~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

馬鹿にする人

2009年11月15日 | 子ども時代~成人時代
自分に自信を失くし夢に破れた私は、
規模が巨大な職場に身を置きました。

大勢の中でもくもくと働ければ、もうそれでいいと思うようになりました。

もくもくと働くと言えども、
色んな場面で職場の人とのコミュニケーションが必要です。


ある時、私の母親と同じくらいの当時40代の女性社員が、
「ほら、○○さんってつんぼでしょ。ハハハハハハハ。」と、
私に聞こえるような大声で周りの人に言ったのです。

どうやら、健聴者なら聴こえるくらいの小さい声で、
ちょっと離れた場所から私の名前を何度か呼んだらしいのです。

勿論、私は聴こえなかったから振り向かなかった。
それを何度か試していたようです。

私は反論できなかった。
苦笑いしてごまかすしかできなかった。

その後もその女性社員は、
何度も小さい声で少し離れた距離から色々話し掛けてきたりして、
聞き取れない私のことを笑っていることはわかっていました。

そんな私を見て、
「そういうことするもんじゃないよ。」と言ってくれた先輩達がいました。

今思えば、みんな私の難聴に気付いていたんでしょうね。

「○○さんは、もしかして耳が遠いの?」と、
こっそり聞いてくれた先輩には、「はい。」と言えました。
しかし、だからどうして欲しい、どう接して欲しいなど、
明確なことは言えませんでした。


部署が変わっても、同じようなことをして試して、
「○○さんって、耳が遠いんだねぇ。」とニヤニヤと笑いながら、
話し掛けてきた同年代の女性社員もいました。


勿論、耳が遠いことは事実で、本当のことを言われたまでです。
隠しているわけではなくて、あえて言わなかっただけ。

仕事にはそれほど影響も出ていませんし、
迷惑は掛けていないと思っていました。
そう思い込んでいただけかもしれませんが。

そう言えば、男性社員からは、そのようなことをされたことは、
一度もありませんでした。
人の欠点を笑うと言う卑屈なことは、
やはり女性同士だからなんでしょうか。


難聴って、馬鹿にされなきゃならない障害なのでしょうか。
名前を呼んで聴こえてなくて振り向かなかったことが、
そんなに面白いんでしょうか。

志村けんさんがおばあちゃんに扮して、
耳が遠いリアクションのコントがありますが、
耳が遠いことで笑いが取れるってことですよね。

つまり、馬鹿にしても良いってことでしょうか。

難聴者以外にとっての難聴への理解度は、
ハゲやデブで笑いを取っている芸人さん達と同じような感覚の、
気軽な障害なんでしょうか。

笑い飛ばせれば、どんなに楽か。


聾の方々は、幼いうちから手話での会話を習得しますし、
難聴者よりは障害が理解されやすいためか、
馬鹿にする人はいませんよね。

むしろ、音のない世界で頑張る姿に励まされるとか感動するとか、
手話を習って社会との架け橋を作りたい、
などと思う心が芽生える方々もいらっしゃる。


難聴者は手話などの教育を受けて来なかった人がほとんど。
音も聴こえるし、環境と声の質によっては聞き取れていることも多い。
ゆえに、言葉の習得もできていますから話すことができる。

理解が得にくく、誤解も多い。


そう言えば、子供の頃、母親の言ってることが聞き取れなかった時、
「つんぼっ。」と怒鳴られたことがありました。

時代も関係しているかもしれませんが、
私の親世代は、私のくらいの聞こえの悪さくらいは、
たいしたことないと思っていたんでしょうか。


難聴は耳の聞こえが悪いだけではないこと。

対人関係やコミュニケーション能力。
耳から入る情報。

それらが少しずつ欠けてしまい、それによって自信を喪失したり、
偏屈な考えを持ってしまったり、気持ちが歪んでしまったり、
生きていく上で、様々なことに支障が起こる。


私の両親は、難聴から生ずる支障についての理解がありませんでした。
だから私は、成人するまで、
自分の能力を勘違いしていたのかもしれません。

難聴なんてたいしたことないから、
頑張れば普通の人と同じように何でもできると。


社会に出て、自分の能力の限界を知り、
意地悪な人に出会ったことで、
難聴から生ずる様々な支障をやっと理解しました。