れて合格していたので、
もしかしたら、高校に入ってから聴力ががくんと落ちたのかもしれません。
しかし、私は難聴であることを英語の先生に言えなかった。
合格できない言い訳にしている気がして。
手帳もない、補聴器もしていないのだから。
再試組の馬鹿さに先生もあきれて、
同じ問題を出すようにしてくれたおかげで、
何とか合格できるようになったことを覚えています。
お馬鹿のレッテルを貼られたような気持ちでした。
難聴であることが、最大のコンプレックスであり、
そして自分の最大の欠点に思えること。
そんな思いを今も克服できないこと。
それがまたさらに、コンプレックスになっている。
心のバランスへの悪循環。
障害を受け入れているつもりでも、
健聴と同じつもりでいる自分がかすかに存在する。
プライドが高いんでしょうか。
初投稿の「はじめに。」の記事で、
専門的なことは書かないと偉そうに書いたけれど、
本当は、専門的なことを何も知らないんです。
ずっと、健聴の中で過ごして、自分もそのつもりでいたから。
手話はできない。
話せる。
聴こえているけど聞き取れていない。
でも、聞き取れていることもある。
理解していただくには何とも面倒くさくて中途半端。
昨日もカウンター越しにべらべら説明し始めた方に、
「耳が悪くて聞き取れないのでゆっくり話して下さい。」
とお願いしたのですが、全く同じ調子で話しを続けていて、
結局、内容はほぼ何もわかりませんでした。
耳から入る情報がこうして少なくなっていくのですね。
人の話しが理解できないなんて、頭が悪いと解釈されるのですね。
毎日こういうことばかりです。
あーあ。